李哲男と本国との連絡係を務めていた工作員洪明甫(ホン・ミョンボ)は、李からの定期連絡が絶えた事で、その対策に追われていた。

 北朝鮮側は、李の行方不明を亡命ではないかとみていた。

 日本の公安外事課による逮捕監禁、或いは消されたという可能性も考えたが、彼等に北朝鮮工作員を拉致したり抹殺するだけの度胸はない。

 アメリカのCIAによる拉致監禁……これも、東西冷戦時ならいざ知らず、現在の彼等の標的はイスラム過激派の動向に集中しているし、日本でそういった活動をCIAはやった事が無い。

 又、法的手続きに基づく逮捕とかであるのならば、中国外交筋を通して話が伝わって来る筈だ。

 李と連絡が絶えて既に二ヶ月余り。その間、そういった話や動きは無い。

 となれば、考えられるのは亡命。

 長年の同士であっても、心から信頼出来る仲間というのは存在しない。

 密告と言われ無き誹謗は、己が北朝鮮という国で生き抜く為に必要な術であり、故に自分以外を容易く信じてはならない。

 国家の仕事に関わっている者が、北朝鮮という国で生き抜く事が出来なくなれば、その者には粛清が待っている。

 逃れるには亡命しか道は無いのだ。

 洪は、李は元々韓国かアメリカのスパイだったのではないかと思うようになっていた。

 李は在日朝鮮人だ。

 生粋の本国人ではない。

 在日朝鮮人の中には、公然とスパイ活動をして南側へ情報を流す者が確かにいる。

 そういった事もあり、李の消息を調べるといった事には、余り熱心ではなかった。