一時閉鎖されていた羽田空港と成田空港であったが、自衛隊によって都内の暴徒が鎮圧された事から、二週間振りに運行を再開するになった。

 先ず貨物便が全面運行再開となり、旅客便は一部のみの再開となった。

 再開されたと言っても、羽田空港は厳戒態勢が敷かれ、周辺駐車場への一般車両の乗り入れは、禁止されたままであった。

 ロビーには銃を担いだ自衛隊員と、防弾ベスト姿の機動隊員がそこかしこに立っていた。

 海外から来た旅行客などは、その物々しさに、世界で一番安全な国だと言われていた日本は、何処へ行ったのだと、口々に言った。

 厳戒態勢は、陸上だけではなく、東京湾上も厳重を極めていた。

 海自のヘリコプターが湾内を常時低空で飛行し、海上保安庁の巡視船に混じり、横須賀から派遣された護衛艦『むらくも』が、定期的に臨海副都心から、みなとみらい周辺を航行していた。

 こうして厳戒態勢の首都圏であったが、大阪周辺はまだ然程でもなかった。

 一応、中央からの指示で、公共施設や多くの人間が集まる場所には、近畿、中国、四国周辺から集められた機動隊員が警備をしていた。

 一方で、道行く市民達は意外とのんびりしていた。

 首都圏で起きた爆破テロや、その後の暴徒鎮圧騒動を、何処か対岸の火事のような他人事と思っているようだった。