『学校とは、社会の縮図である』と誰かが言った。
強い者が威張り、弱い者が不条理を押し付けられる。正しいかどうかではなく、声が大きいかどうかがすべてを決める。
もしここが小さな社会なのだとしたら、私の居場所は最初から踏みつけられるための底辺にしか用意されていないのだろう。
✳✳✳
「あー、クッソ!イライラすんなぁ!!」
その荒々しい声を聞いた瞬間、私の背筋にツンと冷たいものが走った。
関わってはいけない。心の中でそう念じながら、私は必死に視線を机の上のノートに落として自分の存在を消そうと息を潜めた。
(お願い、誰もこっちに来ないで……早く終わって……)
心臓が警報ベルを鳴らすみたいに、ドックンドックンと脈打ち始める。だが、運命の足音はまっすぐに私の席へと近づいてきた。
「なに無視してんの。アンタに言ってんだけど!」
ガンッ!
机を思いっきり蹴られ、ビクッと肩を跳ねさせた。
恐る恐る顔を上げると、そこには不機嫌を絵に描いたような顔で私を見下ろすクラスのグループのリーダー格の姿が。
「ねぇ、宇野さん。私、掃除当番代われって言ったよね!」
言うが早いか、彼女の細い指先が私の制服の胸ぐらをぐっと掴んだ。セーラー服でも布地が引っ張られると首元が苦しくなる。
「だ、だって……私、今週の掃除当番じゃないし……それに、今日は……」
「だから何?そんなの関係ないんだけど」
彼女の不機嫌な声が私の言い訳を容赦なく遮る。掴まれた胸ぐらの力がさらに強まり、喉元が詰まるような息苦しさに胸が痛む。
周りを見渡しても、教室に残っている数人のクラスメイトは関わりたくないと言わんばかりに視線を逸らし、そそくさと鞄を持って出ていこうとしている。誰とも目が合わない。
二年一組、独裁政権。
このクラスを牛耳る問題児の麻里さん。
逃げ出したい。叫び出したい。『やめて』の一言でも吐き出せたらどれだけ楽だろうか。
冷たい孤立感が、冷や汗と一緒に背中を伝う。
「あのさぁ、宇野さんって本当使えないよね。ちょっと頼まれたくらいでグチグチ言わないでよ」
背後に立っていた取り巻きの子達が、クスクスと小馬鹿にするような笑い声をあげる。
「今日、放課後に予定あるから代わってって言ってんの。返事は?」
その瞳に宿る怒りが、私にこれ以上の拒絶を許さないのだと告げていた。
言われるがままに従うのが一番怪我をしない方法だと、心のどこかで分かっている。でも、このまま屈してしまったら、これから先もずっと彼女達の都合のいい存在であり続けてしまう―――そんな恐怖が頭をよぎる。
それでも……私は弱かった。
「……はい」
「よし、じゃあよろしくねー」
満足そうに鼻で笑うと、リーダー格の子は掴んでいた胸ぐらを乱暴に放した。乱れた制服を整える間もなく、彼女達は笑い合いながら教室を去っていく。
私―――宇野春奈は中学二年生。
クラスで目立たない陰キャだからか、いつからかこんな扱いを受けるのが日常になっていた。
でも、この冷たい理不尽さに慣れてしまったわけじゃない。慣れられるはずもない。
毎朝、玄関を出るだけで吐き気がするほど学校が怖くなった私を心配して、母はある場所を見つけてきてくれた。
ある県のある都市に、ぽつんと一軒建っていた。
ここは誰が来ても良い、安心できる場所。
その名は―――フリースクール『ココロの森』
ここに通うのは、様々な理由で学校に行きづらくなった子供達。
そしてその子供達の心を少しでも温める存在がここの先生達。
✳✳✳
午前七時過ぎ。
朝日にまぶたをくすぐられ、薄っすらと目を開けた。
のっそりと上半身を起こし、「んー……っ」と伸びをする。
眠気を少しでも紛らわせることができるように目元をこすった。
長年やってるこれは、もう癖になってしまっているようで、例え寝ていたとしても、少しでも眠りが浅ければ自動的に目元をこすってしまう。
癖って、なんだか健気で悲しいな。
そんなことを考えていたら頭が冴えてきて、視界も徐々にクリアになっていく。半分寝ていた脳がようやく起き出してくれたらしい。
リビングでもごもごと朝ご飯を食べて、時計をチラッと見るとそろそろ家を出る時間だった。
