十二月二十四日。
クリスマスイブ。
朝から、陽菜乃は何度も時計を見ていた。
「まだ二時……」
待ち合わせは午後四時半。
あと二時間以上もある。
それなのに、机に向かって冬休みの宿題を開いても、まったく頭に入ってこなかった。
数学の問題を一つ解いて。
時計を見る。
英単語を三つ覚えて。
また時計を見る。
「陽菜乃」
「きゃっ!」
部屋の扉から顔を出した姉の結衣に呼ばれ、陽菜乃は肩を揺らした。
「びっくりした……」
「こっちがびっくりするよ。さっきから時計ばっかり見てるけど」
「見てないよ」
「見てる」
結衣は笑いながら部屋へ入ってきた。
ベッドの上には、今日着ようと思って用意した服が並べてある。
白いショートコート。
淡い水色のニット。
チェック柄のスカート。
そして、陽菜乃が昨日まで悩みに悩んで選んだ小さなバッグ。
結衣はそれを見て、楽しそうに眉を上げた。
「気合い入ってるね」
「そ、そんなんじゃないよ!」
「今日は水野くんと二人でイルミネーションなんでしょ?」
「……うん」
「それを世間ではデートって言います」
「だから……!」
否定しようとして。
陽菜乃は途中で言葉を止めた。
昨日までは、
『デートじゃない』
と何度も言っていた。
でも。
本当にそうなのだろうか。
二人きりで。
クリスマスイブに。
イルミネーションを見に行く。
しかも陽菜乃は、今日のために昨日から服を考えている。
髪型だって。
いつものように結ぶか、下ろすか。
何度も鏡の前で試していた。
「……やっぱり、デートなのかな」
小さくつぶやく。
「やっと気づいた?」
「お姉ちゃん!」
陽菜乃は恥ずかしくなって、近くにあったクッションを抱きしめた。
結衣が楽しそうに笑う。
「で?」
「何?」
「水野くんのこと、好きなの?」
「……!」
陽菜乃の顔が一気に熱くなった。
「そ、それは……」
答えられない。
少し前までなら。
すぐに、
『私が好きなのは湊だよ』
と言えた。
ずっとそうだった。
幼い頃から。
陽菜乃の初恋は、ずっと湊だった。
でも最近。
柊真のことを考える時間が増えた。
学校へ来なければ寂しい。
誰かと楽しそうにしていたら気になる。
自分の好きなものを覚えていてくれると嬉しい。
そして。
クリスマスに二人で出かけようと誘われた時。
すごく嬉しかった。
「……分かんない」
陽菜乃は正直に答えた。
「でも」
「うん」
「今日は……すごく楽しみ」
結衣の表情が少しやわらかくなる。
「それでいいんじゃない?」
「え?」
「無理に答え出さなくても。今日一日、一緒に過ごしてみれば?」
「……うん」
陽菜乃は小さくうなずいた。
午後四時十五分。
待ち合わせ場所の駅前。
陽菜乃は大きなクリスマスツリーの近くで、落ち着かない気持ちのまま立っていた。
空はすでに暗くなり始めている。
駅前の木々には、小さな電飾が灯り始めていた。
白。
青。
金色。
冷たい冬の空気の中で、光だけがあたたかそうに輝いている。
近くを通る人たちも。
恋人同士。
友達同士。
家族連れ。
みんな楽しそうだった。
「……早く来すぎた」
待ち合わせの十五分前。
昨日、
『遅刻しないようにしなきゃ』
と思いすぎた結果だ。
「寒い……」
陽菜乃は手に息を吹きかけた。
今日は手袋を持ってきている。
でも。
バッグの奥に入れたままだった。
なぜなら。
少し緊張していて、出すことまで忘れていたから。
「陽菜乃」
聞き慣れた声。
「え?」
顔を上げる。
「柊真くん!」
少し離れたところから、柊真が歩いてくる。
黒いコート。
グレーのマフラー。
いつもの制服姿ではない。
それだけで。
知っている男の子なのに、少し違って見える。
(……かっこいい)
そう思った瞬間。
陽菜乃は慌てて視線をそらした。
「待った?」
「ううん。私も今来たところ」
「嘘」
「えっ」
「手、めっちゃ冷たそう」
柊真が陽菜乃の手を見る。
「あ……」
「何分待った?」
「十五分……くらい」
「早すぎ」
「遅れたくなかったの」
「俺も遅れねえよ」
柊真は少し笑った。
そして。
陽菜乃を上から下まで見る。
「……」
「な、なに?」
急に意識してしまう。
今日の服。
変じゃない?
