私が辛うじて覚えている曲を何節か奏でた時だった。
ガチャリ、とドアが開く音を耳にして手を止めた。


「……驚いた」


そう言われた私は顔を上げて言う。


「……こっちこそ、驚いた。なんで」
「靴がまだ……あったから」


センセイの割には早すぎるし、約束していた場所も違うから誰かと思った。
まさか、香川先生が戻ってきたりとか……なんて、一瞬強張ってしまった。

でも、そこに立っているのは水越で、ちょっと安心した。


「靴、まだあったし……教室には居ないし。ここかな……って」
「それでどうして『驚いた』の?」
「や、吉井ってピアノ弾くんだーと思って」
「ああ」


そういうこと……。

確かに普段そんなピアノから縁遠そうな雰囲気だろうしね。
意外と思われる方が自然だよね。


水越がさっきまでセンセイが立っていた辺りにいるのを見て、錯覚を起こす。

センセイがそこにいるような錯覚を。


「……何、考えてンの」


水越が見透かすようにそう聞いた。


「え」
「今、吉井が見てるのはオレじゃない」
「……そこまで気付いてるなら大体わかるでしょ」


今度は“水越”をちゃんと見て、言った。
相変わらず可愛げない言い草の自分に、少し後悔しながら。


「――やっぱり、好きなの」


その後悔からか、自らそう告白した。