十二月二十五日。
クリスマスの翌朝。
昨日まで駅前を華やかにしていたクリスマスの雰囲気が、学校では少しだけ薄れていた。
それでも教室では、
「昨日イルミネーション見に行った!」
「クリスマスケーキ食べすぎた!」
「プレゼント何もらった?」
そんな話で朝から盛り上がっている。
二年五組の窓際。
成瀬湊は、自分の席に座ったままスマホを見ていた。
画面に表示されているのは、昨日の夜に悠人から送られてきたサッカー部の写真。
けれど。
湊が見ているのは、写真そのものではなかった。
頭から離れないのは――。
イルミネーションの光の中。
白いコートを着た陽菜乃。
その隣にいた、水野柊真。
そして。
二人がつないでいた手。
「……」
湊はスマホを伏せた。
見たくないのに。
何度も思い出してしまう。
陽菜乃は笑っていた。
『すごく楽しんでる』
そう答えた時の顔。
自分と一緒にいた時にも、何度も見た笑顔。
でも昨日は。
その笑顔を向けられていたのは、自分ではなかった。
「朝から暗いな」
前の席から悠人が振り返る。
「別に」
「出た」
「何が」
「お前の『別に』」
悠人はあきれたように笑った。
「昨日のことまだ引きずってんの?」
「何のこと」
「陽菜乃ちゃんと水野」
湊は返事をしない。
その態度だけで十分だったらしい。
悠人が小さく息をつく。
「だったら、いいかげん本人に言えば?」
「……」
「好きなんだろ?」
湊の指が止まる。
少し前まで。
そう聞かれても、
『幼馴染だから』
とごまかしていた。
でも。
もう、自分にまで嘘をつく意味はなかった。
「……うん」
小さく答える。
悠人が目を丸くした。
「お前、やっと認めた?」
「うるさい」
「いや、そこ結構大事だろ」
「朝から騒ぐなよ」
「じゃあ早く告白しろって」
「簡単に言うな」
湊は窓の外を見る。
校庭には、冷たい冬の日差しが落ちている。
昨日までなら。
もしかすると、まだ間に合うと思えたかもしれない。
でも。
陽菜乃は柊真と手をつないでいた。
あれを見たあとでは。
「もう……水野のこと好きかもしれない」
自分で口にすると、胸が痛んだ。
「だから?」
「だからって……」
「陽菜乃ちゃんが水野好きなら、お前は何も言わないの?」
「……」
「また黙って見てる?」
その言葉が刺さる。
今までと同じ。
ずっとそうだった。
好きなのに言わない。
大切なのに態度にしない。
美羽との噂も。
陽菜乃が離れていくことも。
ちゃんと向き合わないまま。
気づけば、こんなところまで来てしまった。
「……言うよ」
湊は小さく答えた。
「ちゃんと」
「ならいいけど」
悠人はそう言ったあと、ふと何かを思い出したようにスマホを取り出した。
「そうだ」
「何」
「その前に、お前これ知ってる?」
「何が?」
「一ノ瀬のSNS」
美羽?
湊は眉を寄せた。
「美羽のSNSなんて見てない」
「だろうな」
「何だよ」
「見たほうがいい」
悠人の声が少しだけ真面目になった。
湊は差し出されたスマホを受け取る。
「……?」
画面に表示されていたのは、美羽のSNSだった。
最新の投稿。
昨日のイルミネーション。
青と白に輝くクリスマスツリー。
写真の端に。
黒いコートを着た男子の肩が少しだけ写っている。
見覚えがある。
自分だ。
その下には――。
『今年のクリスマス、幸せでした♡』
「……何これ」
湊の眉が寄る。
「昨日の?」
「そう」
「でも昨日、みんないただろ」
「俺もいた」
「なのになんで……」
コメントを見る。
『デート?』
『もしかして成瀬くん?』
『やっぱり付き合ってるの?』
『美羽ちゃん幸せそう♡』
湊の指が止まる。
「……美羽、否定してない?」
「してない」
「なんで」
「それだけじゃない」
悠人がスマホを操作する。
「もっと前」
次に表示された投稿。
文化祭の日。
二つのクレープ。
片方を持っているのは、湊の手。
『文化祭、思った以上に楽しかった』
「……これ」
「覚えてる?」
「買い出しの途中」
「だよな」
湊は画面を見つめる。
次。
サッカー部の練習試合。
自分の背番号が大きく写っている。
『今日いちばん応援してた人』
次。
テーブルの上の二本の飲み物。
