一月一日。
新しい年の朝は、驚くほどきれいに晴れていた。
窓を開けると、冷たい空気が一気に部屋へ入り込んでくる。
「さむっ……!」
小宮山陽菜乃は慌てて窓を閉め、両手をこすり合わせた。
空は淡い水色。
遠くに見える家々の屋根が、朝の光を受けて白く輝いている。
いつもの住宅街なのに、元日の朝というだけで少し特別に見えた。
「陽菜乃ー! お雑煮できたわよ!」
「はーい!」
母の声に返事をして、陽菜乃は階段を下りた。
リビングには、お正月らしい料理が並んでいる。
お雑煮。
黒豆。
伊達巻き。
テーブルの中央には、小さな重箱。
「明けましておめでとう」
「おめでとう」
「今年もよろしくね」
家族で新年の挨拶をして、席につく。
けれど。
お雑煮を食べながら、陽菜乃は何度か隣の家のほうを気にしてしまった。
成瀬家。
昨日。
湊から聞いた言葉が、まだ胸の中に残っている。
『俺が好きなのは、ずっと陽菜乃』
何年も。
ずっと聞きたかった。
夢みたいだった言葉。
なのに陽菜乃は、まだ返事をしていない。
できなかった。
嬉しかった。
本当に。
でも。
今の陽菜乃の胸の中には、湊だけではない人がいる。
「陽菜乃」
「え?」
姉の結衣が、向かい側からじっと見ていた。
「お餅、さっきから全然減ってないよ」
「……ほんとだ」
「考え事?」
「ちょっとだけ」
「恋?」
「お姉ちゃん!」
陽菜乃は慌てて周りを見る。
母は台所。
父はテレビ。
聞かれていないようで、ほっとする。
「声大きい……」
「陽菜乃のほうが大きいよ」
「もう」
結衣は楽しそうに笑った。
「今日、初詣行くんでしょ?」
「うん」
「誰と?」
「美緒ちゃんと莉子ちゃんと、クラスのみんな」
「水野くんも?」
陽菜乃の箸が一瞬止まる。
「……来るよ」
「へえ」
「だから何?」
「何も言ってないって」
「顔が言ってる」
陽菜乃は頬をふくらませた。
今日は、二人きりではない。
美緒と莉子。
柊真。
それからクラスの友達数人。
冬休みに入る前から、みんなで初詣へ行こうと話していたのだ。
だから。
今日、柊真に会うことを楽しみにしているからといって。
特別な意味があるわけでは――。
「……」
そこまで考えて。
陽菜乃は、自分で分からなくなった。
(本当に……ないのかな)
午後一時。
陽菜乃は駅前の待ち合わせ場所へ向かった。
白いコート。
淡いピンク色のマフラー。
足元は歩きやすいブーツ。
両手には、クリスマスに柊真からもらった白い手袋。
手首の小さないちごの刺しゅうを見ると、自然に頬がゆるむ。
「陽菜乃ー!」
「美緒ちゃん!」
駅前には、もう何人か集まっていた。
美緒。
莉子。
クラスの男子二人。
そして。
少し離れた柱の近くに、柊真。
「明けましておめでとう!」
「おめでとう!」
みんなで新年の挨拶をする。
陽菜乃も一人ずつ顔を見て。
最後に柊真を見る。
「柊真くん、明けましておめでとう」
「あけおめ」
「今年もよろしくね」
「こちらこそ」
柊真が少し笑った。
それだけで。
胸の中がふわっと温かくなる。
そして柊真の視線が、陽菜乃の手元で止まった。
「……それ」
「え?」
「手袋」
陽菜乃は少しだけ嬉しくなった。
「気づいた?」
「そりゃ気づくだろ」
「今日もつけてきた」
「気に入った?」
「うん。すごく」
陽菜乃が笑う。
柊真は少しだけ顔をそらした。
「……そっか」
「水野くん、照れてる?」
莉子がすぐ横から口を挟む。
「照れてねえ」
「今絶対照れてた!」
「うるせえ」
「陽菜乃も顔赤いよ?」
「えっ!」
「ほらー!」
「莉子ちゃん!」
みんなが笑う。
陽菜乃は恥ずかしくて、マフラーへ口元を隠した。
(もう……)
でも。
嫌ではなかった。
◇
神社へ近づくにつれ、人がどんどん増えていった。
