「姐御、朝食食べないのかい?」

 神谷に声を掛けられても、加代子は手にした朝刊をじっと見つめるばかりであった。卓上には、旅館の仲居が運んで来た朝食が並べられてある。

 加代子と一緒に温泉場巡りを始めて、もう一ヶ月近くになる。

 神谷は、そろそろ東京に戻らないかと何度か言ってみたが、加代子自身は、

「何処にも帰る所なんか無いよ」

 と言うばかりだった。加代子が指輪を売って手にした金も、そう残ってない筈だ。神谷自身にも、それ程の持ち合わせは無い。

「姐御」

「青山が……」

 と言ったとたん、加代子は泣き出した。

 突然の事でどうしたのかと思い、神谷は加代子の側へ寄った。

「どうしたんだい?」

 と尋ねると、

「あの馬鹿!」

 と言って、読んでいた新聞をクシャクシャにして投げた。

 神谷は丸められた新聞を拾い、加代子が読んでいた部分を丁寧に広げた。目にした記事を読み、神谷は愕然とした。

「姐御……」

 どう言葉を掛けて良いものか、神谷はただその場でじっと成り行きを窺うしか術が無かった。

 突然、泣いていた加代子が、

「東京に帰る!」

 と言いだした。

「帰るって……」

「帰るって言ったら帰るの!もたもたしてたら置いてくよ!」

 呆気に取られながら、神谷も慌てて身支度をし始めた。

 一ヶ月近くの旅の間、加代子からはおおよその話しは聞いていた。

 青山という男の話しを一日何度も聞かされ、終いには頭の中にその男の顔を想像するようになっていた。

 旅館の帳場に、急用が出来たからと精算を頼み、ついでにタクシーも呼んで貰った。石和に来て一週間になるが、市内の一番安そうな温泉旅館を選んだつもりではあったが、正直所持金で支払いが足りるか心もとなかった。出された明細書に加代子は目をやりながら、

「神谷、あんた幾らある?」

「姐御、幾ら足りないんだい?」

 案の定、加代子の指輪を売った金は底を着いていた。

「驚いたよ。こんな安っぽい旅館のくせしやがって、見てみなよ。これじゃぼったくりだよまったく」

 加代子はぼやきながら、

「五万ばっかし足りない……」

 神谷はホッとした。