写真の端には、自分の腕時計。
『好きなものが同じって、ちょっと嬉しい』
「待って」
湊の顔から、少しずつ表情が消えていく。
「この時、悠人もいたよな?」
「いた」
「三人だったよな?」
「そう」
「じゃあなんで俺と二人みたいになってるんだよ」
「だから見せてんの」
さらに。
誕生日の少し前。
ラッピングされた手袋の写真。
『喜んでもらえますように』
コメントには、
『成瀬くん用?』
『彼氏へのプレゼント?』
その時も。
美羽は否定していない。
「……」
湊の中で。
何かが少しずつつながり始めた。
学校で何度も聞いた噂。
『成瀬と一ノ瀬、付き合ってるらしいよ』
当時。
湊は深く考えなかった。
事実ではないから。
自分が美羽を好きではないことは、自分が一番分かっていたから。
だから、放っておけばそのうち消えると思っていた。
でも。
『湊には、美羽ちゃんもいるでしょう?』
陽菜乃の言葉。
『私がいつまでも一番近くにいたら、美羽ちゃんだって嫌だと思うから』
朝、一緒に登校しなくなった。
昼休みに自分を待たなくなった。
帰りも。
困った時も。
少しずつ。
陽菜乃は離れていった。
「……まさか」
声がかすれる。
「陽菜乃、これ見てた?」
悠人は少し考えた。
「一ノ瀬のことフォローしてるなら、可能性はあるんじゃね?」
「……」
胸の奥が冷たくなる。
「お前さ」
悠人が続ける。
「前、陽菜乃ちゃんから『一ノ瀬がいるから』みたいなこと言われてたよな?」
「……うん」
「じゃあ、かなり信じてたんじゃない?」
「でも」
湊はスマホを握った。
「俺、美羽と付き合ってない」
「それは俺も知ってる」
「一回も」
「うん」
「好きでもない」
「分かってるって」
「だったら……」
そこまで言って。
湊は言葉を止めた。
だったら何?
付き合っていないなら。
自分に恋愛感情がないなら。
それで十分だった?
陽菜乃に何も伝えなくても?
噂を否定しなくても?
美羽が自分の近くにいても?
「……俺も悪い」
自然に出た。
悠人が黙る。
「美羽を好きじゃないって、自分では分かってたから」
湊は画面を見る。
「それでいいと思ってた」
でも。
陽菜乃には分からない。
言わなければ。
何も。
「……俺、何やってたんだろ」
あんなに近くにいたのに。
いちばん安心してほしかった相手を。
ずっと不安にさせていたのかもしれない。
昼休み。
「美羽」
湊はサッカー部の部室前で、美羽を呼び止めた。
「湊くん?」
美羽はいつものように笑って振り返った。
けれど。
湊の顔を見た瞬間。
その笑顔が少しだけ止まった。
「どうしたの?」
「話ある」
「今?」
「うん」
いつもより低い声だった。
美羽も何かを感じ取ったらしい。
「……分かった」
二人は人の少ない校舎裏へ移動した。
冬の風が吹く。
木々の枝はほとんど葉を落とし、冷たい空が広がっている。
「美羽」
「うん」
湊は自分のスマホを見せた。
「これ」
美羽の顔が固まる。
「……SNS?」
「何でこんな投稿してんの」
「こんなって?」
「俺と二人みたいに見えるやつ」
「……」
「クリスマスだって、サッカー部みんないただろ」
「嘘は書いてないよ」
美羽は小さく答えた。
「湊くんと一緒にいたのは本当だし」
「でも、二人でいたみたいに見える」
「それは見る人が勝手に思っただけでしょ?」
「じゃあ」
湊は画面を見せる。
「『付き合ってるの?』ってコメント、なんで否定してない?」
「……」
「美羽」
返事はない。
「わざと?」
美羽の指先が、制服のスカートをぎゅっとつかんだ。
「……だって」
「何」
「私、湊くんのこと好きだから」
湊は何も言わなかった。
分かっていた。
薄々。
でも。
美羽本人から、こんなにはっきり聞いたのは初めてだった。
「ずっと好きだった」
美羽の声が震える。
「一年の頃から」
「……」
「でもいつも小宮山さんがいた」
その名前に。
湊の表情が変わる。
「朝も一緒」
「……」
「学校でも、湊くんが一番気にするのは小宮山さん」
「陽菜乃は幼馴染だから」
「まだそれ言うの?」
美羽が少しだけ笑った。
でも。
目は笑っていなかった。
「私、ずっと分かってたよ」
「何が」