大きな赤い鳥居。
その向こうには、長い参拝の列。
屋台もたくさん並んでいる。
「たこ焼き!」
「参拝してから!」
「えー!」
莉子と美緒が言い合いながら笑っている。
陽菜乃もその後ろを歩いていた。
けれど。
元日の神社は、思っていた以上に混雑していた。
「わっ」
後ろから人に押され、陽菜乃の体が少しよろける。
「陽菜乃」
すぐに腕をつかまれた。
柊真。
「大丈夫?」
「う、うん」
「ちゃんと前見ろ」
「見てたよ」
「じゃあなんでぶつかるんだよ」
「人が多いから……」
「はいはい」
柊真が陽菜乃を、人の流れから少し外れた場所へ寄せる。
「美緒ちゃんたち……」
前を見る。
美緒と莉子の姿が、人の間に見えたり消えたりしている。
「はぐれそう」
「じゃあ」
柊真は少し考えて。
「袖つかんどけ」
「え?」
「またどっか行かれたら探すの面倒」
「行かないよ」
「信用できない」
「もう……」
そう言いながら。
陽菜乃は、柊真のコートの袖をそっとつまんだ。
その瞬間。
胸がどきっとした。
昔から。
人混みで不安になると。
いつも湊の袖をつかんでいた。
でも今は。
その手が自然に伸びた相手は、柊真。
「陽菜乃」
「なに?」
「強く握りすぎ」
「えっ」
慌てて少し力をゆるめる。
「ご、ごめん」
「別にいいけど」
柊真が小さく笑った。
それだけなのに。
陽菜乃の胸は、なかなか落ち着かなかった。
「やっと着いたー!」
みんなで長い列を進み、ようやく本殿の前へたどり着いた。
一人ずつお賽銭を入れる。
陽菜乃も小銭を入れて。
二礼。
二拍手。
そっと目を閉じた。
(今年も家族みんな元気でいられますように)
まずは、いつもの願い。
それから。
陽菜乃は少し迷った。
去年までなら。
同じ願いをしていた。
湊とずっと一緒にいられますように。
いつか、湊に好きになってもらえますように。
でも。
今年は。
(……ちゃんと自分の気持ちを決められますように)
そう願った。
湊が好き。
その気持ちは本物。
ずっと長い間。
陽菜乃の中にあった。
でも。
柊真といる時の安心。
会えると嬉しい気持ち。
ほかの女の子と話しているだけで気になったこと。
それも。
なかったことにはできない。
(誰かに決めてもらうんじゃなくて)
自分で。
選びたい。
陽菜乃はゆっくり目を開けた。
「陽菜乃、長い!」
横から美緒が笑う。
「え?」
「お願い何個したの?」
「一個だよ」
「絶対三個くらいある」
「ないってば」
陽菜乃も笑った。
「次、おみくじ!」
莉子の一声で、みんなでおみくじを引くことになった。
「せーので開けようよ!」
「子どもか」
柊真が言う。
「水野くんもやるの!」
「はいはい」
「じゃあ、せーの!」
一斉に開く。
「やった! 大吉!」
美緒が喜ぶ。
「私は中吉!」
莉子も嬉しそう。
陽菜乃は。
「……吉」
「いいじゃん!」
「うん」
そして。
隣の柊真を見る。
「柊真くんは?」
「大吉」
「えっ」
「何」
「ずるい」
「俺のせいじゃねえだろ」
「いいなあ」
陽菜乃は柊真のおみくじをのぞこうとする。
「見せて」
「やだ」
「どうして?」
「お前、恋愛見るだろ」
「見ないよ!」
「今目がそこ行ってた」
「……ちょっとだけ」
「正直だな」
柊真が笑う。
「じゃあ陽菜乃の見せろ」
「えっ!」
陽菜乃は反射的に自分のおみくじを胸元へ隠した。
「怪しい」
「怪しくない!」
本当は。
隠した理由がある。
恋愛。
そこには。
『焦らず心を見つめよ。近くにいる人を大切に』
と書かれていた。
見た瞬間。
陽菜乃の頭に浮かんだ人。
それが。
自分でも少し意外だった。
(……柊真くん)
慌てておみくじを閉じる。
「陽菜乃」
「なに?」
「顔赤い」
「寒いから!」