髪。
おかしくない?
考えているうちに、どんどん不安になる。
「変?」
「逆」
「え?」
柊真が少しだけ顔をそらした。
「かわいい」
「……!」
陽菜乃の心臓が、どくんと鳴った。
「今日、いつもより」
「……」
「その……似合ってる」
柊真のほうまで少し照れているように見えた。
陽菜乃はマフラーへ口元を隠した。
「……ありがとう」
胸がいっぱいになる。
湊に浴衣を褒めてもらった時も。
すごく嬉しかった。
でも。
今日。
柊真に言われた、
『かわいい』
は。
また違う形で、胸の奥に残った。
二人は、まず駅前のクリスマスマーケットを回ることにした。
小さな屋台には、クリスマスらしい雑貨や温かい飲み物が並んでいた。
「あ、見て!」
陽菜乃が足を止める。
「雪だるま」
木で作られた、小さな雪だるまの飾り。
「かわいい」
「陽菜乃、そういうの好きだな」
「うん」
「文化祭でもうさぎのぬいぐるみ欲しがってたし」
「あれ、今もちゃんと飾ってるよ」
「まだ?」
「まだって何?」
「とっくに飽きてるかと思った」
「飽きないよ」
陽菜乃は少し笑う。
「柊真くんが取ってくれたものだし」
「……」
「どうしたの?」
「何でもねえ」
また。
柊真が顔をそらす。
でも最近。
陽菜乃にも少し分かるようになってきた。
柊真がこうする時。
たぶん。
少し照れている。
(……かわいいかも)
そこまで考えて。
陽菜乃は自分でびっくりした。
(私、今、柊真くんのことかわいいって思った?)
慌てて別の屋台へ目を向ける。
「ほ、ホットチョコレート!」
「急だな」
「飲みたい」
「いいよ」
二人で一つずつ買った。
白い湯気。
甘い香り。
陽菜乃は紙カップを両手で包む。
「あったかい……」
「飲む前に冷ませよ」
「分かってるよ」
「前に熱いの飲んで騒いでた」
「もう覚えてなくていいのに」
陽菜乃は何度も息を吹きかけた。
ふー。
ふー。
その姿を柊真が見ている。
「……何?」
「必死だなと思って」
「猫舌なんだから仕方ないの」
「知ってる」
その一言。
知ってる。
陽菜乃は、なぜか嬉しかった。
自分の小さなことを。
柊真が少しずつ知ってくれている。
そして自分も。
柊真の好きな食べ物。
苦手な教科。
弟がいること。
意外と甘いものが嫌いではないこと。
見た目よりずっと家族思いなこと。
いろいろ知るようになった。
(もっと……知りたいかも)
そんな気持ちが浮かんだ。
「そうだ」
陽菜乃がバッグを開く。
「柊真くん」
「ん?」
「これ」
小さな紙袋を差し出す。
「……何?」
「クリスマスプレゼント」
柊真が目を丸くした。
「俺に?」
「うん」
「用意してたの?」
「……うん」
恥ずかしくなって、陽菜乃は視線を下げた。
数日前。
雑貨屋で何度も迷いながら選んだ。
黒を基調にしたキーホルダー。
柊真が持っていても変ではないもの。
あまりかわいすぎず。
でも陽菜乃らしい色も少しだけ入っているもの。
「開けていい?」
「うん」
柊真が袋を開く。
キーホルダーを見る。
「……これ」
「どう?」
「好き」
「ほんと?」
「ああ」
陽菜乃の顔がぱっと明るくなる。
「よかったぁ」
「陽菜乃が選んだ?」
「もちろん」
「俺が好きそうなやつ?」
「いっぱい考えたよ」
その瞬間。
柊真が少しだけ固まった。
「……いっぱい?」
「うん。三軒くらい見た」
「……」
「柊真くん?」
「ちょっと待って」
「え?」
「今めちゃくちゃ嬉しい」
陽菜乃の胸が、また大きく鳴る。
「そんなに?」
「陽菜乃が俺のこと考えて選んだんだろ」
「……うん」
「じゃあ嬉しいに決まってる」
その言葉が。
まっすぐ胸へ入ってきた。
柊真はその場で、鞄についていた古いキーホルダーを外した。
そして。
陽菜乃からもらったものをつける。
「もう使うの?」
「もらったんだから」
「……嬉しい」
陽菜乃は思わず口にした。
「私も嬉しい」
二人で笑う。
クリスマスの光の中。
その時間が。
すごく大切に思えた。
「じゃあ俺からも」
「え?」
柊真がコートのポケットから、小さな白い箱を取り出した。
