それからすぐに、母は赤ん坊を育てる能力が無いとして、母親である資格を失った。
「やっとこの子から解放された……そう思ったわ」
母は抵抗することなく子供を手放した。
つまり、捨てた。
無論その赤ん坊は、今で言う塚原恵一のことである。
母が恵一に付けた名前は何だったのだろう。
私たちはもう、知ることができない。
それから数年後、母は父と結婚。
私と雄輔を、母として育てることとなる。
そしてそれから更に数年後、再び母に限界が訪れたというわけだ。
「私にはこの子達を育てる自信がないし、そんな資格もない」
それを父は
「由紀と雄輔がここまで育ったのは、紀子のおかげなんだ」
と慰め続けて何年か生活を続けてきたけれど、結局母は自らの背負った十字架に耐えることができなかった。
二人が離婚をしたのは、私が小学校に上がった頃だった。



