二月の初め。
朝の空は、冬らしい薄い青色をしていた。
校庭の端には、数日前に降った雪がまだ少しだけ残っている。
日なたではもう溶け始めているけれど、校舎の影になっているところには白いかたまりが残り、登校してきた生徒たちが珍しそうに足を止めていた。
「寒いね」
「うん」
陽菜乃は白い息を吐きながら、校門をくぐった。
今日は美緒と一緒だ。
最近は一人で登校することにも慣れた。
少し前までなら、朝の道に湊がいないだけで落ち着かなかったのに。
自分も変わったと思う。
でも。
変わったからこそ。
分かったこともあった。
「陽菜乃」
「なに?」
「昨日から、また考え込んでない?」
美緒が顔をのぞき込む。
「……分かる?」
「分かるよ」
「そんなに?」
「うん。今朝なんて信号青なのに三秒くらい止まってたし」
「えっ」
「後ろの人に抜かされてた」
「全然気づかなかった……」
陽菜乃は恥ずかしくなって、マフラーへ口元を隠した。
昨日。
ダンス部の冬季発表会があった。
大きな舞台。
緊張して。
何度も失敗を想像して。
それでも最後まで踊り切った。
終わったあと。
陽菜乃が人混みの中で最初に探した人。
それは――湊だった。
そのことが。
ずっと胸から離れない。
「答え、出た?」
美緒が小さな声で聞いた。
陽菜乃は少し黙ってから。
「……たぶん」
答えた。
「そっか」
美緒は、それ以上何も聞かなかった。
ただ、
「じゃあ、ちゃんと伝えないとね」
とだけ言った。
「……うん」
陽菜乃は小さくうなずいた。
でも。
最初に話さなくてはいけない相手は。
湊ではなかった。
教室へ入る。
「おはよう」
「おはよー!」
クラスメイトたちの声。
陽菜乃は自分の席へ向かいながら。
自然に、後ろの席を見た。
柊真。
もう来ている。
机に頬杖をつきながら、スマホを見ていた。
「柊真くん」
呼ぶ。
柊真が顔を上げる。
「おはよ」
「おはよう」
いつも通り。
そのことが。
陽菜乃には少し苦しかった。
昨日も。
発表会を見に来てくれた。
差し入れも。
陽菜乃の好きないちご味のお菓子。
何度も。
自分のことを見ていてくれた。
柊真の気持ちは。
もう分かっている。
だからこそ。
曖昧なままではいけない。
「柊真くん」
「ん?」
「今日、放課後……少し時間ある?」
柊真の表情が。
ほんの少しだけ変わった。
「あるけど」
「話したいことがあるの」
「……分かった」
たぶん。
柊真には。
もう何の話なのか分かっているのかもしれない。
それでも。
何も聞かずに。
「じゃあ放課後」
と答えてくれた。
その日の授業は。
いつもより長く感じた。
黒板に書かれる文字。
先生の声。
ページをめくる音。
全部。
いつもと同じなのに。
陽菜乃だけが、何度も時計を見てしまう。
昼休み。
「陽菜乃、食べないの?」
美緒が聞く。
「食べてるよ」
「全然減ってない」
「……」
お弁当を見る。
まだ半分以上残っていた。
「緊張してる?」
「うん」
「水野くんと話すから?」
「……うん」
陽菜乃は箸を置いた。
「私」
小さく言う。
「柊真くんのこと、傷つけるよね」
美緒はすぐに否定しなかった。
「たぶん」
「……」
「でも」
美緒が続ける。
「言わないほうが、もっと傷つくんじゃない?」
陽菜乃は顔を上げる。
「水野くん、ずっと陽菜乃の気持ち待ってたんでしょ?」
「うん」
「だったら、ちゃんと答えるのも大事だと思う」
「……うん」
分かっている。
だから。
今日、話す。
柊真の優しさに甘えたままではいけない。
放課後。
校舎の裏にある小さな中庭。
冬の冷たい風が。
枯れた木々の枝を揺らしていた。
生徒の姿は少ない。
部活動へ向かう声が、遠くから聞こえる。
陽菜乃はベンチの前で立っていた。
「待った?」
声に振り返る。
「柊真くん」
黒いコートを羽織った柊真が歩いてくる。
「ううん。今来たところ」
「そっか」
それから。
二人とも黙った。
いつもなら。
柊真が何か言って。
陽菜乃が笑って。
すぐに会話が始まる。
