「お客さん?ちょっと、急がないと」
「分かってます。・・・あの、10秒だけ、ここに立っていても良いですか?」
「・・・は?・・・まぁ。10秒なら構わないけど」
呆れた顔で、荷物運びの男は中へと入り込んでしまった。
彼は、板の上で、後ろを振り返った。
これが、・・・未練がましい自分への、
最後のチャンスであると言い聞かせて。
彼はそっと目を閉じて、板の上で、10を数える。
10、9、8、7。
皆が、板の上で佇んでいる青年を、不思議そうに見ていた。
6、5、4。
港に残るほとんどの人々は、甲板の方へと近づいていく。
まぶたの裏に見えるのは、・・・自分を見送りに来た人たちと、その他の人たち。
3。
ゆっくりと目を開ける。
母たちが、少し不思議そうに彼を見ていた。
2。
彼は大きく息を吸った。
1。
吸い込んだ息を、大きく吐き出した。
0。
「・・・さよなら、幸花さん。・・・お幸せに」
彼は、微笑みながら、そう言葉を零した。
その瞬間、彼の瞳から、一筋の涙がこぼれた。
胸が、苦しい。
張り裂けそうなぐらいに胸が一杯になって、熱い何かが、胸の中を焦がそうとする。
思っていた以上に、自分自身が恋に溺れていたということを自覚させられた。
ほんの、2か月も経たない間だった。
お転婆な彼女に出会い、一緒に話して、散歩して、ご飯を食べて、映画を見て。
笑顔が、いつも眩しかった。
その輝きに照らされる度に、きっと自分は彼女に惹かれていったのだ。
あの土手で、手を繋いだこともあった。
不意に、手に、あの時の感覚が甦る。
彼は急いで、その手で涙を拭いて、船内へと足を一歩踏み入れた。



