ベンチに座っていた女がゆっくりと立ち上がるが、直立不動で動かない。
顔は相変わらず下を向いているから表情は読み取れないが、体を左右に小刻みに揺らし始め、1歩、また1歩、前へとするような足取りで進んでくる。
顔は見えないけれど、あれはあざみだ。
富多子はなんとかその顔を確かめ、確実にあざみだという確証を得たかった。
よく見ようと目をほそめてみたりするけれど、誰なんだかはっきりとは分からない。
あざみは顔を上げることなくのらりくらりと歩いてきて、時間をかけてこちらのほうへ寄ってくる。
あざみが座っていたベンチの回りには黒いカラスが数羽空から降りてきて、せわしなく辺りの匂いを嗅いでいた。
快速列車が通過しますというアナウンスがうっすらと富多子の耳に届いたとき、あざみは線路側ぎりぎりのところまで歩いてきていた。
あと1、2歩で線路に落ちてしまう。
どちらの方向から電車が来るのか分からないから、左右を何度も確認する。
ゆらゆらと揺れていた体はぴたりと止まり、微動だにしない。
「...あぶない」
電車が近づいてくるカタンカタンという音が聞こえてきて、咄嗟に出た言葉は『あぶない』
腹のあたりがくすぐったくなって、背筋に鳥肌が立った。

