上がって来る捜査資料や報告書は、どれも芳しくないものばかりだった。

 長年現場で多くの事件に関わって来た加藤の目から見て、君津海岸で発見された首無し死体の身許を特定するのは困難だと思えた。

 死亡推定日時近辺に、発見現場周辺で不審者や、不審車両を目撃したという情報も無く、又、関東近県に於ける行方不明者との身許照会も捗っていない。

 加藤は、毎日部屋に閉じ篭って書類と格闘するのが苦痛になっていた。

 猛暑の中であっても、汗だくになりながら、事件捜査をしている方が良かった。

 エアコンの効いた部屋で書類整理をしている位ならば、山奥の駐在所にでも飛ばされた方がマシだと思った。

 連日報道されていたこの事件だったが、一週間を過ぎても何一つ事態の進捗が見られない事に、マスコミは興味を失い、捜査本部の記者クラブは閑古鳥が鳴いていた。

 新日報の記者である池谷とばったり会ったのは、事件が早くも暗礁に乗り上げたこの頃であった。

 元々池谷と加藤は面識があった。

 と言っても、一方的に池谷の方が加藤を記憶していたというだけで、加藤自身は池谷と言葉を交わした事などすっかり忘れていた。

 だから、捜査本部が設置された君津署の廊下で声を掛けて来たのは池谷の方だった。