「……よし」
重い腰を上げて、食べ終わった食器を片付けて家を出た。
街は少しずつ動き始めている。遠くで車の走る音が聞こえ、制服を着た同じ中学生の集団が、笑い合いながら通り過ぎていく。
(……見ないようにしよう)
とっさに視線を足元に落とした。自分のスニーカーのつま先だけを見つめながら、歩幅を狭めて歩き出す。
同じ制服を着て、普通に学校へ向かう彼らと自分を比べてしまうのが怖かった。
『なんで自分はみんなと同じようにできないんだろう』
『なんで普通に学校に行けないんだろう』
そんな言葉が、頭の中でぐるぐると渦を巻く。
理由なんて自分でもハッキリ分からない。
電車に乗っていると、すぐ傍に見知った背中が見えた。
ゆったりとしたパーカーを着て、ワンニャン写真集を熱心に眺めている高校一年生の倫太郎くん。
「倫太郎くん、おはよー」
「おはよ、春奈」
倫太郎くんは、我が『ココロの森』が誇る一番のイケメンだ。噂によると、元々いた学校でもすごくモテていたらしい。けれど、威張ることもなく誰にでも分け隔てなく接してくれる彼の優しさに、私は何度も救われていた。
「ねね、知ってる?今日、悠先生の家庭実習あるらしいよ」
「あー、たっちゃんがグループメッセージではしゃいでたよな」
「うんうん!」
落ち込んでいた朝の気分が嘘のように吹き飛び、楽しく会話を交わしているうちに、あっという間に最寄り駅に着く。駅から少し歩くと、見慣れた温かみのある建物――ココロの森に辿り着いた。
ここに通うようになってから早三ヶ月。私は友達もできて思ったより馴染めていた。
「あ、おはよ〜!倫太郎くん、春奈ちゃん!!」
玄関に入るやいなや、職員室からパァァ!と効果音がつきそうな勢いで顔を出したのは、国語と英語を担当している時雨先生。
ここの先生はみんな、実はここの卒業生なんだって。
なんか不思議だよね。
「今日も来れたね、偉いぞ〜!飴玉あげようね」
「わ、ありがと……!」
渡された小さなイチゴ味の飴玉をありがたくポケットに突っ込む。
「毎度思うけど、時雨のお菓子ってレパートリー少ないよな」
「ひどいよ〜、僕達教職員は安月給なんだよ〜」
「買わなきゃ良いだろ。毎回、飴やらクッキーやら持ってきて」
「嫌だよ。みんなの喜ぶ顔が見たいもん」
時雨先生は口を尖らせて笑う。その姿はどこか子供っぽくて、大人なのに全然威張っていなくて、先生というより、年の離れた優しいお兄さんのようだ。
見ているだけで肩の力がすーっと抜けていくのが分かった。
「立ち話もなんだし、中入ろうぜ」
「はいはい、入った入ったー!」
時雨先生がパタパタと手を振って私達の背中を押す。
少し広めの部屋には、いつもの見慣れた大好きなメンバーがいた。
プロレスごっこをして怒られる律と藤和。雑誌を読みながらメイク用品などについて話している六花と坂田先生(あだ名・さかたん)などなど。
「ちょっと律ちゃん、藤和くん!朝から暴れないの!せっかく直した障子がまた破れちゃうでしょ〜!」
時雨先生の叫び声が響くけれど、当の二人にはまったく届いていない様子だ。
「時雨先生、甘い甘い!技をかけられてる俺の叫び声の方がでかいって!」
「今、藤和と勝負してんだ。私が勝ったら今日のおやつ譲ってくれるんだ!」
「うん、元気ダネー」
棒読みで返事をする時雨先生の呆れ顔に、部屋中から爆笑が巻き起こった。
「あ、春奈おはよ〜!見てこれ、このリップ超可愛くない?」
窓際のソファで雑誌を広げていた六花が、パッと顔を咲かせるように手を振ってくれた。
さかたんも丸メガネの奥の目を優しく細めて「おはよう、春奈ちゃん」と声をかけてくれる。
「わ、綺麗なピンク……!六花に絶対似合うよ!」
「でしょ〜!今度のお休みに買いに行こうかなって迷ってて。さかたんに相談してたの」
「良いじゃん、良いじゃん!私も行きたーい」
「じゃあ一緒に行く?ユンくんとたっちゃんも誘ってるから」
「やった!……あれ、ユンくんは?」
いつも誰よりも早くここに来て、鏡の前で丁寧にメイクやヘアセットをしているユンくんの姿が見当たらない。
珍しいな、と思って首を傾げると六花が少し真面目な顔で教えてくれた。