でも今日は。
何を言えばいいのか分からない。
「……話」
柊真が先に言った。
「あるんだろ」
「うん」
陽菜乃は自分の手を握った。
手袋はしていない。
指先が少し冷たい。
「私ね」
声が。
思っていたより小さくなった。
「ずっと考えてた」
「うん」
「湊のことも」
柊真の表情は変わらない。
「柊真くんのことも」
「……うん」
「どっちが大切かとか」
言葉にしてから。
少し違うと思った。
「違う」
「え?」
「どっちも大切なの」
陽菜乃は柊真を見る。
「同じじゃないけど」
湊は。
幼い頃からずっと一緒だった。
初恋だった。
思い出が多すぎるくらいある。
柊真は。
高校二年になって出会った。
怖いと思っていたのに。
本当は優しくて。
陽菜乃が一人で困っている時。
何度もそばにいてくれた。
「柊真くんといると」
陽菜乃は続ける。
「安心する」
「……」
「楽しいし」
クリスマス。
初詣。
学校の昼休み。
帰り道。
全部。
大切だった。
「会えないと寂しいって思った」
「うん」
「ほかの女の子と話してるの見て、嫌だって思ったこともある」
柊真の目が少し動く。
「だから」
陽菜乃は一度、視線を落とした。
「私、柊真くんを好きになったんだと思ってた」
「……思ってた?」
その言葉に。
陽菜乃の胸が痛む。
「うん」
逃げない。
ちゃんと。
全部言う。
「でも昨日」
顔を上げる。
「ダンスが終わって」
「……」
「ロビーに出た時」
たくさんの人。
応援してくれた友達。
家族。
柊真。
そして。
「私、一番に探した人がいたの」
柊真は何も言わない。
でも。
もう分かっているような顔だった。
「……成瀬?」
「うん」
陽菜乃は答えた。
嘘をつかなかった。
「湊だった」
冬の風が。
二人の間を通り抜ける。
「目が合った瞬間」
陽菜乃は胸元へ手を置く。
「すごく嬉しかった」
「……」
「来てくれたことも」
「うん」
「見ててくれたことも」
「……うん」
「一番、湊に褒めてもらいたかったんだって分かった」
言葉にすると。
答えが。
ますますはっきりしていく。
「柊真くん」
陽菜乃の声が震えた。
「ごめんなさい」
「……」
「私が好きなのは」
唇をきゅっと結ぶ。
そして。
「湊です」
やっと。
言えた。
しばらく。
柊真は何も言わなかった。
陽菜乃も。
言葉を続けられない。
「……そっか」
やがて。
柊真が小さく言った。
「うん」
陽菜乃は俯く。
「ごめんなさい」
「だから謝んなって」
「でも……」
「陽菜乃」
少し強い声。
顔を上げる。
「俺」
柊真はポケットへ手を入れながら。
少しだけ笑った。
「最初から分かってたよ」
「え?」
「お前が成瀬見る時の顔」
「……」
「全然違うから」
胸が痛くなる。
「だったら」
陽菜乃は思わず言った。
「どうして……」
「諦めなかったか?」
「……うん」
「好きだったから」
答えは簡単だった。
「俺だって」
柊真は少しだけ苦笑する。
「もしかしたらって思った」
「……」
「実際、クリスマスとか」
「うん」
「結構いい感じだっただろ?」
陽菜乃の顔が少し熱くなる。
「……うん」
「だから」
柊真は笑った。
「期待した」
その笑顔が。
少しだけ寂しそうで。
陽菜乃の胸がぎゅっとなる。
「ごめん」
「また」
「だって……」
「陽菜乃が俺のこと、何とも思ってなかったなら」
柊真は言う。
「たぶんもっとへこんでる」
「え?」
「ちゃんと俺にも心動いてたんだろ?」
「……うん」
それだけは。
嘘じゃない。
「すごく」
「なら」
柊真は少しだけ顔をそらす。
「俺、結構頑張ったじゃん」
思わず。
陽菜乃は笑ってしまった。
「そこで笑う?」
「ご、ごめん」
「まあいいけど」
柊真も笑った。
「ねえ」
陽菜乃は少し迷ってから。
「私」
続ける。
「柊真くんのこと、好きになりかけた気持ちも」
「うん」
「なかったことにはしたくない」
柊真がこちらを見る。
「本当に大切だったから」
「……」
「傷ついてた私を」
あの頃。
美羽と湊を見て。
何度も。