「湊くんが小宮山さんを見る顔、ほかの女の子と全然違う」
「……」
「試合の日だって」
美羽の声が少しずつ強くなる。
「私が目の前にいるのに、ずっと客席の小宮山さん探してた」
湊は言い返せない。
「文化祭も」
「……」
「私と歩いてたのに、小宮山さんと水野くんばっかり見てた」
全部。
見られていた。
自分では。
まだ恋だと認めていなかった頃から。
「だから」
美羽は唇をかんだ。
「少しくらい、私だって特別みたいに思われたかった」
「それで匂わせた?」
「……」
「みんなが付き合ってると思えば、そのうち本当にそうなるかもしれないって?」
美羽の目に涙が浮かんだ。
「……そう思ったよ」
正直な答えだった。
「だって私だって好きなんだもん」
「……」
「小宮山さんばっかりずるい」
「陽菜乃は関係ない」
「関係ある!」
美羽の声が大きくなった。
「だって、小宮山さんは何もしなくても湊くんの特別だったじゃない!」
「何もしなくてもじゃない」
湊はすぐに答えた。
「え?」
「小さい頃からずっと一緒だったから」
何年も。
笑って。
喧嘩して。
助けてもらって。
助けて。
その積み重ねだ。
「でも」
湊は言葉を止めた。
それなら。
どうして。
自分はその大事な関係に甘えていたのだろう。
「……いや」
首を横に振る。
「今はそれじゃない」
湊は美羽を見る。
「陽菜乃に何か言った?」
美羽の目が揺れた。
「……何が?」
「俺と美羽のこと」
「別に」
「美羽」
「……」
「何言った?」
美羽は答えない。
でも。
その態度だけで。
湊の胸に嫌な予感が広がった。
「陽菜乃に付き合ってるって言った?」
「言ってない!」
美羽がすぐに否定する。
その言い方に。
湊は気づいた。
「じゃあ何を言った?」
「……」
「美羽」
少し長い間。
美羽は俯いていた。
そして。
「聞かれたの」
「何を」
「小宮山さんに」
美羽の声が小さくなる。
「『湊と付き合ってるの?』って」
湊の心臓が強く鳴った。
陽菜乃が。
美羽に。
そこまで聞いていた。
「……それで?」
「……」
「何て答えた?」
美羽が顔を上げない。
「美羽」
「『どうだろうね』って」
「……」
頭の中が。
一瞬、真っ白になった。
「付き合ってるとは言ってない」
美羽が急いで続ける。
「だから嘘じゃないよ」
「同じだろ」
「違う!」
「陽菜乃がどう受け取るか分かってただろ!」
思ったより大きな声が出た。
美羽の肩がびくっと揺れる。
湊も。
一度目を閉じた。
「……ごめん」
声を落とす。
怒鳴りたいわけじゃない。
でも。
胸の中に。
今まで感じたことのない怒りがあった。
同時に。
自分にも腹が立った。
「でも」
湊は続ける。
「それはやっちゃだめだ」
「……」
「陽菜乃、ずっと信じてたかもしれない」
だから。
離れた。
朝も。
帰りも。
自分の隣から。
「俺も悪かった」
美羽が顔を上げる。
「……湊くん?」
「噂、ちゃんと否定しなかった」
面倒だった。
そのうち消えると思った。
それに。
自分は美羽を好きではない。
だから関係ない。
そんなふうに考えていた。
「美羽が俺を好きだって、ちゃんと考えようともしなかった」
「……」
「変に期待させてたなら、それも俺が悪い」
美羽の目から。
涙が一粒落ちた。
「でも」
湊はきちんと美羽を見る。
「これからは距離取る」
「……」
「部活に必要なことは普通に話す。でも二人で帰ったり、個人的なプレゼントも受け取らない」
「湊くん……」
「SNSも」
湊はスマホを見る。
「俺と付き合ってるみたいに見える投稿は、もうやめて」
「……分かった」
美羽は泣きながらうなずいた。
少しして。
「ねえ」
「何」
「本当に……私じゃだめ?」
湊は黙った。
「私なら」
美羽は泣きそうな声で続ける。
「サッカーのことも分かるよ」
「うん」
「試合も全部見に行ける」
「うん」
「小宮山さんみたいに、ほかの男の子のところに行ったりしない」
その言葉に。
湊は一瞬だけ苦しそうな顔をした。
でも。
答えは変わらなかった。
「ごめん」
「……」
「美羽じゃない」
美羽が小さく息を吸う。
「やっぱり」
涙をぬぐいながら。
少しだけ笑った。