「それさっきも言ってた」
「寒いんだもん!」
陽菜乃は逃げるように、おみくじを結びに行った。
参拝を終えたあとは、みんなで屋台を回った。
「陽菜乃、何食べる?」
「甘酒」
「また熱いの選ぶ」
「今日はちゃんと気をつけるもん」
柊真に言われて、陽菜乃は少しむっとする。
「笑わないでね」
「まだ笑ってない」
「絶対笑うと思ってるでしょう?」
「ちょっと」
「もう」
甘酒を受け取り。
陽菜乃は何度も息を吹きかける。
「ふー……」
「長い」
「猫舌なんだから仕方ないでしょ」
「貸せ」
「え?」
柊真が紙コップを受け取った。
少しだけ冷たい空気に当ててから、陽菜乃へ返す。
「これならいけるだろ」
「……ありがとう」
一口。
「あったかい」
「よかったな」
陽菜乃は笑った。
昔。
湊にも、似たようなことをしてもらったことがある。
熱い飲み物を冷ましてもらったり。
寒い日にカイロを渡してもらったり。
それが嬉しかった。
でも。
今は。
柊真がしてくれたことを。
柊真だから嬉しいと思っている。
(……違うんだ)
湊の代わりではない。
柊真は。
柊真。
そう思った時。
胸が小さく鳴った。
「陽菜乃?」
突然。
聞き慣れた声がした。
陽菜乃の体が少しだけ固まる。
振り返る。
「……湊」
少し離れた場所に、湊が立っていた。
隣には悠人。
「明けましておめでとう」
陽菜乃が先に笑う。
「……おめでとう」
「悠人くんも」
「あけおめ、陽菜乃ちゃん」
「今年もよろしくお願いします」
それから。
湊の視線が。
陽菜乃の手元へ向かう。
柊真の袖。
陽菜乃がつかんでいる。
「あ……」
気づいた。
離そうとした。
でも。
一瞬。
手が止まった。
(どうして離すの?)
柊真とは。
何も悪いことをしていない。
付き合っているわけでもない。
ただ、人混みではぐれないようにつかんでいただけ。
陽菜乃は。
慌てて離すことをやめた。
「水野も来てたんだ」
湊が言う。
「みんなで来たの」
陽菜乃はすぐに答えた。
美緒たちのほうを見る。
「クラスのみんなと」
「ああ……」
湊の顔が、ほんの少しだけやわらいだ。
陽菜乃はその変化に気づいた。
(もしかして)
柊真と二人だと思った?
そんな考えが浮かんで。
胸が少しだけ落ち着かなくなる。
「湊は?」
「悠人たちと」
「そっか」
「……うん」
短い会話。
昨日。
好きだと告白されたばかりなのに。
何を話したらいいのか分からない。
「陽菜乃」
「なに?」
「昨日のこと」
胸が跳ねる。
周りには。
美緒たちも。
柊真もいる。
湊もそれに気づいたようだった。
「……いや」
「え?」
「今じゃない」
湊は少しだけ笑った。
「返事、急がなくていいって言ったし」
「……うん」
「ちゃんと考えて」
「ありがとう」
その言葉を聞いた瞬間。
陽菜乃の胸が少しだけ温かくなった。
以前の湊なら。
自分の気持ちを優先していたかもしれない。
でも今は。
待ってくれる。
陽菜乃が決めるまで。
「じゃあ、また」
「うん」
湊と悠人は、人混みの向こうへ歩いていった。
陽菜乃は、その背中をしばらく見つめた。
「陽菜乃」
美緒に呼ばれる。
「大丈夫?」
「……うん」
「成瀬くんと何かあった?」
一瞬。
答えるか迷った。
「昨日ね」
陽菜乃は小さな声で言った。
「好きって言われた」
「えっ!?」
美緒が目を大きくする。
「声大きい!」
「ご、ごめん!」
莉子も近づいてくる。
「何何?」
「あとで!」
陽菜乃は慌てた。
でも。
すぐ横。
柊真も聞いていた。
「……」
目が合う。
「柊真くん」
「俺、向こう見てくる」
「え?」
柊真が少しだけ距離を取ろうとする。
陽菜乃は反射的に、袖をつかんだ。
「待って」
「……何?」
「行かないで」
自分でも驚いた。
でも。