自分から離れようとした。
その時。
「いっぱい助けてくれた」
「うん」
「柊真くんがいなかったら」
陽菜乃は少しだけ笑った。
「私、ずっと一人で泣いてたかもしれない」
「泣いてた?」
「たぶん」
「陽菜乃、我慢するからな」
「……うん」
「もっと泣けばよかったのに」
「なんで?」
「そしたら俺が慰めた」
「……」
陽菜乃は、また少し笑った。
「やっぱり優しいね」
「今それ言う?」
「だって本当」
柊真は少し困ったように眉を下げる。
「それ以上言うと、また好きになるからやめろ」
「……え」
「冗談」
そう言ったけれど。
たぶん。
全部冗談ではない。
「でも」
柊真が続ける。
「一個だけ約束して」
「なに?」
「成瀬のところ行くなら」
まっすぐ陽菜乃を見る。
「もう逃げんなよ」
「……」
「美羽がどうとか」
「うん」
「噂がどうとか」
「うん」
「勝手に一人で決めて離れんな」
「……うん」
「ちゃんと本人に聞け」
「うん」
陽菜乃は。
今度はしっかりうなずいた。
「約束する」
「ならいい」
教室へ戻る途中。
二人で廊下を歩いた。
窓の外は。
夕方の色になり始めている。
「柊真くん」
「ん?」
「これからも友達でいてくれる?」
柊真が足を止めた。
「……それ今聞く?」
「だめ?」
「正直、少し時間ほしい」
「……そっか」
胸が少し沈む。
でも。
当たり前だ。
今日。
自分は。
柊真の気持ちを断った。
「ごめ――」
「謝るなって」
「あ……」
「ただ」
柊真が笑う。
「ずっと避けるとかはしねえよ」
「ほんと?」
「ああ」
「よかった」
陽菜乃がほっとすると。
「そんな嬉しそうにするなよ」
「え?」
「こっちは振られた直後なんだけど」
「……ごめん」
「だから!」
二人とも。
少しだけ笑った。
たぶん。
明日からすぐに。
何もなかったようには戻れない。
でも。
柊真との時間は。
これからも。
陽菜乃の高校生活の大切な思い出になる。
校門を出る。
「じゃ」
柊真が言う。
「うん」
「成瀬にちゃんと言えよ」
「……うん」
「また変なところで怖がんな」
「分かってる」
「ほんとか?」
「ほんと!」
「信用できねえ」
「もう!」
最後まで。
いつものやり取り。
でも。
柊真が背を向けた時。
陽菜乃の胸は。
少しだけ痛かった。
「柊真くん」
呼び止める。
「何」
「……ありがとう」
柊真は。
少しだけ黙って。
「うん」
それだけ答えた。
そして。
今度こそ歩いていった。
一人になった陽菜乃は。
ゆっくり歩き出した。
空は淡い夕焼け。
冷たい風が。
髪を揺らす。
胸は。
少し寂しい。
でも。
不思議なくらい。
すっきりしていた。
もう。
分からないふりをしない。
陽菜乃は。
ちゃんと自分で選んだ。
柊真への気持ちも。
大切だった。
嘘ではなかった。
でも。
一番。
会いたい人。
一番。
笑ってほしい人。
一番。
自分の隣にいてほしい人。
「……湊」
名前を口にする。
それだけで。
胸が。
きゅっと。
あたたかくなる。
スマホを取り出す。
湊とのトーク画面。
指が。
少しだけ震える。
『今日、話せる?』
打つ。
でも。
送信する前に。
手が止まった。
(また怖がってる)
自分で気づく。
柊真との約束。
『もう逃げんなよ』
「……うん」
陽菜乃は小さくつぶやいた。
そして。
送信。
『今日、話せる?』
すぐ。
既読がついた。
数秒後。
『話せる。どうした?』
陽菜乃は画面を見つめた。
返事を打つ。
『ちゃんと返事したい』
今度は。
迷わなかった。
隣の家。
自分の部屋でスマホを見ていた湊は。
そのメッセージを読んだまま。
動けなくなっていた。
『ちゃんと返事したい』
「……」
心臓が。
信じられないくらい速い。
いい返事なのか。
悪い返事なのか。
分からない。
でも。
明日。
陽菜乃から。
答えを聞く。
湊はスマホを握った。
「……待ってる」
誰にも聞こえない声で。
そうつぶやいた。
長くすれ違った二人の恋が。
今度こそ。
同じ場所へ向かおうとしていた。