「私にも?」
「当たり前」
「……開けていい?」
「ああ」
陽菜乃はそっと箱を開ける。
「わあ……」
中に入っていたのは。
白い手袋。
手首のところに、小さないちごの刺しゅう。
「かわいい……!」
陽菜乃は目を輝かせた。
「この前、手冷たいって言ってただろ」
「覚えてたの?」
「毎回言ってる」
「でも……」
自分が何気なく言ったことを。
覚えていてくれた。
「つけてみろよ」
「うん」
陽菜乃は手袋をつける。
指先までぴったり。
「どう?」
「あったかい」
「サイズ大丈夫?」
「ぴったり!」
陽菜乃は嬉しくなって、両手を柊真へ見せた。
「ありがとう!」
「……うん」
柊真も少し笑った。
その笑顔を見た時。
陽菜乃の胸の中で。
何かが。
また一つ変わった気がした。
午後六時。
イルミネーションが一斉に灯った。
「……わあ」
陽菜乃は思わず声を上げた。
大きなクリスマスツリー。
青と白の光。
金色に輝くアーチ。
夜の広場全体が、まるで別の世界みたいだった。
「すごい……」
「そんな感動する?」
「だって本当にきれい」
陽菜乃は夢中で見上げる。
光が瞳に映る。
その横顔を。
柊真はしばらく見ていた。
「柊真くん?」
「ん?」
「見ないの?」
「見てる」
「ツリーじゃなくて?」
「……今見る」
「変なの」
陽菜乃は笑った。
人がどんどん増えてくる。
前から。
後ろから。
少しずつ押される。
「わっ」
陽菜乃がバランスを崩した。
「危ね」
柊真が腕を支える。
「大丈夫?」
「うん」
でも。
人の流れはまだ続いている。
離れそうになり。
陽菜乃は反射的に、柊真のコートの袖をつかんだ。
「……あ」
気づく。
この癖。
昔から。
ずっと湊にしていた。
人混み。
お祭り。
初詣。
怖い時。
はぐれそうになると。
『湊』
そう言って、湊の袖をつかんでいた。
それなのに。
今。
手を伸ばした相手は。
柊真だった。
「ごめん」
離そうとした、その時。
柊真が言った。
「別にいい」
「でも」
「つーか」
柊真が手を差し出す。
「袖よりこっちのほうがよくね?」
「……え?」
「はぐれねえし」
大きな手。
陽菜乃は見つめた。
心臓がうるさい。
「嫌ならいいけど」
柊真が少しだけ引こうとする。
「待って」
陽菜乃は。
自分から。
その手を握った。
白い手袋越しでも。
柊真の手が大きいのが分かる。
「……嫌じゃない」
「……そっか」
柊真も握り返す。
二人で歩き始める。
人混みだから。
はぐれないため。
理由はある。
でも。
(……離したくない)
陽菜乃は、そう思ってしまった。
それが。
少し怖くて。
同時に。
すごく嬉しかった。
◇
同じ頃。
「成瀬、写真入れ!」
「今行く」
少し離れた場所には。
湊たちサッカー部も来ていた。
男子部員。
女子マネージャー。
何人もの仲間。
美羽も一緒。
「湊くん、こっち!」
美羽が笑顔で手を振る。
でも。
湊の視線は。
別の場所で止まっていた。
「……」
人混みの向こう。
白いコート。
すぐ分かった。
「陽菜乃」
そして。
その隣に。
柊真。
湊の目が。
二人の手へ向かう。
「……」
つないでいる。
陽菜乃から。
柊真の手を。
握っている。
胸が。
強く痛んだ。
「湊?」
悠人が気づく。
「……あれ」
悠人も見る。
「陽菜乃ちゃんと水野か」
湊は答えない。
クリスマス。
誘いたかった。
本当は。
自分が。
陽菜乃の隣にいたかった。
でも。
迷って。
何も言えないまま。
陽菜乃は。
別の男と手をつないでいる。
「……遅かった」
湊の声は。
誰にも届かないほど小さかった。
その時。
陽菜乃が顔を上げた。
「……あ」
湊と目が合う。
胸が少しだけ痛む。
「湊」
「陽菜乃」
二人が近づく。
「湊も来てたんだ」
「……うん」
「サッカー部のみんなと?」
「ああ」
そして。
陽菜乃は。
美羽を見る。
やっぱり。
湊の近くにいる。
胸が。
ちくり。
でも。
以前ほど苦しくない。
陽菜乃自身。
それに気づいた。
(……あれ)
どうして。
前なら。
美羽が隣にいるだけで。
帰りたくなるくらい苦しかった。
