縮尺の天才七海と、踊る影のひみつ!

第1話 迷子と一分の町模型

「そこ、三十センチずれてる!」

 七海が指さすと、商店街の屋台を並べていたおじさんが、びっくりして足を止めた。
「三十センチって、なんでわかるんだい?」
「向こうのベンチと、こっちのテントの柱を見ればだいたい。あっ、でも最後は測ってくださいね。私の目もたまには外れます!」
「たまには、じゃなくて、ちゃんと測れよ」
 隣から口をはさんだのは、同じ中学校の蓮だ。段ボール箱を両腕に抱えているくせに、七海に小言を言う余裕だけはあるらしい。
「だから測ってって言ったでしょ!」
「先に自慢したのはおまえだろ」
 九月の土曜日。星ヶ丘市の商店街は、秋のにぎわい市の準備で朝から大忙しだった。七海は手作り模型の展示を手伝うため、蓮と一緒に来ていた。
 七海が得意なのは、建物や道を小さく縮めて作ること。窓の数も、階段の高さも、頭の中で立体にしてから紙に移せる。でも、正確な模型に仕上げるには実際に測って直す。それだけは、何百回失敗しても忘れないようにしてきた。
 忘れないようにしてきた、はずなのだけれど。
「七海、展示用の台紙は?」
「……あ」
 七海がかばんをのぞくと、色鉛筆は三箱も入っていたのに、台紙だけがない。
「おまえ、朝から何回目の『あ』だよ」
「数えてない!」
「数えたほうがいいと思う」
 言い返そうとした、そのときだった。

「男の子を見かけませんでしたか!」

 商店街の案内係の女性が、広場につながる通りを急いでいた。青い帽子をかぶった小学生の男の子が、お母さんとはぐれてしまったという。
 お母さんは案内所にいて、ほかの係の人たちが通りを手分けして確認している。けれど、目撃した人の話が一致しないらしい。
「風船の屋台のそばにいたって人と、古本屋さんの前で見たって人がいるの」
 女性は困った顔で、二つの方向を交互に見た。
 七海も見回した。風船屋は通りの東側。古本屋は西側の曲がり角にある。まっすぐ歩けば離れた場所だけれど、二人が嘘をついているとは思えない。
「帽子の色は、青で間違いないですか?」
「ええ。白いシャツに、青い帽子。お母さんから聞いてるわ」
「だったら、ちょっとだけ待って。いえ、待たなくていいです。探すのは続けてください!」
 七海は女性を引き止めかけ、慌てて言い直した。
「私は道の形を確かめます。蓮、そこの空き箱、借りてきて!」
「命令するな。……何に使うんだよ」
「この町を、一分で作るの!」

 お菓子の屋台のおばさんから空き箱を、洗濯ばさみを何個か借りて、七海はベンチの端に並べた。箱は建物、洗濯ばさみはテントの柱。丸めたチラシを通りに見立てる。
「こっちが風船屋で、こっちが古本屋。あれ? その間の細い道、屋台の幕で入り口が見えなくなってる」
 七海はチラシを折り、二つの通りをつないだ。
「こんなに近かったっけ?」
 蓮が首をかしげる。
「まだ仮の形。ほら、ここに『たぶん』って書いたでしょ」
 七海は紙片に大きく「たぶん」と書いて立てた。自信があるときほど、この紙片が必要なのだ。思い込みを本当の寸法と間違えたせいで、以前、学校の模型の階段を一段増やしてしまったことがある。
「おばさん、この裏道の幅って、わかりますか?」
「荷物を運ぶ台車が通るから、昨日測ったよ。一メートル八十センチ」
「ありがとう!」
 七海は箱の位置を少し動かした。横からのぞくと、先ほどは重なって見えた通路の先に、休憩用の低いベンチがあるはずだった。
「わかった。風船屋からだと、幕の向こうにあるベンチが隠れちゃう。でも古本屋の角からなら、反対側が見える。二人とも別の場所を見たんじゃなくて、同じ細道の入り口を見たのかも!」
「つまり、そこにいるってことか?」
「ううん、まだわからない。だけど、見落としやすい場所なのは確か」
 七海は案内係の女性に模型を見せ、通りの位置を指でなぞった。
「この休憩ベンチ、確認しましたか? 屋台の幕で、表から見えにくいんです」
「そこはまだよ。ほかの係にも伝えるわ」
 女性が連絡を取る間、七海と蓮は邪魔にならないよう屋台の脇に寄った。何もできずに待つ時間が、急に長く感じられる。
 もし模型が間違っていたら。あの子がもっと遠くへ行っていたら。
 七海は小さな「たぶん」の紙片を指で押さえた。模型なら、間違いに気づけば作り直せる。でも、迷子のお母さんの心配は、紙を貼り替えただけでは消えない。
「おまえが全部見つけなくてもいいんだぞ」
 蓮が、七海の指から曲がりかけた紙片をそっと戻した。
「係の人が探してる。おまえは、あの人たちが見落としそうな道を見つけたんだ」
「……知ってるよ」
 声が少し小さくなったのが悔しくて、七海は箱の角を指で整えた。

 数分後、通りの向こうから声がした。
「いたよ! ベンチで待ってた!」
 案内係の人と一緒に歩いてきた男の子は、青い帽子を両手で握っていた。風船を追いかけて曲がったあと、人が多くて戻る道がわからなくなり、教わったとおりその場で待っていたそうだ。
 案内所から駆けつけたお母さんがしゃがんで抱きしめると、男の子はようやく泣いた。
 七海は胸の奥が、じんわり温かくなるのを感じた。
「ありがとう。おかげで早く見つかったわ」
 女性にそう言われて、七海は照れながら首を横に振る。
「見つけてくれたのは係の人です。私は、箱を並べただけ」
「その箱が役に立ったんだろ」
 珍しく蓮がまじめに言うので、七海は思わず顔を見た。
「な、何? 急にほめるなんて」
「別に。おまえの模型、すごいと思っただけ」
「……じゃあ、もう一回言って」
「絶対に言わない」
 二人で言い合っているうちに、商店街にはいつものにぎやかさが戻ってきた。

 夕方、片づけを終えた七海は、広場へ続く道を蓮と歩いていた。風が少し冷たくなり、街灯がぽつぽつ点き始めている。
「そうだ。七海、かばんは?」
「持ってる……えっ、ない!」
「やっぱりな」
 蓮が背中から七海の通学かばんを出した。展示台の下に置きっぱなしだったのを、帰り際に拾ったという。
「自分の持ち物くらい、ちゃんと確認しろ」
「わかってるってば。今日だけ、ちょっと忙しかったんだもん」
「今日だけ?」
「そこは聞き流して!」
 七海がかばんを取り返したとき、風見広場を横切る風が、制服のすそをふわりと持ち上げた。
 広場の奥には、古い回廊と白っぽい壁がある。その壁の上を、細長い人影がすっと滑った。
 七海は足を止めた。
 影は腕を広げ、くるりと回ったように見えた。少し遅れて、もう一つの影が追いかける。まるで二人でダンスをしているみたいだ。
「……蓮、今の見た?」
「何を?」
 回廊の前には、踊っている人なんていない。灯りの届く壁だけが静かに残り、影は風と一緒に消えていた。
 七海の頭の中で、朝の箱の町がふっと浮かぶ。見えていない道があったように、今もどこかに、見えていない何かがあるのだろうか。
 もう一度、風が吹く。
 七海は白い壁から目を離せなかった。
「あの人形、だれが動かしたの?」
【終】