「小宮山さん?」
今までなら。
きっと。
『幼馴染だから』
と逃げていた。
でも。
もう逃げない。
「……うん」
湊は答えた。
「俺が好きなのは、陽菜乃」
初めて。
はっきり。
自分の気持ちを言葉にした。
その頃。
二年二組。
「陽菜乃」
「なに?」
「さっきからそれ何回見てるの?」
美緒に言われ。
陽菜乃は慌ててスマホを伏せた。
「見てないよ」
「見てたよ」
「……ちょっとだけ」
画面に表示されていたのは。
昨日、柊真と撮った写真。
イルミネーションの前。
二人並んで。
少しだけぎこちない笑顔。
「気に入った?」
「……うん」
陽菜乃は小さく笑った。
「楽しかったから」
「水野くんと?」
「うん」
以前なら。
こんなふうに答えるだけでも恥ずかしかった。
でも。
昨日。
手をつないだ。
プレゼントを交換した。
柊真に「かわいい」と言われて嬉しかった。
そして。
美羽の隣にいる湊を見ても。
前ほど苦しくなかった。
「美緒ちゃん」
「ん?」
「私ね」
陽菜乃は自分の手を見た。
昨日。
柊真とつないだ手。
「最近、ちょっと変なの」
「どう変?」
「柊真くんに会うの楽しみだし」
「うん」
「ほかの女の子と話してると気になるし」
「うん」
「昨日も……手、離したくないって思った」
言ってから。
顔が熱くなる。
「これって」
美緒を見る。
「やっぱり……好きなのかな」
美緒は少し笑った。
「陽菜乃はどう思う?」
「……」
陽菜乃は教室の後ろを見る。
柊真は友人と話している。
笑っている横顔。
それを見ただけで。
少し嬉しくなる。
「……たぶん」
陽菜乃は小さく答えた。
「好きになってきてる」
口にした瞬間。
胸がどきっと鳴った。
でも。
嫌ではなかった。
放課後。
サッカー部へ向かう途中。
悠人が湊の横へ並んだ。
「話した?」
「うん」
「どうだった?」
「……美羽とはちゃんと話した」
「陽菜乃ちゃんには?」
「まだ」
「じゃあ次だな」
「分かってる」
湊は校舎を見る。
二階。
二組。
あそこに陽菜乃がいる。
会いに行こうと思えば。
今すぐ行ける。
でも。
話す前に。
自分の中で決めなければならないことがあった。
「俺さ」
「何」
「美羽のSNSのことだけ話して」
『全部誤解だった』
そう言えば。
陽菜乃は戻ってくるだろうか。
そんなことを一瞬考えた。
でも。
「……それじゃだめだよな」
「何が?」
「陽菜乃が離れたの、全部美羽のせいじゃない」
悠人が少しだけ笑う。
「ようやく分かった?」
「うるさい」
でも。
その通りだ。
美羽は、誤解させた。
それは事実。
でも。
自分も。
陽菜乃に何も言わなかった。
噂を放置した。
美羽に線を引かなかった。
何より。
陽菜乃がいつまでも自分の隣にいると、勝手に思っていた。
「ちゃんと謝る」
湊は言った。
「その上で」
「うん」
「好きって言う」
悠人が笑う。
「やっとヒーローっぽくなってきたじゃん」
「何だよそれ」
「遅いけど」
「……分かってる」
遅い。
本当に。
でも。
だからといって。
もう何もしない理由にはならない。
陽菜乃が。
今。
水野を好きになり始めているとしても。
自分の気持ちは。
自分の言葉で。
ちゃんと伝えたい。
その日の夜。
陽菜乃のスマホが震えた。
「……?」
ベッドの上で宿題をしていた陽菜乃は、スマホを手に取った。
表示された名前。
――湊。
胸が。
少しだけ大きく鳴る。
『明日、少し話せる?』
「……話?」
何だろう。
最近。
ちゃんと二人で話したことはほとんどない。
少し迷ったあと。
『うん。放課後なら』
送る。
すぐに返事。
『ありがとう』
それだけ。
陽菜乃はスマホを置いた。
そして。
机の上を見る。
そこには。
昨日柊真からもらった白い手袋。
その隣には。
湊から誕生日にもらった白い花の髪飾り。
二つ。
どちらも。
陽菜乃にとって大切なもの。
「……」
陽菜乃は、その二つをしばらく見つめていた。
ずっと好きだった湊。
今。
心が動き始めている柊真。
明日。
湊は何を話すのだろう。
陽菜乃はまだ知らなかった。
長い間。
自分だけが抱えていると思っていた初恋が。
実はずっと。
同じ人の胸の中にもあったことを。