でも今は。
隣には柊真がいる。
それだけで。
大丈夫だと思える。
「陽菜乃」
湊の視線が下へ向く。
二人の手。
陽菜乃は気づいた。
でも。
離さなかった。
「……水野と来たんだ」
「うん」
「二人で?」
少し恥ずかしい。
でも。
「うん」
きちんと答えた。
湊の顔が。
少しだけ傷ついたように見えた。
その理由は。
陽菜乃には分からなかった。
「楽しんでる?」
「うん」
陽菜乃は笑う。
「すごく」
その言葉。
湊の胸に刺さる。
今まで。
自分の隣でよく見ていた笑顔。
今日は。
柊真との時間の中で生まれている。
「そっか」
「湊も楽しんでね」
「……うん」
それ以上。
話すことが見つからなかった。
「陽菜乃、行く?」
柊真が声をかける。
「うん」
「じゃあね、湊」
「ああ」
二人が歩き出す。
湊は。
その後ろ姿を見送るしかなかった。
「湊くん」
美羽が戻ってきた。
「どうしたの?」
「何が」
「顔、暗いよ」
「……別に」
「小宮山さん?」
湊が美羽を見る。
「なんで?」
「だって」
美羽は少し笑う。
「水野くんと付き合ってるみたいだったね」
「……付き合ってない」
「でも手つないでたよ?」
「知ってる」
声が思ったより低くなった。
美羽はそれ以上言わなかった。
でも。
湊の視線が。
陽菜乃だけを追っている。
そのことを。
美羽ははっきり見てしまった。
午後八時前。
陽菜乃と柊真は、駅近くの小さな公園のベンチに座っていた。
人混みを離れ。
少しだけ静かになった。
「今日、楽しかった」
陽菜乃が言う。
「まだ終わってないけど」
「でも言いたかったの」
「そっか」
「誘ってくれてありがとう」
「うん」
柊真が陽菜乃を見る。
「……成瀬見て、大丈夫だった?」
少しだけ胸が揺れる。
「うん」
「ほんと?」
「うん」
陽菜乃は考えてから。
正直に答えた。
「美羽ちゃんが一緒にいるの見たら、少しだけ嫌だった」
「……」
「でも」
柊真を見る。
「前ほどじゃなかった」
「……そっか」
「どうしてかな」
聞きながら。
答えは。
もう少しずつ分かっていた。
「柊真くんが一緒にいるからかな」
「……陽菜乃」
「なに?」
柊真が。
何かを言いかける。
でも。
やめた。
「今日はいい」
「何が?」
「言うの」
「何を?」
「秘密」
「また?」
「うん」
陽菜乃は頬をふくらませた。
「最近秘密多いよ」
「そのうち言う」
「いつ?」
「ちゃんと陽菜乃が聞ける時」
「……?」
意味は分からない。
でも。
柊真がとても優しい顔をしていた。
夜。
家へ帰った陽菜乃は、自分のベッドへ腰を下ろした。
スマホを開く。
今日撮った写真。
クリスマスツリー。
ホットチョコレート。
二人で撮った写真。
そして。
柊真がプレゼントしてくれた白い手袋。
「……」
写真を見るだけで。
また胸が温かくなる。
楽しかった。
本当に。
そして。
来年も。
また一緒に行きたい。
そう思った。
「……私」
陽菜乃は胸へ手を当てた。
湊が好き。
ずっと。
そう思っていた。
でも。
今。
一番思い出しているのは。
湊ではない。
柊真の笑顔。
柊真の言葉。
柊真とつないだ手。
「柊真くん……」
名前を口にする。
胸が。
どきっと鳴った。
その気持ちを。
もう。
ただの友達へのものだとは。
思えなくなっていた。
同じ頃。
美羽も自分の部屋でスマホを開いていた。
今日撮った写真。
サッカー部のみんなとの集合写真。
そして。
イルミネーションの前で撮った一枚。
写真の端には。
湊の肩が少しだけ写っていた。
美羽は文章を入力する。
『今年のクリスマス、幸せでした♡』
少し迷って。
投稿する。
すぐにコメントがついた。
『もしかして成瀬くん?』
『デート?』
『やっぱり付き合ってるの?』
美羽は。
そのどれにも。
答えなかった。
否定もしなかった。
ただ。
画面を見つめていた。
そして――。
この投稿が。
翌日。
湊自身の目に入ることになる。
今まで積み重なってきたすれ違いが。
初めて。
大きく崩れ始めようとしていた。
クリスマスイブ。
朝から、陽菜乃は何度も時計を見ていた。
