月夜のメティエ




「ピアノ、弾いてるとさ、フワフワ宙に浮いてる感じがしてさ」

 イチオンの空気は、相変わらず埃っぽい。体に染み付いてくる感じがする。

「空中で弾いてるみたいな? 奏真くんが」

「そう」

 ピアノの椅子に座って楽譜をめくっている奏真の学ランと、ピアノの黒は、違う質感だ。変なの、同じ黒なのに。

「高い青空まで行っちゃうんじゃない」

「そうかもなー」

 そんなに高いところに昇って行っちゃうと、見えなくなるよ。

「楽しいから。このまま続けば良いのになって俺、思うんだ」

「そうだね」


 楽しそうに、幸せそうにピアノを弾く奏真を見るのが好きだった。優しい旋律、忘れたことなど、無かった。

 天国まで、あとどれくらい?

 あたしが、ピアノだったら良かった。そうしたら、奏真と一緒に居られたかな。イチオンの思い出を胸に、ここは奏真の部屋。


 背中をきつく包む両腕と、吐息が、切ない。