クリスマスの翌朝。
昨日まで駅前を華やかにしていたクリスマスの雰囲気が、学校では少しだけ薄れていた。
それでも教室では、
「昨日イルミネーション見に行った!」
「クリスマスケーキ食べすぎた!」
「プレゼント何もらった?」
そんな話で朝から盛り上がっている。
二年五組の窓際。
成瀬湊は、自分の席に座ったままスマホを見ていた。
画面に表示されているのは、昨日の夜に悠人から送られてきたサッカー部の写真。
けれど。
湊が見ているのは、写真そのものではなかった。
頭から離れないのは――。
イルミネーションの光の中。
白いコートを着た陽菜乃。
その隣にいた、水野柊真。
そして。
二人がつないでいた手。
「……」
湊はスマホを伏せた。
見たくないのに。
何度も思い出してしまう。
陽菜乃は笑っていた。
『すごく楽しんでる』
そう答えた時の顔。
自分と一緒にいた時にも、何度も見た笑顔。
でも昨日は。
その笑顔を向けられていたのは、自分ではなかった。
「朝から暗いな」
前の席から悠人が振り返る。
「別に」
「出た」
「何が」
「お前の『別に』」
悠人はあきれたように笑った。
「昨日のことまだ引きずってんの?」
「何のこと」
「陽菜乃ちゃんと水野」
湊は返事をしない。
その態度だけで十分だったらしい。
悠人が小さく息をつく。
「だったら、いいかげん本人に言えば?」
「……」
「好きなんだろ?」
湊の指が止まる。
少し前まで。
そう聞かれても、
『幼馴染だから』
とごまかしていた。
でも。
もう、自分にまで嘘をつく意味はなかった。
「……うん」
小さく答える。
悠人が目を丸くした。
「お前、やっと認めた?」
「うるさい」
「いや、そこ結構大事だろ」
「朝から騒ぐなよ」
「じゃあ早く告白しろって」
「簡単に言うな」
湊は窓の外を見る。
校庭には、冷たい冬の日差しが落ちている。
昨日までなら。
もしかすると、まだ間に合うと思えたかもしれない。
でも。
陽菜乃は柊真と手をつないでいた。
あれを見たあとでは。
「もう……水野のこと好きかもしれない」
自分で口にすると、胸が痛んだ。
「だから?」
「だからって……」
「陽菜乃ちゃんが水野好きなら、お前は何も言わないの?」
「……」
「また黙って見てる?」
その言葉が刺さる。
今までと同じ。
ずっとそうだった。
好きなのに言わない。
大切なのに態度にしない。
美羽との噂も。
陽菜乃が離れていくことも。
ちゃんと向き合わないまま。
気づけば、こんなところまで来てしまった。
「……言うよ」
湊は小さく答えた。
「ちゃんと」
「ならいいけど」
悠人はそう言ったあと、ふと何かを思い出したようにスマホを取り出した。
「そうだ」
「何」
「その前に、お前これ知ってる?」
「何が?」
「一ノ瀬のSNS」
美羽?
湊は眉を寄せた。
「美羽のSNSなんて見てない」
「だろうな」
「何だよ」
「見たほうがいい」
悠人の声が少しだけ真面目になった。
湊は差し出されたスマホを受け取る。
「……?」
画面に表示されていたのは、美羽のSNSだった。
最新の投稿。
昨日のイルミネーション。
青と白に輝くクリスマスツリー。
写真の端に。
黒いコートを着た男子の肩が少しだけ写っている。
見覚えがある。
自分だ。
その下には――。
『今年のクリスマス、幸せでした♡』
「……何これ」
湊の眉が寄る。
「昨日の?」
「そう」
「でも昨日、みんないただろ」
「俺もいた」
「なのになんで……」
コメントを見る。
『デート?』
『もしかして成瀬くん?』
『やっぱり付き合ってるの?』
『美羽ちゃん幸せそう♡』
湊の指が止まる。
「……美羽、否定してない?」
「してない」
「なんで」
「それだけじゃない」
悠人がスマホを操作する。
「もっと前」
次に表示された投稿。
文化祭の日。
二つのクレープ。
片方を持っているのは、湊の手。
『文化祭、思った以上に楽しかった』
「……これ」
「覚えてる?」
「買い出しの途中」
「だよな」
湊は画面を見つめる。
次。
サッカー部の練習試合。
自分の背番号が大きく写っている。
『今日いちばん応援してた人』
次。
テーブルの上の二本の飲み物。