「まだ二時……」
待ち合わせは午後四時半。
あと二時間以上もある。
それなのに、机に向かって冬休みの宿題を開いても、まったく頭に入ってこなかった。
数学の問題を一つ解いて。
時計を見る。
英単語を三つ覚えて。
また時計を見る。
「陽菜乃」
「きゃっ!」
部屋の扉から顔を出した姉の結衣に呼ばれ、陽菜乃は肩を揺らした。
「びっくりした……」
「こっちがびっくりするよ。さっきから時計ばっかり見てるけど」
「見てないよ」
「見てる」
結衣は笑いながら部屋へ入ってきた。
ベッドの上には、今日着ようと思って用意した服が並べてある。
白いショートコート。
淡い水色のニット。
チェック柄のスカート。
そして、陽菜乃が昨日まで悩みに悩んで選んだ小さなバッグ。
結衣はそれを見て、楽しそうに眉を上げた。
「気合い入ってるね」
「そ、そんなんじゃないよ!」
「今日は水野くんと二人でイルミネーションなんでしょ?」
「……うん」
「それを世間ではデートって言います」
「だから……!」
否定しようとして。
陽菜乃は途中で言葉を止めた。
昨日までは、
『デートじゃない』
と何度も言っていた。
でも。
本当にそうなのだろうか。
二人きりで。
クリスマスイブに。
イルミネーションを見に行く。
しかも陽菜乃は、今日のために昨日から服を考えている。
髪型だって。
いつものように結ぶか、下ろすか。
何度も鏡の前で試していた。
「……やっぱり、デートなのかな」
小さくつぶやく。
「やっと気づいた?」
「お姉ちゃん!」
陽菜乃は恥ずかしくなって、近くにあったクッションを抱きしめた。
結衣が楽しそうに笑う。
「で?」
「何?」
「水野くんのこと、好きなの?」
「……!」
陽菜乃の顔が一気に熱くなった。
「そ、それは……」
答えられない。
少し前までなら。
すぐに、
『私が好きなのは湊だよ』
と言えた。
ずっとそうだった。
幼い頃から。
陽菜乃の初恋は、ずっと湊だった。
でも最近。
柊真のことを考える時間が増えた。
学校へ来なければ寂しい。
誰かと楽しそうにしていたら気になる。
自分の好きなものを覚えていてくれると嬉しい。
そして。
クリスマスに二人で出かけようと誘われた時。
すごく嬉しかった。
「……分かんない」
陽菜乃は正直に答えた。
「でも」
「うん」
「今日は……すごく楽しみ」
結衣の表情が少しやわらかくなる。
「それでいいんじゃない?」
「え?」
「無理に答え出さなくても。今日一日、一緒に過ごしてみれば?」
「……うん」
陽菜乃は小さくうなずいた。
午後四時十五分。
待ち合わせ場所の駅前。
陽菜乃は大きなクリスマスツリーの近くで、落ち着かない気持ちのまま立っていた。
空はすでに暗くなり始めている。
駅前の木々には、小さな電飾が灯り始めていた。
白。
青。
金色。
冷たい冬の空気の中で、光だけがあたたかそうに輝いている。
近くを通る人たちも。
恋人同士。
友達同士。
家族連れ。
みんな楽しそうだった。
「……早く来すぎた」
待ち合わせの十五分前。
昨日、
『遅刻しないようにしなきゃ』
と思いすぎた結果だ。
「寒い……」
陽菜乃は手に息を吹きかけた。
今日は手袋を持ってきている。
でも。
バッグの奥に入れたままだった。
なぜなら。
少し緊張していて、出すことまで忘れていたから。
「陽菜乃」
聞き慣れた声。
「え?」
顔を上げる。
「柊真くん!」
少し離れたところから、柊真が歩いてくる。
黒いコート。
グレーのマフラー。
いつもの制服姿ではない。
それだけで。
知っている男の子なのに、少し違って見える。
(……かっこいい)
そう思った瞬間。
陽菜乃は慌てて視線をそらした。
「待った?」
「ううん。私も今来たところ」
「嘘」
「えっ」
「手、めっちゃ冷たそう」
柊真が陽菜乃の手を見る。
「あ……」
「何分待った?」
「十五分……くらい」
「早すぎ」
「遅れたくなかったの」
「俺も遅れねえよ」
柊真は少し笑った。
そして。
陽菜乃を上から下まで見る。
「……」
「な、なに?」
急に意識してしまう。
今日の服。
変じゃない?