朝の空は、冬らしい薄い青色をしていた。
校庭の端には、数日前に降った雪がまだ少しだけ残っている。
日なたではもう溶け始めているけれど、校舎の影になっているところには白いかたまりが残り、登校してきた生徒たちが珍しそうに足を止めていた。
「寒いね」
「うん」
陽菜乃は白い息を吐きながら、校門をくぐった。
今日は美緒と一緒だ。
最近は一人で登校することにも慣れた。
少し前までなら、朝の道に湊がいないだけで落ち着かなかったのに。
自分も変わったと思う。
でも。
変わったからこそ。
分かったこともあった。
「陽菜乃」
「なに?」
「昨日から、また考え込んでない?」
美緒が顔をのぞき込む。
「……分かる?」
「分かるよ」
「そんなに?」
「うん。今朝なんて信号青なのに三秒くらい止まってたし」
「えっ」
「後ろの人に抜かされてた」
「全然気づかなかった……」
陽菜乃は恥ずかしくなって、マフラーへ口元を隠した。
昨日。
ダンス部の冬季発表会があった。
大きな舞台。
緊張して。
何度も失敗を想像して。
それでも最後まで踊り切った。
終わったあと。
陽菜乃が人混みの中で最初に探した人。
それは――湊だった。
そのことが。
ずっと胸から離れない。
「答え、出た?」
美緒が小さな声で聞いた。
陽菜乃は少し黙ってから。
「……たぶん」
答えた。
「そっか」
美緒は、それ以上何も聞かなかった。
ただ、
「じゃあ、ちゃんと伝えないとね」
とだけ言った。
「……うん」
陽菜乃は小さくうなずいた。
でも。
最初に話さなくてはいけない相手は。
湊ではなかった。
教室へ入る。
「おはよう」
「おはよー!」
クラスメイトたちの声。
陽菜乃は自分の席へ向かいながら。
自然に、後ろの席を見た。
柊真。
もう来ている。
机に頬杖をつきながら、スマホを見ていた。
「柊真くん」
呼ぶ。
柊真が顔を上げる。
「おはよ」
「おはよう」
いつも通り。
そのことが。
陽菜乃には少し苦しかった。
昨日も。
発表会を見に来てくれた。
差し入れも。
陽菜乃の好きないちご味のお菓子。
何度も。
自分のことを見ていてくれた。
柊真の気持ちは。
もう分かっている。
だからこそ。
曖昧なままではいけない。
「柊真くん」
「ん?」
「今日、放課後……少し時間ある?」
柊真の表情が。
ほんの少しだけ変わった。
「あるけど」
「話したいことがあるの」
「……分かった」
たぶん。
柊真には。
もう何の話なのか分かっているのかもしれない。
それでも。
何も聞かずに。
「じゃあ放課後」
と答えてくれた。
その日の授業は。
いつもより長く感じた。
黒板に書かれる文字。
先生の声。
ページをめくる音。
全部。
いつもと同じなのに。
陽菜乃だけが、何度も時計を見てしまう。
昼休み。
「陽菜乃、食べないの?」
美緒が聞く。
「食べてるよ」
「全然減ってない」
「……」
お弁当を見る。
まだ半分以上残っていた。
「緊張してる?」
「うん」
「水野くんと話すから?」
「……うん」
陽菜乃は箸を置いた。
「私」
小さく言う。
「柊真くんのこと、傷つけるよね」
美緒はすぐに否定しなかった。
「たぶん」
「……」
「でも」
美緒が続ける。
「言わないほうが、もっと傷つくんじゃない?」
陽菜乃は顔を上げる。
「水野くん、ずっと陽菜乃の気持ち待ってたんでしょ?」
「うん」
「だったら、ちゃんと答えるのも大事だと思う」
「……うん」
分かっている。
だから。
今日、話す。
柊真の優しさに甘えたままではいけない。
放課後。
校舎の裏にある小さな中庭。
冬の冷たい風が。
枯れた木々の枝を揺らしていた。
生徒の姿は少ない。
部活動へ向かう声が、遠くから聞こえる。
陽菜乃はベンチの前で立っていた。
「待った?」
声に振り返る。
「柊真くん」
黒いコートを羽織った柊真が歩いてくる。
「ううん。今来たところ」
「そっか」
それから。
二人とも黙った。
いつもなら。
柊真が何か言って。
陽菜乃が笑って。
すぐに会話が始まる。
でも今日は。