写真の端には、自分の腕時計。
『好きなものが同じって、ちょっと嬉しい』
「待って」
湊の顔から、少しずつ表情が消えていく。
「この時、悠人もいたよな?」
「いた」
「三人だったよな?」
「そう」
「じゃあなんで俺と二人みたいになってるんだよ」
「だから見せてんの」
さらに。
誕生日の少し前。
ラッピングされた手袋の写真。
『喜んでもらえますように』
コメントには、
『成瀬くん用?』
『彼氏へのプレゼント?』
その時も。
美羽は否定していない。
「……」
湊の中で。
何かが少しずつつながり始めた。
学校で何度も聞いた噂。
『成瀬と一ノ瀬、付き合ってるらしいよ』
当時。
湊は深く考えなかった。
事実ではないから。
自分が美羽を好きではないことは、自分が一番分かっていたから。
だから、放っておけばそのうち消えると思っていた。
でも。
『湊には、美羽ちゃんもいるでしょう?』
陽菜乃の言葉。
『私がいつまでも一番近くにいたら、美羽ちゃんだって嫌だと思うから』
朝、一緒に登校しなくなった。
昼休みに自分を待たなくなった。
帰りも。
困った時も。
少しずつ。
陽菜乃は離れていった。
「……まさか」
声がかすれる。
「陽菜乃、これ見てた?」
悠人は少し考えた。
「一ノ瀬のことフォローしてるなら、可能性はあるんじゃね?」
「……」
胸の奥が冷たくなる。
「お前さ」
悠人が続ける。
「前、陽菜乃ちゃんから『一ノ瀬がいるから』みたいなこと言われてたよな?」
「……うん」
「じゃあ、かなり信じてたんじゃない?」
「でも」
湊はスマホを握った。
「俺、美羽と付き合ってない」
「それは俺も知ってる」
「一回も」
「うん」
「好きでもない」
「分かってるって」
「だったら……」
そこまで言って。
湊は言葉を止めた。
だったら何?
付き合っていないなら。
自分に恋愛感情がないなら。
それで十分だった?
陽菜乃に何も伝えなくても?
噂を否定しなくても?
美羽が自分の近くにいても?
「……俺も悪い」
自然に出た。
悠人が黙る。
「美羽を好きじゃないって、自分では分かってたから」
湊は画面を見る。
「それでいいと思ってた」
でも。
陽菜乃には分からない。
言わなければ。
何も。
「……俺、何やってたんだろ」
あんなに近くにいたのに。
いちばん安心してほしかった相手を。
ずっと不安にさせていたのかもしれない。
昼休み。
「美羽」
湊はサッカー部の部室前で、美羽を呼び止めた。
「湊くん?」
美羽はいつものように笑って振り返った。
けれど。
湊の顔を見た瞬間。
その笑顔が少しだけ止まった。
「どうしたの?」
「話ある」
「今?」
「うん」
いつもより低い声だった。
美羽も何かを感じ取ったらしい。
「……分かった」
二人は人の少ない校舎裏へ移動した。
冬の風が吹く。
木々の枝はほとんど葉を落とし、冷たい空が広がっている。
「美羽」
「うん」
湊は自分のスマホを見せた。
「これ」
美羽の顔が固まる。
「……SNS?」
「何でこんな投稿してんの」
「こんなって?」
「俺と二人みたいに見えるやつ」
「……」
「クリスマスだって、サッカー部みんないただろ」
「嘘は書いてないよ」
美羽は小さく答えた。
「湊くんと一緒にいたのは本当だし」
「でも、二人でいたみたいに見える」
「それは見る人が勝手に思っただけでしょ?」
「じゃあ」
湊は画面を見せる。
「『付き合ってるの?』ってコメント、なんで否定してない?」
「……」
「美羽」
返事はない。
「わざと?」
美羽の指先が、制服のスカートをぎゅっとつかんだ。
「……だって」
「何」
「私、湊くんのこと好きだから」
湊は何も言わなかった。
分かっていた。
薄々。
でも。
美羽本人から、こんなにはっきり聞いたのは初めてだった。
「ずっと好きだった」
美羽の声が震える。
「一年の頃から」
「……」
「でもいつも小宮山さんがいた」
その名前に。
湊の表情が変わる。
「朝も一緒」
「……」
「学校でも、湊くんが一番気にするのは小宮山さん」
「陽菜乃は幼馴染だから」
「まだそれ言うの?」
美羽が少しだけ笑った。
でも。
目は笑っていなかった。
「私、ずっと分かってたよ」
「何が」
