日曜日の夜。
葵はソファに座りながら、明日の予定を確認していた。
月曜日は朝から会議がある。
その後、クライアントとの打ち合わせ。
夕方には、先週提出した企画の修正も入る予定だった。
カレンダーをスクロールしていくと、来週の土曜日で指が止まった。
悠真と会う約束をしている。
葵はその予定を見て、少しだけ笑った。
「そういえば、来週はちゃんと休もう」
声に出してから、自分でも少しおかしくなる。
「ちゃんと休もう」なんて、仕事をするために休むみたいだ。
けれど、それが今の自分なのだと思う。
仕事は嫌いではない。
むしろ好きだった。
自分が考えた企画が形になり、クライアントから評価されるのは嬉しい。
忙しいけれど、やりがいはある。
今頑張れば、きっともっと大きな仕事を任せてもらえる。
そうなれば、将来の選択肢も増える。
悠真との生活だって、いつか落ち着いたら考えればいい。
葵はそう思っていた。
スマートフォンが鳴った。
悠真から電話だった。
「もしもし?」
『今、大丈夫?』
「うん。大丈夫だよ」
『何してた?』
「来週の仕事の予定、ちょっと確認してた」
『そっか』
悠真の声はいつも通り穏やかだった。
少しだけ間があった。
『来週の土曜日、覚えてる?』
「もちろん。会う約束してるでしょ」
『うん』
葵は笑った。
「どこ行く?」
『葵が行きたいところでいいよ』
「じゃあ、最近できたイタリアンとかどう?」
『いいね』
そこまで話して、また沈黙が落ちた。
葵はテレビの音を少し小さくする。
「どうしたの?」
『いや……なんでもない』
「そう?」
『うん』
悠真は少し笑った。
『じゃあ、来週楽しみにしてる』
「私も」
電話を切る。
葵はスマートフォンをテーブルに置いた。
なんとなく、今の会話が短かった気がした。
けれど、昔と比べてどうなのかまでは考えなかった。
四年も付き合っている。
話すことが少なくなるのは、普通なのかもしれない。
何でも話さなくても、分かり合えるようになる。
葵は、それを「慣れ」だと思っていた。
その頃、悠真は一人で自宅の窓から外を眺めていた。
電話を切ったスマートフォンを、テーブルの上に置く。
葵と話せた。
それだけで嬉しい。
それなのに、どこか物足りなかった。
昔なら、電話を切ったあとも自然と会話が続いた。
明日の予定。
週末の計画。
最近見つけた店。
くだらない話。
眠くなるまで話していた。
今は違う。
葵が忙しいことは分かっている。
仕事を頑張っていることも知っている。
だから、寂しいなんて言えなかった。
言えば、葵を困らせる気がした。
「……仕方ないよな」
誰もいない部屋で、悠真は小さく呟いた。
四年も付き合っていれば、最初の頃と同じではいられない。
そう自分に言い聞かせる。
それでも、ふとした瞬間に思う。
自分たちは、いつからこんなに話さなくなったのだろう。
いつから、会うことを「予定」にしなければならなくなったのだろう。
答えは出なかった。
翌週の土曜日。
二人は約束していた店で待ち合わせた。
「ごめん、待った?」
「ううん。今来たところ」
悠真が笑う。
葵も笑い返す。
久しぶりに会ったはずなのに、不思議と緊張しなかった。
付き合い始めた頃なら、会えるだけで胸が高鳴った。
今は、隣にいることが自然だった。
それは悪いことではない。
葵はそう思った。
「最近どう?」
「忙しいよ。でも、ちょっと大きい案件任せてもらえることになって」
「そっか。よかったな」
「うん」
葵は嬉しそうに話す。
悠真は黙って聞いている。
仕事の話をする葵が好きだった。
自分の目標を話すときの彼女は、いつも生き生きしている。
だからこそ、悠真は思ってしまう。
その中に、自分の居場所はあるのだろうか。
けれど、口にはしなかった。
「悠真は?」
「俺?」
「最近、仕事どうなの?」
「まあまあかな」
「そっか」
会話が途切れる。
店内には、食器の触れ合う音と周囲の話し声が流れている。
葵は水を一口飲んだ。
「ねえ、今度さ」
「うん?」
「前に話してた旅行、行かない?」
悠真が少し驚いた顔をした。
「旅行?」
「うん。温泉とか。二泊くらいで」
「……いいね」
悠真は笑った。
「いつ行く?」
葵は少し考える。
「来月……は厳しいかな。再来月なら」
「再来月か」
「うん。仕事が落ち着くと思うから」
「そっか」
悠真はそれ以上何も言わなかった。
葵は気づかない。
「いつか行こう」と話していた旅行が、いつの間にか「仕事が落ち着いたら行くもの」になっていたことに。
そして、その「いつか」が二人にとって、少しずつ遠い言葉になっていたことにも。
食事を終えたあと、二人は駅まで並んで歩いた。
「今日は楽しかった」
葵が言う。
「俺も」
悠真も答える。
改札の前で、二人は立ち止まった。
「じゃあ、またね」
「うん。また連絡する」
葵は手を振って、改札の向こうへ歩いていく。
悠真はその背中をしばらく見つめていた。
やがて人混みに葵の姿が消える。
そのとき、悠真の胸に小さな違和感が残った。
楽しかった。
確かに楽しかった。
それなのに。
なぜか、ひどく遠く感じた。
悠真は一人で駅を出た。
そして、まだ言葉にならない寂しさを抱えたまま、静かな夜道を歩いていった。