何を言えばいいのか分からない。
「……話」
柊真が先に言った。
「あるんだろ」
「うん」
陽菜乃は自分の手を握った。
手袋はしていない。
指先が少し冷たい。
「私ね」
声が。
思っていたより小さくなった。
「ずっと考えてた」
「うん」
「湊のことも」
柊真の表情は変わらない。
「柊真くんのことも」
「……うん」
「どっちが大切かとか」
言葉にしてから。
少し違うと思った。
「違う」
「え?」
「どっちも大切なの」
陽菜乃は柊真を見る。
「同じじゃないけど」
湊は。
幼い頃からずっと一緒だった。
初恋だった。
思い出が多すぎるくらいある。
柊真は。
高校二年になって出会った。
怖いと思っていたのに。
本当は優しくて。
陽菜乃が一人で困っている時。
何度もそばにいてくれた。
「柊真くんといると」
陽菜乃は続ける。
「安心する」
「……」
「楽しいし」
クリスマス。
初詣。
学校の昼休み。
帰り道。
全部。
大切だった。
「会えないと寂しいって思った」
「うん」
「ほかの女の子と話してるの見て、嫌だって思ったこともある」
柊真の目が少し動く。
「だから」
陽菜乃は一度、視線を落とした。
「私、柊真くんを好きになったんだと思ってた」
「……思ってた?」
その言葉に。
陽菜乃の胸が痛む。
「うん」
逃げない。
ちゃんと。
全部言う。
「でも昨日」
顔を上げる。
「ダンスが終わって」
「……」
「ロビーに出た時」
たくさんの人。
応援してくれた友達。
家族。
柊真。
そして。
「私、一番に探した人がいたの」
柊真は何も言わない。
でも。
もう分かっているような顔だった。
「……成瀬?」
「うん」
陽菜乃は答えた。
嘘をつかなかった。
「湊だった」
冬の風が。
二人の間を通り抜ける。
「目が合った瞬間」
陽菜乃は胸元へ手を置く。
「すごく嬉しかった」
「……」
「来てくれたことも」
「うん」
「見ててくれたことも」
「……うん」
「一番、湊に褒めてもらいたかったんだって分かった」
言葉にすると。
答えが。
ますますはっきりしていく。
「柊真くん」
陽菜乃の声が震えた。
「ごめんなさい」
「……」
「私が好きなのは」
唇をきゅっと結ぶ。
そして。
「湊です」
やっと。
言えた。
しばらく。
柊真は何も言わなかった。
陽菜乃も。
言葉を続けられない。
「……そっか」
やがて。
柊真が小さく言った。
「うん」
陽菜乃は俯く。
「ごめんなさい」
「だから謝んなって」
「でも……」
「陽菜乃」
少し強い声。
顔を上げる。
「俺」
柊真はポケットへ手を入れながら。
少しだけ笑った。
「最初から分かってたよ」
「え?」
「お前が成瀬見る時の顔」
「……」
「全然違うから」
胸が痛くなる。
「だったら」
陽菜乃は思わず言った。
「どうして……」
「諦めなかったか?」
「……うん」
「好きだったから」
答えは簡単だった。
「俺だって」
柊真は少しだけ苦笑する。
「もしかしたらって思った」
「……」
「実際、クリスマスとか」
「うん」
「結構いい感じだっただろ?」
陽菜乃の顔が少し熱くなる。
「……うん」
「だから」
柊真は笑った。
「期待した」
その笑顔が。
少しだけ寂しそうで。
陽菜乃の胸がぎゅっとなる。
「ごめん」
「また」
「だって……」
「陽菜乃が俺のこと、何とも思ってなかったなら」
柊真は言う。
「たぶんもっとへこんでる」
「え?」
「ちゃんと俺にも心動いてたんだろ?」
「……うん」
それだけは。
嘘じゃない。
「すごく」
「なら」
柊真は少しだけ顔をそらす。
「俺、結構頑張ったじゃん」
思わず。
陽菜乃は笑ってしまった。
「そこで笑う?」
「ご、ごめん」
「まあいいけど」
柊真も笑った。
「ねえ」
陽菜乃は少し迷ってから。
「私」
続ける。
「柊真くんのこと、好きになりかけた気持ちも」
「うん」
「なかったことにはしたくない」
柊真がこちらを見る。
「本当に大切だったから」
「……」
「傷ついてた私を」
あの頃。
美羽と湊を見て。
何度も。