今。
柊真に離れてほしくなかった。
柊真の目が少しだけ揺れる。
「陽菜乃」
「ごめん」
「何が」
「私……ちゃんと話したい」
美緒と莉子は、空気を読んだのか。
「私たち、あっちの屋台見てくるね」
「う、うん」
二人が離れていく。
少し静かになる。
「湊に」
陽菜乃はゆっくり言った。
「ずっと好きだったって言われた」
「……そっか」
「私も」
柊真の表情が少しだけ変わる。
「ずっと湊が好きだった」
言葉にすると。
やっぱり胸は動く。
「だから」
陽菜乃は自分の手袋を見る。
「本当なら……すぐ嬉しいって言えたはずなの」
「うん」
「でも、言えなかった」
「……」
「柊真くんのことが浮かんだから」
柊真がこちらを見る。
「陽菜乃」
「私ね」
まだ答えは分からない。
でも。
これだけは。
ちゃんと伝えたかった。
「柊真くんといると、すごく安心する」
「……」
「学校にいないと寂しかったし」
あの日。
何度も空いた席を見た。
「クリスマスも楽しかった」
「うん」
「今日も」
陽菜乃は少しだけ笑う。
「みんなで来るって聞いた時、柊真くんも来るって分かって……嬉しかった」
言いながら、顔が熱くなる。
「だから」
陽菜乃は困ったように笑った。
「私、自分が何を思ってるのか分からなくなっちゃった」
柊真は黙って聞いていた。
そして。
「じゃあ今は決めんな」
「え?」
「分かんねえなら」
柊真はいつもの少しぶっきらぼうな声で言う。
「俺のこと好きって言う必要もないし」
「……」
「成瀬選ぶ必要もない」
陽菜乃は目を丸くした。
「でも」
「陽菜乃が決めることだろ」
「……うん」
「俺は」
柊真は少しだけ視線をそらす。
「陽菜乃に無理して俺を選ばれても嬉しくねえし」
胸がぎゅっとなる。
優しい。
本当に。
「……ありがとう」
「またそれ」
「だって」
「でも」
柊真が陽菜乃を見る。
「俺が好きなのは変わらないけど」
「……え?」
今度は陽菜乃が固まった。
「何その顔」
「だ、だって!」
「言ってなかったっけ?」
「ちゃんとは聞いてない!」
「じゃあ今言った」
「……!」
頬が一気に熱くなる。
「ずるい」
「何が」
「そんな普通に言う」
「本当だから」
陽菜乃は何も言えなくなった。
心臓が。
ひどくうるさい。
しばらくして。
みんなと合流し、駅へ向かう。
人混みは少し減っていた。
もう袖をつかむ必要はない。
陽菜乃も。
柊真から手を離した。
でも。
さっきより距離が離れたように感じる。
(……寂しい)
そう思って。
すぐ自分で驚いた。
でも。
手は伸ばさなかった。
今は。
そこまでしてしまったら。
自分の気持ちを決めたように見えてしまう気がしたから。
陽菜乃は、ただ。
柊真の隣を歩いた。
それだけ。
でも。
その距離が心地よかった。
夜。
部屋へ戻った陽菜乃は。
今日引いたおみくじを机の上に置いた。
『焦らず心を見つめよ。近くにいる人を大切に』
「……」
その隣には。
湊から誕生日にもらった白い花の髪飾り。
そして。
柊真からもらった白い手袋。
二つを並べて見る。
どちらも大切。
でも。
どちらを見た時に胸がどう動くのか。
陽菜乃は。
今までより少しだけ。
自分の気持ちを見ようとしていた。
「急がなくていい」
柊真が言ってくれた。
湊も。
『返事は急がなくていい』
と言ってくれた。
二人とも。
待ってくれている。
だから。
今度こそ。
思い込みで決めない。
噂にも逃げない。
誰かに言われたからでもない。
陽菜乃自身が。
ちゃんと答えを出す。
「……私が本当に好きなのは、誰?」
小さくつぶやく。
すぐには答えは出なかった。
でも。
胸の奥。
ずっと隠れていた答えが。
少しずつ。
陽菜乃自身に見つけてもらうのを。
待っているような気がした。