髪。
おかしくない?
考えているうちに、どんどん不安になる。
「変?」
「逆」
「え?」
柊真が少しだけ顔をそらした。
「かわいい」
「……!」
陽菜乃の心臓が、どくんと鳴った。
「今日、いつもより」
「……」
「その……似合ってる」
柊真のほうまで少し照れているように見えた。
陽菜乃はマフラーへ口元を隠した。
「……ありがとう」
胸がいっぱいになる。
湊に浴衣を褒めてもらった時も。
すごく嬉しかった。
でも。
今日。
柊真に言われた、
『かわいい』
は。
また違う形で、胸の奥に残った。
二人は、まず駅前のクリスマスマーケットを回ることにした。
小さな屋台には、クリスマスらしい雑貨や温かい飲み物が並んでいた。
「あ、見て!」
陽菜乃が足を止める。
「雪だるま」
木で作られた、小さな雪だるまの飾り。
「かわいい」
「陽菜乃、そういうの好きだな」
「うん」
「文化祭でもうさぎのぬいぐるみ欲しがってたし」
「あれ、今もちゃんと飾ってるよ」
「まだ?」
「まだって何?」
「とっくに飽きてるかと思った」
「飽きないよ」
陽菜乃は少し笑う。
「柊真くんが取ってくれたものだし」
「……」
「どうしたの?」
「何でもねえ」
また。
柊真が顔をそらす。
でも最近。
陽菜乃にも少し分かるようになってきた。
柊真がこうする時。
たぶん。
少し照れている。
(……かわいいかも)
そこまで考えて。
陽菜乃は自分でびっくりした。
(私、今、柊真くんのことかわいいって思った?)
慌てて別の屋台へ目を向ける。
「ほ、ホットチョコレート!」
「急だな」
「飲みたい」
「いいよ」
二人で一つずつ買った。
白い湯気。
甘い香り。
陽菜乃は紙カップを両手で包む。
「あったかい……」
「飲む前に冷ませよ」
「分かってるよ」
「前に熱いの飲んで騒いでた」
「もう覚えてなくていいのに」
陽菜乃は何度も息を吹きかけた。
ふー。
ふー。
その姿を柊真が見ている。
「……何?」
「必死だなと思って」
「猫舌なんだから仕方ないの」
「知ってる」
その一言。
知ってる。
陽菜乃は、なぜか嬉しかった。
自分の小さなことを。
柊真が少しずつ知ってくれている。
そして自分も。
柊真の好きな食べ物。
苦手な教科。
弟がいること。
意外と甘いものが嫌いではないこと。
見た目よりずっと家族思いなこと。
いろいろ知るようになった。
(もっと……知りたいかも)
そんな気持ちが浮かんだ。
「そうだ」
陽菜乃がバッグを開く。
「柊真くん」
「ん?」
「これ」
小さな紙袋を差し出す。
「……何?」
「クリスマスプレゼント」
柊真が目を丸くした。
「俺に?」
「うん」
「用意してたの?」
「……うん」
恥ずかしくなって、陽菜乃は視線を下げた。
数日前。
雑貨屋で何度も迷いながら選んだ。
黒を基調にしたキーホルダー。
柊真が持っていても変ではないもの。
あまりかわいすぎず。
でも陽菜乃らしい色も少しだけ入っているもの。
「開けていい?」
「うん」
柊真が袋を開く。
キーホルダーを見る。
「……これ」
「どう?」
「好き」
「ほんと?」
「ああ」
陽菜乃の顔がぱっと明るくなる。
「よかったぁ」
「陽菜乃が選んだ?」
「もちろん」
「俺が好きそうなやつ?」
「いっぱい考えたよ」
その瞬間。
柊真が少しだけ固まった。
「……いっぱい?」
「うん。三軒くらい見た」
「……」
「柊真くん?」
「ちょっと待って」
「え?」
「今めちゃくちゃ嬉しい」
陽菜乃の胸が、また大きく鳴る。
「そんなに?」
「陽菜乃が俺のこと考えて選んだんだろ」
「……うん」
「じゃあ嬉しいに決まってる」
その言葉が。
まっすぐ胸へ入ってきた。
柊真はその場で、鞄についていた古いキーホルダーを外した。
そして。
陽菜乃からもらったものをつける。
「もう使うの?」
「もらったんだから」
「……嬉しい」
陽菜乃は思わず口にした。
「私も嬉しい」
二人で笑う。
クリスマスの光の中。
その時間が。
すごく大切に思えた。
「じゃあ俺からも」
「え?」
柊真がコートのポケットから、小さな白い箱を取り出した。