「ユンくんなら、今日は学校。大事な試験日なんだって」
「……頑張れ、高校二年生!」
グッとエールを送っておく。
ワイワイと計画を立てる私達を見ながらさかたんが「買い物行くんは結構やけど、お小遣いの範囲でやりくりするんやで〜」と、まるで本当のお兄さんみたいに優しく笑っていた。
部屋の反対側では、倫太郎くんが机に向かって真剣にノートを開いていた辰雄くん——通称たっちゃんに、勉強を教えてあげている。
「ここ、この公式を使うと一発で解けるぞ」
「うわ、マジだ!倫太郎くん教えるのすっげー上手!学校の先生より分かりやすいや」
「大げさだな」
照れくさそうに頭をかく倫太郎くんと、尊敬の目を輝かせるたっちゃん。
真剣な顔でノートを覗き込む二人並んだ後ろ姿は、本当の仲良し兄弟みたいで見ていてとても微笑ましかった。
✳✳✳
それから一時間ほど経ち、私達はみんなで台所に移動した。いよいよ今日のメインイベントである家庭実習の時間だ。
体育と総合を担当している悠先生は、時雨先生やさかたんと同じくここのOB。そして噂によると、昔はかなりやんちゃしていた元ヤンらしい。
がっしりした体格にワイルドな見た目だけれど、誰よりも親身になって話を聞いてくれる、頼れる兄貴分だ。
「良いかお前ら、ふざけて包丁で遊ぶなよ。校長のゲンコツが飛ぶぞ」
「それは昔のアンタだろ」
呆れたような声とともに、台所の入り口からひょっこり顔を出したのは校長先生だった。
かつてはあの先生ズを指導していた先生だったらしい。
見た目だけならまだ二十代半ばにしか見えないけれど、先生ズが二十代前半であることを考えると、きっと見た目以上に大人なんだろうなと思う。
ミステリアスだけど、漂う空気はどこまでも穏やかだ。
「えー、まぁ、今日何を作るのかと言うと……お前らの希望が一番多かったホットケーキだ。浮いた予算で果物やら生クリームやら買ってきてやったぞ」
悠先生がドンッと冷蔵庫からイチゴやブルーベリーの果物や自分で泡立てるタイプの生クリームを並べて誇らしげに胸を張った。
強い者が威張り、弱い者が不条理を押し付けられる。正しいかどうかではなく、声が大きいかどうかがすべてを決める。
もしここが小さな社会なのだとしたら、私の居場所は最初から踏みつけられるための底辺にしか用意されていないのだろう。
✳✳✳
「あー、クッソ!イライラすんなぁ!!」
その荒々しい声を聞いた瞬間、私の背筋にツンと冷たいものが走った。
関わってはいけない。心の中でそう念じながら、私は必死に視線を机の上のノートに落として自分の存在を消そうと息を潜めた。
(お願い、誰もこっちに来ないで……早く終わって……)
心臓が警報ベルを鳴らすみたいに、ドックンドックンと脈打ち始める。だが、運命の足音はまっすぐに私の席へと近づいてきた。
「なに無視してんの。アンタに言ってんだけど!」
ガンッ!
机を思いっきり蹴られ、ビクッと肩を跳ねさせた。
恐る恐る顔を上げると、そこには不機嫌を絵に描いたような顔で私を見下ろすクラスのグループのリーダー格の姿が。
「ねぇ、宇野さん。私、掃除当番代われって言ったよね!」
言うが早いか、彼女の細い指先が私の制服の胸ぐらをぐっと掴んだ。セーラー服でも布地が引っ張られると首元が苦しくなる。
「だ、だって……私、今週の掃除当番じゃないし……それに、今日は……」
「だから何?そんなの関係ないんだけど」
彼女の不機嫌な声が私の言い訳を容赦なく遮る。掴まれた胸ぐらの力がさらに強まり、喉元が詰まるような息苦しさに胸が痛む。
周りを見渡しても、教室に残っている数人のクラスメイトは関わりたくないと言わんばかりに視線を逸らし、そそくさと鞄を持って出ていこうとしている。誰とも目が合わない。
二年一組、独裁政権。
このクラスを牛耳る問題児の麻里さん。
逃げ出したい。叫び出したい。『やめて』の一言でも吐き出せたらどれだけ楽だろうか。
冷たい孤立感が、冷や汗と一緒に背中を伝う。
「あのさぁ、宇野さんって本当使えないよね。ちょっと頼まれたくらいでグチグチ言わないでよ」