新しい年の朝は、驚くほどきれいに晴れていた。
窓を開けると、冷たい空気が一気に部屋へ入り込んでくる。
「さむっ……!」
小宮山陽菜乃は慌てて窓を閉め、両手をこすり合わせた。
空は淡い水色。
遠くに見える家々の屋根が、朝の光を受けて白く輝いている。
いつもの住宅街なのに、元日の朝というだけで少し特別に見えた。
「陽菜乃ー! お雑煮できたわよ!」
「はーい!」
母の声に返事をして、陽菜乃は階段を下りた。
リビングには、お正月らしい料理が並んでいる。
お雑煮。
黒豆。
伊達巻き。
テーブルの中央には、小さな重箱。
「明けましておめでとう」
「おめでとう」
「今年もよろしくね」
家族で新年の挨拶をして、席につく。
けれど。
お雑煮を食べながら、陽菜乃は何度か隣の家のほうを気にしてしまった。
成瀬家。
昨日。
湊から聞いた言葉が、まだ胸の中に残っている。
『俺が好きなのは、ずっと陽菜乃』
何年も。
ずっと聞きたかった。
夢みたいだった言葉。
なのに陽菜乃は、まだ返事をしていない。
できなかった。
嬉しかった。
本当に。
でも。
今の陽菜乃の胸の中には、湊だけではない人がいる。
「陽菜乃」
「え?」
姉の結衣が、向かい側からじっと見ていた。
「お餅、さっきから全然減ってないよ」
「……ほんとだ」
「考え事?」
「ちょっとだけ」
「恋?」
「お姉ちゃん!」
陽菜乃は慌てて周りを見る。
母は台所。
父はテレビ。
聞かれていないようで、ほっとする。
「声大きい……」
「陽菜乃のほうが大きいよ」
「もう」
結衣は楽しそうに笑った。
「今日、初詣行くんでしょ?」
「うん」
「誰と?」
「美緒ちゃんと莉子ちゃんと、クラスのみんな」
「水野くんも?」
陽菜乃の箸が一瞬止まる。
「……来るよ」
「へえ」
「だから何?」
「何も言ってないって」
「顔が言ってる」
陽菜乃は頬をふくらませた。
今日は、二人きりではない。
美緒と莉子。
柊真。
それからクラスの友達数人。
冬休みに入る前から、みんなで初詣へ行こうと話していたのだ。
だから。
今日、柊真に会うことを楽しみにしているからといって。
特別な意味があるわけでは――。
「……」
そこまで考えて。
陽菜乃は、自分で分からなくなった。
(本当に……ないのかな)
午後一時。
陽菜乃は駅前の待ち合わせ場所へ向かった。
白いコート。
淡いピンク色のマフラー。
足元は歩きやすいブーツ。
両手には、クリスマスに柊真からもらった白い手袋。
手首の小さないちごの刺しゅうを見ると、自然に頬がゆるむ。
「陽菜乃ー!」
「美緒ちゃん!」
駅前には、もう何人か集まっていた。
美緒。
莉子。
クラスの男子二人。
そして。
少し離れた柱の近くに、柊真。
「明けましておめでとう!」
「おめでとう!」
みんなで新年の挨拶をする。
陽菜乃も一人ずつ顔を見て。
最後に柊真を見る。
「柊真くん、明けましておめでとう」
「あけおめ」
「今年もよろしくね」
「こちらこそ」
柊真が少し笑った。
それだけで。
胸の中がふわっと温かくなる。
そして柊真の視線が、陽菜乃の手元で止まった。
「……それ」
「え?」
「手袋」
陽菜乃は少しだけ嬉しくなった。
「気づいた?」
「そりゃ気づくだろ」
「今日もつけてきた」
「気に入った?」
「うん。すごく」
陽菜乃が笑う。
柊真は少しだけ顔をそらした。
「……そっか」
「水野くん、照れてる?」
莉子がすぐ横から口を挟む。
「照れてねえ」
「今絶対照れてた!」
「うるせえ」
「陽菜乃も顔赤いよ?」
「えっ!」
「ほらー!」
「莉子ちゃん!」
みんなが笑う。
陽菜乃は恥ずかしくて、マフラーへ口元を隠した。
(もう……)
でも。
嫌ではなかった。
◇
神社へ近づくにつれ、人がどんどん増えていった。
