彼は、彼自身の五感を疑った。
特に、視覚と聴覚を。
聞きなれた、柔らかく、甘い声。
見なれた、愛らしい笑顔。
「・・・さ、・・・さち・・・」
上手く口すら回らない。
夢を見ているのか。
それとも、幻覚を見ているのだろうか。
彼の頭が現実を現実として認識するのには時間が必要だった。
「ごきげんよう、壮介さん」
彼女は、美しいドレスにその身を包んでいた。
そして、今まで見たことのないぐらい、
眩しい笑顔を浮かべながら、ゆっくりと、壮介の方に歩み寄ってきた。
「・・・壮介さん」
何度も、目の前の彼女から、彼自身の名前が口にされる。
彼は、何度も目をこすり、何度も自分の頬をつねった。
しかし、目をこすっても、目の前の彼女は消えないし、
つねった頬の痛みは消えない。
「・・・さ、幸花・・・さん」
ようやく、目の前の彼女の名前を呼ぶことが出来た。
すると、彼女が、先ほどよりも一層輝く笑顔を見せるのだった。
「・・・でも、・・・どうしてここに?」
気がつくと、いつの間にか、ドアの辺りに先ほどの男が現れていた。
神出鬼没なその男は、嬉しそうな笑みを浮かべてこちらを見ている。
「野村先生が助けてくれました」
「の、野村先生が!?」
思わぬ名前に、彼は目を丸くした。
彼女と野村は、面識が無いはずだ。
いくら貴族の娘とは言え、政府に仕える学者と面識がある訳がない。
一体どういうことだろうか。
「昨日の夜中、私とタマが秘密裏に家を出ようとしましたら、
どういうわけか、家の前で待っていてくださって。
そして私たちをこの船まで送ってくださいました」