新聞やラジオのニュースでは、今年は暖冬だと伝えているが、暖房など入らぬ拘置所の独居房では、余り感じられない。

 どんなに天気が良くても、差し込む太陽の光りは、僅かに窓際から便器迄の距離で、その温もりの享受を受けるのは、便座に座って用を足してる時だけ。

 入浴場の行き帰りに、廊下の寒暖計を覗き見ると、十二、三度前後だ。だから、天気の良い日は、外の方が暖かく感じる。

 運動場から見える梅の木が、今年は例年より早く花を咲かせていたから、確かに暖冬なのだろう。そういえば、昨日届いた彼女からの手紙にも、梅がきれいですよと書かれてあった。

 先月の半ば位から、毎週手紙が届くようになった。楽しみが新たに増えた事は、皮肉にも生きる喜びを感じさせてくれた。その事は、決して私に死への恐怖を助長させず、寧ろ、いつ迎えるか判らぬその日を怯えなくさせてくれた。

 三度の食事を噛み締めるようになり、本の一頁一頁をしっかりと焼き付け、ラジオから流れる音楽や言葉を私は一つ残らず血肉にしようとした。

 日々移り変わる草花の変化に気付くようになり、陽射しの温もりから季節が春に向かっている事を感じる。

 昨日と今日が、まるで同じという事はないんだと知った。代わり映えのしない毎日というのは嘘なのだ。

 今日と違う明日が必ずやって来る。

 この私にも……

 彼女の手紙からもそれがはっきりと判る。というより、私は彼女からその事を教えて貰ったのだ。日常の中のさりげない変化をいつも書いてくれていた。まるでたわいもない事でも、生きている事をこんなにも実感出来るなんて、そう思えるようになった事を返事の中に認める。

 放送の中で、彼女が私を呼ぶ言い方が変わった。

 以前は、イニシャルだけだったが、最近は、

『サクラのK・Kさん』

 と呼んでくれる。

 何となく面映ゆい感じがするが、サクラは私の場所を意味するものだから、さしずめ東京のとか、神奈川のというのと同じだ。手紙の中身は読んでは貰えないが、必ず私へと曲を掛けてくれる。

 私からのリクエストは、余り書かない。彼女が選んでくれるその事だけで充分だった。それに、私は余り曲名を知らないから、選んで貰った方が助かる。

 さて、今日はどう手紙を書こうか……