大きな赤い鳥居。
その向こうには、長い参拝の列。
屋台もたくさん並んでいる。
「たこ焼き!」
「参拝してから!」
「えー!」
莉子と美緒が言い合いながら笑っている。
陽菜乃もその後ろを歩いていた。
けれど。
元日の神社は、思っていた以上に混雑していた。
「わっ」
後ろから人に押され、陽菜乃の体が少しよろける。
「陽菜乃」
すぐに腕をつかまれた。
柊真。
「大丈夫?」
「う、うん」
「ちゃんと前見ろ」
「見てたよ」
「じゃあなんでぶつかるんだよ」
「人が多いから……」
「はいはい」
柊真が陽菜乃を、人の流れから少し外れた場所へ寄せる。
「美緒ちゃんたち……」
前を見る。
美緒と莉子の姿が、人の間に見えたり消えたりしている。
「はぐれそう」
「じゃあ」
柊真は少し考えて。
「袖つかんどけ」
「え?」
「またどっか行かれたら探すの面倒」
「行かないよ」
「信用できない」
「もう……」
そう言いながら。
陽菜乃は、柊真のコートの袖をそっとつまんだ。
その瞬間。
胸がどきっとした。
昔から。
人混みで不安になると。
いつも湊の袖をつかんでいた。
でも今は。
その手が自然に伸びた相手は、柊真。
「陽菜乃」
「なに?」
「強く握りすぎ」
「えっ」
慌てて少し力をゆるめる。
「ご、ごめん」
「別にいいけど」
柊真が小さく笑った。
それだけなのに。
陽菜乃の胸は、なかなか落ち着かなかった。
「やっと着いたー!」
みんなで長い列を進み、ようやく本殿の前へたどり着いた。
一人ずつお賽銭を入れる。
陽菜乃も小銭を入れて。
二礼。
二拍手。
そっと目を閉じた。
(今年も家族みんな元気でいられますように)
まずは、いつもの願い。
それから。
陽菜乃は少し迷った。
去年までなら。
同じ願いをしていた。
湊とずっと一緒にいられますように。
いつか、湊に好きになってもらえますように。
でも。
今年は。
(……ちゃんと自分の気持ちを決められますように)
そう願った。
湊が好き。
その気持ちは本物。
ずっと長い間。
陽菜乃の中にあった。
でも。
柊真といる時の安心。
会えると嬉しい気持ち。
ほかの女の子と話しているだけで気になったこと。
それも。
なかったことにはできない。
(誰かに決めてもらうんじゃなくて)
自分で。
選びたい。
陽菜乃はゆっくり目を開けた。
「陽菜乃、長い!」
横から美緒が笑う。
「え?」
「お願い何個したの?」
「一個だよ」
「絶対三個くらいある」
「ないってば」
陽菜乃も笑った。
「次、おみくじ!」
莉子の一声で、みんなでおみくじを引くことになった。
「せーので開けようよ!」
「子どもか」
柊真が言う。
「水野くんもやるの!」
「はいはい」
「じゃあ、せーの!」
一斉に開く。
「やった! 大吉!」
美緒が喜ぶ。
「私は中吉!」
莉子も嬉しそう。
陽菜乃は。
「……吉」
「いいじゃん!」
「うん」
そして。
隣の柊真を見る。
「柊真くんは?」
「大吉」
「えっ」
「何」
「ずるい」
「俺のせいじゃねえだろ」
「いいなあ」
陽菜乃は柊真のおみくじをのぞこうとする。
「見せて」
「やだ」
「どうして?」
「お前、恋愛見るだろ」
「見ないよ!」
「今目がそこ行ってた」
「……ちょっとだけ」
「正直だな」
柊真が笑う。
「じゃあ陽菜乃の見せろ」
「えっ!」
陽菜乃は反射的に自分のおみくじを胸元へ隠した。
「怪しい」
「怪しくない!」
本当は。
隠した理由がある。
恋愛。
そこには。
『焦らず心を見つめよ。近くにいる人を大切に』
と書かれていた。
見た瞬間。
陽菜乃の頭に浮かんだ人。
それが。
自分でも少し意外だった。
(……柊真くん)
慌てておみくじを閉じる。
「陽菜乃」
「なに?」
「顔赤い」
「寒いから!」
「それさっきも言ってた」