「私にも?」
「当たり前」
「……開けていい?」
「ああ」
陽菜乃はそっと箱を開ける。
「わあ……」
中に入っていたのは。
白い手袋。
手首のところに、小さないちごの刺しゅう。
「かわいい……!」
陽菜乃は目を輝かせた。
「この前、手冷たいって言ってただろ」
「覚えてたの?」
「毎回言ってる」
「でも……」
自分が何気なく言ったことを。
覚えていてくれた。
「つけてみろよ」
「うん」
陽菜乃は手袋をつける。
指先までぴったり。
「どう?」
「あったかい」
「サイズ大丈夫?」
「ぴったり!」
陽菜乃は嬉しくなって、両手を柊真へ見せた。
「ありがとう!」
「……うん」
柊真も少し笑った。
その笑顔を見た時。
陽菜乃の胸の中で。
何かが。
また一つ変わった気がした。
午後六時。
イルミネーションが一斉に灯った。
「……わあ」
陽菜乃は思わず声を上げた。
大きなクリスマスツリー。
青と白の光。
金色に輝くアーチ。
夜の広場全体が、まるで別の世界みたいだった。
「すごい……」
「そんな感動する?」
「だって本当にきれい」
陽菜乃は夢中で見上げる。
光が瞳に映る。
その横顔を。
柊真はしばらく見ていた。
「柊真くん?」
「ん?」
「見ないの?」
「見てる」
「ツリーじゃなくて?」
「……今見る」
「変なの」
陽菜乃は笑った。
人がどんどん増えてくる。
前から。
後ろから。
少しずつ押される。
「わっ」
陽菜乃がバランスを崩した。
「危ね」
柊真が腕を支える。
「大丈夫?」
「うん」
でも。
人の流れはまだ続いている。
離れそうになり。
陽菜乃は反射的に、柊真のコートの袖をつかんだ。
「……あ」
気づく。
この癖。
昔から。
ずっと湊にしていた。
人混み。
お祭り。
初詣。
怖い時。
はぐれそうになると。
『湊』
そう言って、湊の袖をつかんでいた。
それなのに。
今。
手を伸ばした相手は。
柊真だった。
「ごめん」
離そうとした、その時。
柊真が言った。
「別にいい」
「でも」
「つーか」
柊真が手を差し出す。
「袖よりこっちのほうがよくね?」
「……え?」
「はぐれねえし」
大きな手。
陽菜乃は見つめた。
心臓がうるさい。
「嫌ならいいけど」
柊真が少しだけ引こうとする。
「待って」
陽菜乃は。
自分から。
その手を握った。
白い手袋越しでも。
柊真の手が大きいのが分かる。
「……嫌じゃない」
「……そっか」
柊真も握り返す。
二人で歩き始める。
人混みだから。
はぐれないため。
理由はある。
でも。
(……離したくない)
陽菜乃は、そう思ってしまった。
それが。
少し怖くて。
同時に。
すごく嬉しかった。
◇
同じ頃。
「成瀬、写真入れ!」
「今行く」
少し離れた場所には。
湊たちサッカー部も来ていた。
男子部員。
女子マネージャー。
何人もの仲間。
美羽も一緒。
「湊くん、こっち!」
美羽が笑顔で手を振る。
でも。
湊の視線は。
別の場所で止まっていた。
「……」
人混みの向こう。
白いコート。
すぐ分かった。
「陽菜乃」
そして。
その隣に。
柊真。
湊の目が。
二人の手へ向かう。
「……」
つないでいる。
陽菜乃から。
柊真の手を。
握っている。
胸が。
強く痛んだ。
「湊?」
悠人が気づく。
「……あれ」
悠人も見る。
「陽菜乃ちゃんと水野か」
湊は答えない。
クリスマス。
誘いたかった。
本当は。
自分が。
陽菜乃の隣にいたかった。
でも。
迷って。
何も言えないまま。
陽菜乃は。
別の男と手をつないでいる。
「……遅かった」
湊の声は。
誰にも届かないほど小さかった。
その時。
陽菜乃が顔を上げた。
「……あ」
湊と目が合う。
胸が少しだけ痛む。
「湊」
「陽菜乃」
二人が近づく。
「湊も来てたんだ」
「……うん」
「サッカー部のみんなと?」
「ああ」
そして。
陽菜乃は。
美羽を見る。
やっぱり。
湊の近くにいる。
胸が。
ちくり。
でも。
以前ほど苦しくない。
陽菜乃自身。
それに気づいた。
(……あれ)
どうして。
前なら。
美羽が隣にいるだけで。