「湊くんが小宮山さんを見る顔、ほかの女の子と全然違う」
「……」
「試合の日だって」
美羽の声が少しずつ強くなる。
「私が目の前にいるのに、ずっと客席の小宮山さん探してた」
湊は言い返せない。
「文化祭も」
「……」
「私と歩いてたのに、小宮山さんと水野くんばっかり見てた」
全部。
見られていた。
自分では。
まだ恋だと認めていなかった頃から。
「だから」
美羽は唇をかんだ。
「少しくらい、私だって特別みたいに思われたかった」
「それで匂わせた?」
「……」
「みんなが付き合ってると思えば、そのうち本当にそうなるかもしれないって?」
美羽の目に涙が浮かんだ。
「……そう思ったよ」
正直な答えだった。
「だって私だって好きなんだもん」
「……」
「小宮山さんばっかりずるい」
「陽菜乃は関係ない」
「関係ある!」
美羽の声が大きくなった。
「だって、小宮山さんは何もしなくても湊くんの特別だったじゃない!」
「何もしなくてもじゃない」
湊はすぐに答えた。
「え?」
「小さい頃からずっと一緒だったから」
何年も。
笑って。
喧嘩して。
助けてもらって。
助けて。
その積み重ねだ。
「でも」
湊は言葉を止めた。
それなら。
どうして。
自分はその大事な関係に甘えていたのだろう。
「……いや」
首を横に振る。
「今はそれじゃない」
湊は美羽を見る。
「陽菜乃に何か言った?」
美羽の目が揺れた。
「……何が?」
「俺と美羽のこと」
「別に」
「美羽」
「……」
「何言った?」
美羽は答えない。
でも。
その態度だけで。
湊の胸に嫌な予感が広がった。
「陽菜乃に付き合ってるって言った?」
「言ってない!」
美羽がすぐに否定する。
その言い方に。
湊は気づいた。
「じゃあ何を言った?」
「……」
「美羽」
少し長い間。
美羽は俯いていた。
そして。
「聞かれたの」
「何を」
「小宮山さんに」
美羽の声が小さくなる。
「『湊と付き合ってるの?』って」
湊の心臓が強く鳴った。
陽菜乃が。
美羽に。
そこまで聞いていた。
「……それで?」
「……」
「何て答えた?」
美羽が顔を上げない。
「美羽」
「『どうだろうね』って」
「……」
頭の中が。
一瞬、真っ白になった。
「付き合ってるとは言ってない」
美羽が急いで続ける。
「だから嘘じゃないよ」
「同じだろ」
「違う!」
「陽菜乃がどう受け取るか分かってただろ!」
思ったより大きな声が出た。
美羽の肩がびくっと揺れる。
湊も。
一度目を閉じた。
「……ごめん」
声を落とす。
怒鳴りたいわけじゃない。
でも。
胸の中に。
今まで感じたことのない怒りがあった。
同時に。
自分にも腹が立った。
「でも」
湊は続ける。
「それはやっちゃだめだ」
「……」
「陽菜乃、ずっと信じてたかもしれない」
だから。
離れた。
朝も。
帰りも。
自分の隣から。
「俺も悪かった」
美羽が顔を上げる。
「……湊くん?」
「噂、ちゃんと否定しなかった」
面倒だった。
そのうち消えると思った。
それに。
自分は美羽を好きではない。
だから関係ない。
そんなふうに考えていた。
「美羽が俺を好きだって、ちゃんと考えようともしなかった」
「……」
「変に期待させてたなら、それも俺が悪い」
美羽の目から。
涙が一粒落ちた。
「でも」
湊はきちんと美羽を見る。
「これからは距離取る」
「……」
「部活に必要なことは普通に話す。でも二人で帰ったり、個人的なプレゼントも受け取らない」
「湊くん……」
「SNSも」
湊はスマホを見る。
「俺と付き合ってるみたいに見える投稿は、もうやめて」
「……分かった」
美羽は泣きながらうなずいた。
少しして。
「ねえ」
「何」
「本当に……私じゃだめ?」
湊は黙った。
「私なら」
美羽は泣きそうな声で続ける。
「サッカーのことも分かるよ」
「うん」
「試合も全部見に行ける」
「うん」
「小宮山さんみたいに、ほかの男の子のところに行ったりしない」
その言葉に。
湊は一瞬だけ苦しそうな顔をした。
でも。
答えは変わらなかった。
「ごめん」
「……」
「美羽じゃない」
美羽が小さく息を吸う。
「やっぱり」
涙をぬぐいながら。
少しだけ笑った。
「小宮山さん?」
