「でね」


と、お母様は、嘆願するような視線を春近さんに向けた。


「あの人、傘、忘れてるみたいで、わたし、夕飯の用意しなくちゃだし、」


そこまで言って、お母様は笑った。そして春近さんも笑った。わたしは、ぴんときた。



「先生に傘届けます僕」


お母様は、ほんと?と手を合わせて喜んだ。


それからわたしと春近さんは、二つ蛇の目傘を並べて外に出た。

春近さんの、背の高い黒の蛇の目傘。
わたしの、背の低い赤の蛇の目傘。


ポツポツと音をたてていた。



あたりは雨で、地に跳ね返った雫で靄っとした雰囲気が漂っていた。
雨の香り。



お父様はまだ、学校でお仕事をなさっている。

お父様は、少し忘れっぽいので、お母様がこの間もお弁当を届けにいっていた。


わたしは、行ったことがなかった。



ザアアアァという音に、きっとこえが消えてしまう。

だからわたしは、座っている時よりも遠い春近さんの、小指を握った。



すると、春近さんはわたしを見つめ、小指をといて手のひらで包みこんだ。


緩まる頬、嬉しかった。