背後に立っていた取り巻きの子達が、クスクスと小馬鹿にするような笑い声をあげる。
「今日、放課後に予定あるから代わってって言ってんの。返事は?」
その瞳に宿る怒りが、私にこれ以上の拒絶を許さないのだと告げていた。
言われるがままに従うのが一番怪我をしない方法だと、心のどこかで分かっている。でも、このまま屈してしまったら、これから先もずっと彼女達の都合のいい存在であり続けてしまう―――そんな恐怖が頭をよぎる。
それでも……私は弱かった。
「……はい」
「よし、じゃあよろしくねー」
満足そうに鼻で笑うと、リーダー格の子は掴んでいた胸ぐらを乱暴に放した。乱れた制服を整える間もなく、彼女達は笑い合いながら教室を去っていく。
私―――宇野春奈は中学二年生。
クラスで目立たない陰キャだからか、いつからかこんな扱いを受けるのが日常になっていた。
でも、この冷たい理不尽さに慣れてしまったわけじゃない。慣れられるはずもない。
毎朝、玄関を出るだけで吐き気がするほど学校が怖くなった私を心配して、母はある場所を見つけてきてくれた。
ある県のある都市に、ぽつんと一軒建っていた。
ここは誰が来ても良い、安心できる場所。
その名は―――フリースクール『ココロの森』
ここに通うのは、様々な理由で学校に行きづらくなった子供達。
そしてその子供達の心を少しでも温める存在がここの先生達。
✳✳✳
午前七時過ぎ。
朝日にまぶたをくすぐられ、薄っすらと目を開けた。
のっそりと上半身を起こし、「んー……っ」と伸びをする。
眠気を少しでも紛らわせることができるように目元をこすった。
長年やってるこれは、もう癖になってしまっているようで、例え寝ていたとしても、少しでも眠りが浅ければ自動的に目元をこすってしまう。
癖って、なんだか健気で悲しいな。
そんなことを考えていたら頭が冴えてきて、視界も徐々にクリアになっていく。半分寝ていた脳がようやく起き出してくれたらしい。
リビングでもごもごと朝ご飯を食べて、時計をチラッと見るとそろそろ家を出る時間だった。
「……よし」
重い腰を上げて、食べ終わった食器を片付けて家を出た。
街は少しずつ動き始めている。遠くで車の走る音が聞こえ、制服を着た同じ中学生の集団が、笑い合いながら通り過ぎていく。
(……見ないようにしよう)
とっさに視線を足元に落とした。自分のスニーカーのつま先だけを見つめながら、歩幅を狭めて歩き出す。
同じ制服を着て、普通に学校へ向かう彼らと自分を比べてしまうのが怖かった。
『なんで自分はみんなと同じようにできないんだろう』
『なんで普通に学校に行けないんだろう』
そんな言葉が、頭の中でぐるぐると渦を巻く。
理由なんて自分でもハッキリ分からない。
電車に乗っていると、すぐ傍に見知った背中が見えた。
ゆったりとしたパーカーを着て、ワンニャン写真集を熱心に眺めている高校一年生の倫太郎くん。
「倫太郎くん、おはよー」
「おはよ、春奈」
倫太郎くんは、我が『ココロの森』が誇る一番のイケメンだ。噂によると、元々いた学校でもすごくモテていたらしい。けれど、威張ることもなく誰にでも分け隔てなく接してくれる彼の優しさに、私は何度も救われていた。
「ねね、知ってる?今日、悠先生の家庭実習あるらしいよ」
「あー、たっちゃんがグループメッセージではしゃいでたよな」
「うんうん!」
落ち込んでいた朝の気分が嘘のように吹き飛び、楽しく会話を交わしているうちに、あっという間に最寄り駅に着く。駅から少し歩くと、見慣れた温かみのある建物――ココロの森に辿り着いた。
ここに通うようになってから早三ヶ月。私は友達もできて思ったより馴染めていた。
「あ、おはよ〜!倫太郎くん、春奈ちゃん!!」
玄関に入るやいなや、職員室からパァァ!と効果音がつきそうな勢いで顔を出したのは、国語と英語を担当している時雨先生。
ここの先生はみんな、実はここの卒業生なんだって。
なんか不思議だよね。
「今日も来れたね、偉いぞ〜!飴玉あげようね」
「わ、ありがと……!」
渡された小さなイチゴ味の飴玉をありがたくポケットに突っ込む。
「毎度思うけど、時雨のお菓子ってレパートリー少ないよな」