「寒いんだもん!」
陽菜乃は逃げるように、おみくじを結びに行った。
参拝を終えたあとは、みんなで屋台を回った。
「陽菜乃、何食べる?」
「甘酒」
「また熱いの選ぶ」
「今日はちゃんと気をつけるもん」
柊真に言われて、陽菜乃は少しむっとする。
「笑わないでね」
「まだ笑ってない」
「絶対笑うと思ってるでしょう?」
「ちょっと」
「もう」
甘酒を受け取り。
陽菜乃は何度も息を吹きかける。
「ふー……」
「長い」
「猫舌なんだから仕方ないでしょ」
「貸せ」
「え?」
柊真が紙コップを受け取った。
少しだけ冷たい空気に当ててから、陽菜乃へ返す。
「これならいけるだろ」
「……ありがとう」
一口。
「あったかい」
「よかったな」
陽菜乃は笑った。
昔。
湊にも、似たようなことをしてもらったことがある。
熱い飲み物を冷ましてもらったり。
寒い日にカイロを渡してもらったり。
それが嬉しかった。
でも。
今は。
柊真がしてくれたことを。
柊真だから嬉しいと思っている。
(……違うんだ)
湊の代わりではない。
柊真は。
柊真。
そう思った時。
胸が小さく鳴った。
「陽菜乃?」
突然。
聞き慣れた声がした。
陽菜乃の体が少しだけ固まる。
振り返る。
「……湊」
少し離れた場所に、湊が立っていた。
隣には悠人。
「明けましておめでとう」
陽菜乃が先に笑う。
「……おめでとう」
「悠人くんも」
「あけおめ、陽菜乃ちゃん」
「今年もよろしくお願いします」
それから。
湊の視線が。
陽菜乃の手元へ向かう。
柊真の袖。
陽菜乃がつかんでいる。
「あ……」
気づいた。
離そうとした。
でも。
一瞬。
手が止まった。
(どうして離すの?)
柊真とは。
何も悪いことをしていない。
付き合っているわけでもない。
ただ、人混みではぐれないようにつかんでいただけ。
陽菜乃は。
慌てて離すことをやめた。
「水野も来てたんだ」
湊が言う。
「みんなで来たの」
陽菜乃はすぐに答えた。
美緒たちのほうを見る。
「クラスのみんなと」
「ああ……」
湊の顔が、ほんの少しだけやわらいだ。
陽菜乃はその変化に気づいた。
(もしかして)
柊真と二人だと思った?
そんな考えが浮かんで。
胸が少しだけ落ち着かなくなる。
「湊は?」
「悠人たちと」
「そっか」
「……うん」
短い会話。
昨日。
好きだと告白されたばかりなのに。
何を話したらいいのか分からない。
「陽菜乃」
「なに?」
「昨日のこと」
胸が跳ねる。
周りには。
美緒たちも。
柊真もいる。
湊もそれに気づいたようだった。
「……いや」
「え?」
「今じゃない」
湊は少しだけ笑った。
「返事、急がなくていいって言ったし」
「……うん」
「ちゃんと考えて」
「ありがとう」
その言葉を聞いた瞬間。
陽菜乃の胸が少しだけ温かくなった。
以前の湊なら。
自分の気持ちを優先していたかもしれない。
でも今は。
待ってくれる。
陽菜乃が決めるまで。
「じゃあ、また」
「うん」
湊と悠人は、人混みの向こうへ歩いていった。
陽菜乃は、その背中をしばらく見つめた。
「陽菜乃」
美緒に呼ばれる。
「大丈夫?」
「……うん」
「成瀬くんと何かあった?」
一瞬。
答えるか迷った。
「昨日ね」
陽菜乃は小さな声で言った。
「好きって言われた」
「えっ!?」
美緒が目を大きくする。
「声大きい!」
「ご、ごめん!」
莉子も近づいてくる。
「何何?」
「あとで!」
陽菜乃は慌てた。
でも。
すぐ横。
柊真も聞いていた。
「……」
目が合う。
「柊真くん」
「俺、向こう見てくる」
「え?」
柊真が少しだけ距離を取ろうとする。
陽菜乃は反射的に、袖をつかんだ。
「待って」
「……何?」
「行かないで」
自分でも驚いた。
でも。
今。