葵はソファに座りながら、明日の予定を確認していた。
月曜日は朝から会議がある。
その後、クライアントとの打ち合わせ。
夕方には、先週提出した企画の修正も入る予定だった。
カレンダーをスクロールしていくと、来週の土曜日で指が止まった。
悠真と会う約束をしている。
葵はその予定を見て、少しだけ笑った。
「そういえば、来週はちゃんと休もう」
声に出してから、自分でも少しおかしくなる。
「ちゃんと休もう」なんて、仕事をするために休むみたいだ。
けれど、それが今の自分なのだと思う。
仕事は嫌いではない。
むしろ好きだった。
自分が考えた企画が形になり、クライアントから評価されるのは嬉しい。
忙しいけれど、やりがいはある。
今頑張れば、きっともっと大きな仕事を任せてもらえる。
そうなれば、将来の選択肢も増える。
悠真との生活だって、いつか落ち着いたら考えればいい。
葵はそう思っていた。
スマートフォンが鳴った。
悠真から電話だった。
「もしもし?」
『今、大丈夫?』
「うん。大丈夫だよ」
『何してた?』
「来週の仕事の予定、ちょっと確認してた」
『そっか』
悠真の声はいつも通り穏やかだった。
少しだけ間があった。
『来週の土曜日、覚えてる?』
「もちろん。会う約束してるでしょ」
『うん』
葵は笑った。
「どこ行く?」
『葵が行きたいところでいいよ』
「じゃあ、最近できたイタリアンとかどう?」
『いいね』
そこまで話して、また沈黙が落ちた。
葵はテレビの音を少し小さくする。
「どうしたの?」
『いや……なんでもない』
「そう?」
『うん』
悠真は少し笑った。
『じゃあ、来週楽しみにしてる』
「私も」
電話を切る。
葵はスマートフォンをテーブルに置いた。
なんとなく、今の会話が短かった気がした。
けれど、昔と比べてどうなのかまでは考えなかった。
四年も付き合っている。
話すことが少なくなるのは、普通なのかもしれない。
何でも話さなくても、分かり合えるようになる。
葵は、それを「慣れ」だと思っていた。
その頃、悠真は一人で自宅の窓から外を眺めていた。
電話を切ったスマートフォンを、テーブルの上に置く。
葵と話せた。
それだけで嬉しい。
それなのに、どこか物足りなかった。
昔なら、電話を切ったあとも自然と会話が続いた。
明日の予定。
週末の計画。
最近見つけた店。
くだらない話。
眠くなるまで話していた。
今は違う。
葵が忙しいことは分かっている。
仕事を頑張っていることも知っている。
だから、寂しいなんて言えなかった。
言えば、葵を困らせる気がした。
「……仕方ないよな」
誰もいない部屋で、悠真は小さく呟いた。
四年も付き合っていれば、最初の頃と同じではいられない。
そう自分に言い聞かせる。
それでも、ふとした瞬間に思う。
自分たちは、いつからこんなに話さなくなったのだろう。
いつから、会うことを「予定」にしなければならなくなったのだろう。
答えは出なかった。
翌週の土曜日。
二人は約束していた店で待ち合わせた。
「ごめん、待った?」
「ううん。今来たところ」
悠真が笑う。
葵も笑い返す。
久しぶりに会ったはずなのに、不思議と緊張しなかった。
付き合い始めた頃なら、会えるだけで胸が高鳴った。
今は、隣にいることが自然だった。
それは悪いことではない。
葵はそう思った。
「最近どう?」
「忙しいよ。でも、ちょっと大きい案件任せてもらえることになって」
「そっか。よかったな」
「うん」
葵は嬉しそうに話す。
悠真は黙って聞いている。
仕事の話をする葵が好きだった。
自分の目標を話すときの彼女は、いつも生き生きしている。
だからこそ、悠真は思ってしまう。
その中に、自分の居場所はあるのだろうか。
けれど、口にはしなかった。
「悠真は?」
「俺?」
「最近、仕事どうなの?」
「まあまあかな」
「そっか」
会話が途切れる。
店内には、食器の触れ合う音と周囲の話し声が流れている。
葵は水を一口飲んだ。
「ねえ、今度さ」
「うん?」
「前に話してた旅行、行かない?」
悠真が少し驚いた顔をした。
「旅行?」
「うん。温泉とか。二泊くらいで」
「……いいね」
悠真は笑った。
「いつ行く?」
葵は少し考える。
「来月……は厳しいかな。再来月なら」
「再来月か」
「うん。仕事が落ち着くと思うから」
「そっか」
悠真はそれ以上何も言わなかった。
葵は気づかない。
「いつか行こう」と話していた旅行が、いつの間にか「仕事が落ち着いたら行くもの」になっていたことに。
そして、その「いつか」が二人にとって、少しずつ遠い言葉になっていたことにも。
食事を終えたあと、二人は駅まで並んで歩いた。
「今日は楽しかった」
葵が言う。
「俺も」
悠真も答える。
改札の前で、二人は立ち止まった。
「じゃあ、またね」
「うん。また連絡する」
葵は手を振って、改札の向こうへ歩いていく。
悠真はその背中をしばらく見つめていた。
やがて人混みに葵の姿が消える。
そのとき、悠真の胸に小さな違和感が残った。
楽しかった。
確かに楽しかった。
それなのに。
なぜか、ひどく遠く感じた。
悠真は一人で駅を出た。
そして、まだ言葉にならない寂しさを抱えたまま、静かな夜道を歩いていった。



