当時、五人編成のバンドを組んでいたが、正直言って心也以外はとてもプロの道に進めるだけの腕は無かった。

 果たして、この顔触れでプロダクションのオーディションに受かるだろうかという不安はあった。

 予想通りの結果と、予想外の結果が私達を待っていた。

 バンドとしてではなく、個人として私と心也はそのプロダクションに入る事になった。

 ビートルズに触発された日本の音楽シーンは、一大GSブームが巻き起こり、多くのグループサウンズが生まれ、そして消えて行った。

 私と心也がプロになった頃は、既にGSブームが下火を迎えていた。しかし、まだ一時の夢を見ていた関係者は、新しいスタイルのGSを模索しようとして、私達を迎え入れたのだ。

 そのプロダクションで、今は深海魚のマスターに収まっているドラムの長束陽二と、亡くなったべースの佐藤博史に引き合わされた。

 契約して僅か三ヵ月後。私達はロンリーハーツというバンドでデビューした。

 1972年6月30日。

 そう、ビートルズが武道館公演の初日を迎えた日と同じ、6月30日に。

 デビューシングルは、そこそこ売れた。この頃は、まだ自分達のオリジナルなど作れるだけの技量もセンスも無かったから、与えられた楽曲をこなしていた。

 バンド名のロンリーハーツは、ビートルズのアルバムタイトル『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』から頂いた。最初は、そっくり頂くつもりだったが、余りにも長過ぎるからと横槍が入り、ロンリーハーツに落ち着いた。