柊真に離れてほしくなかった。
柊真の目が少しだけ揺れる。
「陽菜乃」
「ごめん」
「何が」
「私……ちゃんと話したい」
美緒と莉子は、空気を読んだのか。
「私たち、あっちの屋台見てくるね」
「う、うん」
二人が離れていく。
少し静かになる。
「湊に」
陽菜乃はゆっくり言った。
「ずっと好きだったって言われた」
「……そっか」
「私も」
柊真の表情が少しだけ変わる。
「ずっと湊が好きだった」
言葉にすると。
やっぱり胸は動く。
「だから」
陽菜乃は自分の手袋を見る。
「本当なら……すぐ嬉しいって言えたはずなの」
「うん」
「でも、言えなかった」
「……」
「柊真くんのことが浮かんだから」
柊真がこちらを見る。
「陽菜乃」
「私ね」
まだ答えは分からない。
でも。
これだけは。
ちゃんと伝えたかった。
「柊真くんといると、すごく安心する」
「……」
「学校にいないと寂しかったし」
あの日。
何度も空いた席を見た。
「クリスマスも楽しかった」
「うん」
「今日も」
陽菜乃は少しだけ笑う。
「みんなで来るって聞いた時、柊真くんも来るって分かって……嬉しかった」
言いながら、顔が熱くなる。
「だから」
陽菜乃は困ったように笑った。
「私、自分が何を思ってるのか分からなくなっちゃった」
柊真は黙って聞いていた。
そして。
「じゃあ今は決めんな」
「え?」
「分かんねえなら」
柊真はいつもの少しぶっきらぼうな声で言う。
「俺のこと好きって言う必要もないし」
「……」
「成瀬選ぶ必要もない」
陽菜乃は目を丸くした。
「でも」
「陽菜乃が決めることだろ」
「……うん」
「俺は」
柊真は少しだけ視線をそらす。
「陽菜乃に無理して俺を選ばれても嬉しくねえし」
胸がぎゅっとなる。
優しい。
本当に。
「……ありがとう」
「またそれ」
「だって」
「でも」
柊真が陽菜乃を見る。
「俺が好きなのは変わらないけど」
「……え?」
今度は陽菜乃が固まった。
「何その顔」
「だ、だって!」
「言ってなかったっけ?」
「ちゃんとは聞いてない!」
「じゃあ今言った」
「……!」
頬が一気に熱くなる。
「ずるい」
「何が」
「そんな普通に言う」
「本当だから」
陽菜乃は何も言えなくなった。
心臓が。
ひどくうるさい。
しばらくして。
みんなと合流し、駅へ向かう。
人混みは少し減っていた。
もう袖をつかむ必要はない。
陽菜乃も。
柊真から手を離した。
でも。
さっきより距離が離れたように感じる。
(……寂しい)
そう思って。
すぐ自分で驚いた。
でも。
手は伸ばさなかった。
今は。
そこまでしてしまったら。
自分の気持ちを決めたように見えてしまう気がしたから。
陽菜乃は、ただ。
柊真の隣を歩いた。
それだけ。
でも。
その距離が心地よかった。
夜。
部屋へ戻った陽菜乃は。
今日引いたおみくじを机の上に置いた。
『焦らず心を見つめよ。近くにいる人を大切に』
「……」
その隣には。
湊から誕生日にもらった白い花の髪飾り。
そして。
柊真からもらった白い手袋。
二つを並べて見る。
どちらも大切。
でも。
どちらを見た時に胸がどう動くのか。
陽菜乃は。
今までより少しだけ。
自分の気持ちを見ようとしていた。
「急がなくていい」
柊真が言ってくれた。
湊も。
『返事は急がなくていい』
と言ってくれた。
二人とも。
待ってくれている。
だから。
今度こそ。
思い込みで決めない。
噂にも逃げない。
誰かに言われたからでもない。
陽菜乃自身が。
ちゃんと答えを出す。
「……私が本当に好きなのは、誰?」
小さくつぶやく。
すぐには答えは出なかった。
でも。
胸の奥。
ずっと隠れていた答えが。
少しずつ。
陽菜乃自身に見つけてもらうのを。
待っているような気がした。