帰りたくなるくらい苦しかった。
でも今は。
隣には柊真がいる。
それだけで。
大丈夫だと思える。
「陽菜乃」
湊の視線が下へ向く。
二人の手。
陽菜乃は気づいた。
でも。
離さなかった。
「……水野と来たんだ」
「うん」
「二人で?」
少し恥ずかしい。
でも。
「うん」
きちんと答えた。
湊の顔が。
少しだけ傷ついたように見えた。
その理由は。
陽菜乃には分からなかった。
「楽しんでる?」
「うん」
陽菜乃は笑う。
「すごく」
その言葉。
湊の胸に刺さる。
今まで。
自分の隣でよく見ていた笑顔。
今日は。
柊真との時間の中で生まれている。
「そっか」
「湊も楽しんでね」
「……うん」
それ以上。
話すことが見つからなかった。
「陽菜乃、行く?」
柊真が声をかける。
「うん」
「じゃあね、湊」
「ああ」
二人が歩き出す。
湊は。
その後ろ姿を見送るしかなかった。
「湊くん」
美羽が戻ってきた。
「どうしたの?」
「何が」
「顔、暗いよ」
「……別に」
「小宮山さん?」
湊が美羽を見る。
「なんで?」
「だって」
美羽は少し笑う。
「水野くんと付き合ってるみたいだったね」
「……付き合ってない」
「でも手つないでたよ?」
「知ってる」
声が思ったより低くなった。
美羽はそれ以上言わなかった。
でも。
湊の視線が。
陽菜乃だけを追っている。
そのことを。
美羽ははっきり見てしまった。
午後八時前。
陽菜乃と柊真は、駅近くの小さな公園のベンチに座っていた。
人混みを離れ。
少しだけ静かになった。
「今日、楽しかった」
陽菜乃が言う。
「まだ終わってないけど」
「でも言いたかったの」
「そっか」
「誘ってくれてありがとう」
「うん」
柊真が陽菜乃を見る。
「……成瀬見て、大丈夫だった?」
少しだけ胸が揺れる。
「うん」
「ほんと?」
「うん」
陽菜乃は考えてから。
正直に答えた。
「美羽ちゃんが一緒にいるの見たら、少しだけ嫌だった」
「……」
「でも」
柊真を見る。
「前ほどじゃなかった」
「……そっか」
「どうしてかな」
聞きながら。
答えは。
もう少しずつ分かっていた。
「柊真くんが一緒にいるからかな」
「……陽菜乃」
「なに?」
柊真が。
何かを言いかける。
でも。
やめた。
「今日はいい」
「何が?」
「言うの」
「何を?」
「秘密」
「また?」
「うん」
陽菜乃は頬をふくらませた。
「最近秘密多いよ」
「そのうち言う」
「いつ?」
「ちゃんと陽菜乃が聞ける時」
「……?」
意味は分からない。
でも。
柊真がとても優しい顔をしていた。
夜。
家へ帰った陽菜乃は、自分のベッドへ腰を下ろした。
スマホを開く。
今日撮った写真。
クリスマスツリー。
ホットチョコレート。
二人で撮った写真。
そして。
柊真がプレゼントしてくれた白い手袋。
「……」
写真を見るだけで。
また胸が温かくなる。
楽しかった。
本当に。
そして。
来年も。
また一緒に行きたい。
そう思った。
「……私」
陽菜乃は胸へ手を当てた。
湊が好き。
ずっと。
そう思っていた。
でも。
今。
一番思い出しているのは。
湊ではない。
柊真の笑顔。
柊真の言葉。
柊真とつないだ手。
「柊真くん……」
名前を口にする。
胸が。
どきっと鳴った。
その気持ちを。
もう。
ただの友達へのものだとは。
思えなくなっていた。
同じ頃。
美羽も自分の部屋でスマホを開いていた。
今日撮った写真。
サッカー部のみんなとの集合写真。
そして。
イルミネーションの前で撮った一枚。
写真の端には。
湊の肩が少しだけ写っていた。
美羽は文章を入力する。
『今年のクリスマス、幸せでした♡』
少し迷って。
投稿する。
すぐにコメントがついた。
『もしかして成瀬くん?』
『デート?』
『やっぱり付き合ってるの?』
美羽は。
そのどれにも。
答えなかった。
否定もしなかった。
ただ。
画面を見つめていた。
そして――。
この投稿が。
翌日。
湊自身の目に入ることになる。
今まで積み重なってきたすれ違いが。
初めて。
大きく崩れ始めようとしていた。