今までなら。
きっと。
『幼馴染だから』
と逃げていた。
でも。
もう逃げない。
「……うん」
湊は答えた。
「俺が好きなのは、陽菜乃」
初めて。
はっきり。
自分の気持ちを言葉にした。
その頃。
二年二組。
「陽菜乃」
「なに?」
「さっきからそれ何回見てるの?」
美緒に言われ。
陽菜乃は慌ててスマホを伏せた。
「見てないよ」
「見てたよ」
「……ちょっとだけ」
画面に表示されていたのは。
昨日、柊真と撮った写真。
イルミネーションの前。
二人並んで。
少しだけぎこちない笑顔。
「気に入った?」
「……うん」
陽菜乃は小さく笑った。
「楽しかったから」
「水野くんと?」
「うん」
以前なら。
こんなふうに答えるだけでも恥ずかしかった。
でも。
昨日。
手をつないだ。
プレゼントを交換した。
柊真に「かわいい」と言われて嬉しかった。
そして。
美羽の隣にいる湊を見ても。
前ほど苦しくなかった。
「美緒ちゃん」
「ん?」
「私ね」
陽菜乃は自分の手を見た。
昨日。
柊真とつないだ手。
「最近、ちょっと変なの」
「どう変?」
「柊真くんに会うの楽しみだし」
「うん」
「ほかの女の子と話してると気になるし」
「うん」
「昨日も……手、離したくないって思った」
言ってから。
顔が熱くなる。
「これって」
美緒を見る。
「やっぱり……好きなのかな」
美緒は少し笑った。
「陽菜乃はどう思う?」
「……」
陽菜乃は教室の後ろを見る。
柊真は友人と話している。
笑っている横顔。
それを見ただけで。
少し嬉しくなる。
「……たぶん」
陽菜乃は小さく答えた。
「好きになってきてる」
口にした瞬間。
胸がどきっと鳴った。
でも。
嫌ではなかった。
放課後。
サッカー部へ向かう途中。
悠人が湊の横へ並んだ。
「話した?」
「うん」
「どうだった?」
「……美羽とはちゃんと話した」
「陽菜乃ちゃんには?」
「まだ」
「じゃあ次だな」
「分かってる」
湊は校舎を見る。
二階。
二組。
あそこに陽菜乃がいる。
会いに行こうと思えば。
今すぐ行ける。
でも。
話す前に。
自分の中で決めなければならないことがあった。
「俺さ」
「何」
「美羽のSNSのことだけ話して」
『全部誤解だった』
そう言えば。
陽菜乃は戻ってくるだろうか。
そんなことを一瞬考えた。
でも。
「……それじゃだめだよな」
「何が?」
「陽菜乃が離れたの、全部美羽のせいじゃない」
悠人が少しだけ笑う。
「ようやく分かった?」
「うるさい」
でも。
その通りだ。
美羽は、誤解させた。
それは事実。
でも。
自分も。
陽菜乃に何も言わなかった。
噂を放置した。
美羽に線を引かなかった。
何より。
陽菜乃がいつまでも自分の隣にいると、勝手に思っていた。
「ちゃんと謝る」
湊は言った。
「その上で」
「うん」
「好きって言う」
悠人が笑う。
「やっとヒーローっぽくなってきたじゃん」
「何だよそれ」
「遅いけど」
「……分かってる」
遅い。
本当に。
でも。
だからといって。
もう何もしない理由にはならない。
陽菜乃が。
今。
水野を好きになり始めているとしても。
自分の気持ちは。
自分の言葉で。
ちゃんと伝えたい。
その日の夜。
陽菜乃のスマホが震えた。
「……?」
ベッドの上で宿題をしていた陽菜乃は、スマホを手に取った。
表示された名前。
――湊。
胸が。
少しだけ大きく鳴る。
『明日、少し話せる?』
「……話?」
何だろう。
最近。
ちゃんと二人で話したことはほとんどない。
少し迷ったあと。
『うん。放課後なら』
送る。
すぐに返事。
『ありがとう』
それだけ。
陽菜乃はスマホを置いた。
そして。
机の上を見る。
そこには。
昨日柊真からもらった白い手袋。
その隣には。
湊から誕生日にもらった白い花の髪飾り。
二つ。
どちらも。
陽菜乃にとって大切なもの。
「……」
陽菜乃は、その二つをしばらく見つめていた。
ずっと好きだった湊。
今。
心が動き始めている柊真。
明日。
湊は何を話すのだろう。
陽菜乃はまだ知らなかった。
長い間。
自分だけが抱えていると思っていた初恋が。
実はずっと。
同じ人の胸の中にもあったことを。