「ひどいよ〜、僕達教職員は安月給なんだよ〜」
「買わなきゃ良いだろ。毎回、飴やらクッキーやら持ってきて」
「嫌だよ。みんなの喜ぶ顔が見たいもん」
時雨先生は口を尖らせて笑う。その姿はどこか子供っぽくて、大人なのに全然威張っていなくて、先生というより、年の離れた優しいお兄さんのようだ。
見ているだけで肩の力がすーっと抜けていくのが分かった。
「立ち話もなんだし、中入ろうぜ」
「はいはい、入った入ったー!」
時雨先生がパタパタと手を振って私達の背中を押す。
少し広めの部屋には、いつもの見慣れた大好きなメンバーがいた。
プロレスごっこをして怒られる律と藤和。雑誌を読みながらメイク用品などについて話している六花と坂田先生(あだ名・さかたん)などなど。
「ちょっと律ちゃん、藤和くん!朝から暴れないの!せっかく直した障子がまた破れちゃうでしょ〜!」
時雨先生の叫び声が響くけれど、当の二人にはまったく届いていない様子だ。
「時雨先生、甘い甘い!技をかけられてる俺の叫び声の方がでかいって!」
「今、藤和と勝負してんだ。私が勝ったら今日のおやつ譲ってくれるんだ!」
「うん、元気ダネー」
棒読みで返事をする時雨先生の呆れ顔に、部屋中から爆笑が巻き起こった。
「あ、春奈おはよ〜!見てこれ、このリップ超可愛くない?」
窓際のソファで雑誌を広げていた六花が、パッと顔を咲かせるように手を振ってくれた。
さかたんも丸メガネの奥の目を優しく細めて「おはよう、春奈ちゃん」と声をかけてくれる。
「わ、綺麗なピンク……!六花に絶対似合うよ!」
「でしょ〜!今度のお休みに買いに行こうかなって迷ってて。さかたんに相談してたの」
「良いじゃん、良いじゃん!私も行きたーい」
「じゃあ一緒に行く?ユンくんとたっちゃんも誘ってるから」
「やった!……あれ、ユンくんは?」
いつも誰よりも早くここに来て、鏡の前で丁寧にメイクやヘアセットをしているユンくんの姿が見当たらない。
珍しいな、と思って首を傾げると六花が少し真面目な顔で教えてくれた。
「ユンくんなら、今日は学校。大事な試験日なんだって」
「……頑張れ、高校二年生!」
グッとエールを送っておく。
ワイワイと計画を立てる私達を見ながらさかたんが「買い物行くんは結構やけど、お小遣いの範囲でやりくりするんやで〜」と、まるで本当のお兄さんみたいに優しく笑っていた。
部屋の反対側では、倫太郎くんが机に向かって真剣にノートを開いていた辰雄くん——通称たっちゃんに、勉強を教えてあげている。
「ここ、この公式を使うと一発で解けるぞ」
「うわ、マジだ!倫太郎くん教えるのすっげー上手!学校の先生より分かりやすいや」
「大げさだな」
照れくさそうに頭をかく倫太郎くんと、尊敬の目を輝かせるたっちゃん。
真剣な顔でノートを覗き込む二人並んだ後ろ姿は、本当の仲良し兄弟みたいで見ていてとても微笑ましかった。
✳✳✳
それから一時間ほど経ち、私達はみんなで台所に移動した。いよいよ今日のメインイベントである家庭実習の時間だ。
体育と総合を担当している悠先生は、時雨先生やさかたんと同じくここのOB。そして噂によると、昔はかなりやんちゃしていた元ヤンらしい。
がっしりした体格にワイルドな見た目だけれど、誰よりも親身になって話を聞いてくれる、頼れる兄貴分だ。
「良いかお前ら、ふざけて包丁で遊ぶなよ。校長のゲンコツが飛ぶぞ」
「それは昔のアンタだろ」
呆れたような声とともに、台所の入り口からひょっこり顔を出したのは校長先生だった。
かつてはあの先生ズを指導していた先生だったらしい。
見た目だけならまだ二十代半ばにしか見えないけれど、先生ズが二十代前半であることを考えると、きっと見た目以上に大人なんだろうなと思う。
ミステリアスだけど、漂う空気はどこまでも穏やかだ。
「えー、まぁ、今日何を作るのかと言うと……お前らの希望が一番多かったホットケーキだ。浮いた予算で果物やら生クリームやら買ってきてやったぞ」
悠先生がドンッと冷蔵庫からイチゴやブルーベリーの果物や自分で泡立てるタイプの生クリームを並べて誇らしげに胸を張った。



