月夜のメティエ


「なにその2選択」

 奏真はあたしを見て、そして柔らかく微笑んでから、そっと弾き始めた。滑らかに動く指と、奏真の横顔。キラキラ煌めく音の粒。


「……」

「ベートーベンの月光とか弾くと思ったろ」

 こんな月夜だものね。それはもうベートーベンがぴったりかもしれない。月夜の、奏真の柔らかなピアノ。指先から紡ぎ出される美しい音色は、心を包む。

 ドビュッシー来るかと思ってたのは事実。これは知ってるよ。有名な曲だもの。

「さあお嬢さん。曲名をどうぞ」

 流れていく旋律。ここは奏真の部屋だけど、なんか高級レストランみたい。なんて、例えが貧相かな。

「……なんていう曲?」

 ピアノの邪魔にならないように、静かに聴いた。聞こえてる?

「……ショパン、ノクターン第2番」

 うん、知ってる。有名な曲だもの。第2番、までは覚えてなかったけど。


「来て」

 奏真が、弾きながらあたしを呼んだ。

「おいで」

 まだ曲は最後まで行っていない。おいで、そう呼ばれてあたしは引き寄せられるようにピアノのそばへ行く。しんと、奏真のノクターンが止んだ。

 力無いあたしの手に、座ってる奏真の指が触れる。鍵盤を触っていて、熱を持った奏真の指。あたしにその熱が伝わったのは、一瞬だった。

「分からなかったんだろ? 曲名」

「……うん」

 優しい奏真の視線。あたしはおずおずと奏真に唇を寄せた。甘い匂いと、コーヒーの味がした。