「何を、驚いていらっしゃるのですか」
きょとん、とした顔をした牧に、可笑しそうに笑って、タマは言った。
「・・・だって、・・・もう、船は行ってしまって・・・」
潮の匂いを含んだ風が、その場を吹き抜けていく。
薄暗い雲の隙間から差し込んでいた光が、次第に細まっていく。
口の中に、しょっぱい味が広がった。
「私は、・・・私の仕事は、仕える方の幸せの手伝いをすることだと、申し上げましたよね」
「ただ、幸花お嬢様は・・・」
「牧先生」
タマが、一歩牧に近づいた。
「先生、藤木様からお手紙を頂いたら、お返事に付け加えておいていただけませんか?」
タマの顔は、晴れやかだった。
全てをふっ切った、そういう表情だった。
「・・・幸花お嬢様は、お元気でいらっしゃいますか、と。
お二人で幸せに暮らしていらっしゃるのか、と」
「・・・タマさん・・・」
「もう2度と・・・お会いすることはないでしょう。
・・・藤木様にも、牧先生にも・・・そして、幸花お嬢様にも」
にこり、とタマは笑った。
刻まれた目じりのしわが、少し光ったように見えた。
「今までありがとうございます。
・・・お嬢様の幸せを見届けることが出来て、私は、・・・幸せです」
タマが、深々と頭を下げた。
そして、ゆっくりと顔を上げると、直ぐに皆に背を向け、彼女は来た道を戻り始めた。
「タマさん!」
牧が、大声で叫んだ。
港中に、彼の声が響き渡った。
タマが、足を止める。
「・・・辞めてはいけま・・・」
牧がそこまで言いかけた時、彼は、目の前の光景を疑った。
タマも、その体が固まっていた。
皆が、固唾を飲む。
あるべきではない人が、そこに居た。
「・・・タマ」
威厳のある、低く、重い声。
立派な口髭に、一流品の洋服に身を包んだ紳士の姿。
一度見れば、見間違えることはない。
「ご主人様・・・」
山内家の、当主だった。



