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 柳橋近くの道は暗夜の路で、一寸先の情景も掴めぬ。

月が照っていれば月光で多少の人影なら認知できるが、雲に隠れているせいかそれさえ不可能だ。

まるで、月を大きな風呂敷で覆い隠し、光を遮断したような暗さである。

 それに人の気配もまるでない。町人もいない。

女もいない。

博徒も酔っぱらいも、そこいらに溢れる破落戸や浪人も、いない。

挙句の果てには、犬も猫も、鳥も蟲の声だってしないのだ。

 古着屋の店主は、ちょっくら江戸一番の遊郭を覗いてきた帰りだった。

暖かい風が吹きつける。

最近は冷えてきたので、夜の暖かい風はもう昼にしか吹かぬ。


 あったけえなあ、と一度は思った。

が、すんすんと鼻をひくつかせているうちに、古着屋はこの暖風に違和感を抱いた。

どうしてだろうか、長閑な風とはいえない。

 雨あがりでもないのに、妙に湿っている。

 確かに暖かくて人肌に優しい温度だが、自然のものとは思えない。

春や秋の風というより、生物の吐息を吐きかけられているような不気味な温かさだ。

 面妖なものでも、近くにいるのか。

 古着屋は、やれあぶねえぞ、と伝える五感に従って、そそくさと家路を急いだ。