自分から離れようとした。
その時。
「いっぱい助けてくれた」
「うん」
「柊真くんがいなかったら」
陽菜乃は少しだけ笑った。
「私、ずっと一人で泣いてたかもしれない」
「泣いてた?」
「たぶん」
「陽菜乃、我慢するからな」
「……うん」
「もっと泣けばよかったのに」
「なんで?」
「そしたら俺が慰めた」
「……」
陽菜乃は、また少し笑った。
「やっぱり優しいね」
「今それ言う?」
「だって本当」
柊真は少し困ったように眉を下げる。
「それ以上言うと、また好きになるからやめろ」
「……え」
「冗談」
そう言ったけれど。
たぶん。
全部冗談ではない。
「でも」
柊真が続ける。
「一個だけ約束して」
「なに?」
「成瀬のところ行くなら」
まっすぐ陽菜乃を見る。
「もう逃げんなよ」
「……」
「美羽がどうとか」
「うん」
「噂がどうとか」
「うん」
「勝手に一人で決めて離れんな」
「……うん」
「ちゃんと本人に聞け」
「うん」
陽菜乃は。
今度はしっかりうなずいた。
「約束する」
「ならいい」
教室へ戻る途中。
二人で廊下を歩いた。
窓の外は。
夕方の色になり始めている。
「柊真くん」
「ん?」
「これからも友達でいてくれる?」
柊真が足を止めた。
「……それ今聞く?」
「だめ?」
「正直、少し時間ほしい」
「……そっか」
胸が少し沈む。
でも。
当たり前だ。
今日。
自分は。
柊真の気持ちを断った。
「ごめ――」
「謝るなって」
「あ……」
「ただ」
柊真が笑う。
「ずっと避けるとかはしねえよ」
「ほんと?」
「ああ」
「よかった」
陽菜乃がほっとすると。
「そんな嬉しそうにするなよ」
「え?」
「こっちは振られた直後なんだけど」
「……ごめん」
「だから!」
二人とも。
少しだけ笑った。
たぶん。
明日からすぐに。
何もなかったようには戻れない。
でも。
柊真との時間は。
これからも。
陽菜乃の高校生活の大切な思い出になる。
校門を出る。
「じゃ」
柊真が言う。
「うん」
「成瀬にちゃんと言えよ」
「……うん」
「また変なところで怖がんな」
「分かってる」
「ほんとか?」
「ほんと!」
「信用できねえ」
「もう!」
最後まで。
いつものやり取り。
でも。
柊真が背を向けた時。
陽菜乃の胸は。
少しだけ痛かった。
「柊真くん」
呼び止める。
「何」
「……ありがとう」
柊真は。
少しだけ黙って。
「うん」
それだけ答えた。
そして。
今度こそ歩いていった。
一人になった陽菜乃は。
ゆっくり歩き出した。
空は淡い夕焼け。
冷たい風が。
髪を揺らす。
胸は。
少し寂しい。
でも。
不思議なくらい。
すっきりしていた。
もう。
分からないふりをしない。
陽菜乃は。
ちゃんと自分で選んだ。
柊真への気持ちも。
大切だった。
嘘ではなかった。
でも。
一番。
会いたい人。
一番。
笑ってほしい人。
一番。
自分の隣にいてほしい人。
「……湊」
名前を口にする。
それだけで。
胸が。
きゅっと。
あたたかくなる。
スマホを取り出す。
湊とのトーク画面。
指が。
少しだけ震える。
『今日、話せる?』
打つ。
でも。
送信する前に。
手が止まった。
(また怖がってる)
自分で気づく。
柊真との約束。
『もう逃げんなよ』
「……うん」
陽菜乃は小さくつぶやいた。
そして。
送信。
『今日、話せる?』
すぐ。
既読がついた。
数秒後。
『話せる。どうした?』
陽菜乃は画面を見つめた。
返事を打つ。
『ちゃんと返事したい』
今度は。
迷わなかった。
隣の家。
自分の部屋でスマホを見ていた湊は。
そのメッセージを読んだまま。
動けなくなっていた。
『ちゃんと返事したい』
「……」
心臓が。
信じられないくらい速い。
いい返事なのか。
悪い返事なのか。
分からない。
でも。
明日。
陽菜乃から。
答えを聞く。
湊はスマホを握った。
「……待ってる」
誰にも聞こえない声で。
そうつぶやいた。
長くすれ違った二人の恋が。
今度こそ。
同じ場所へ向かおうとしていた。

