十二月も半ばを過ぎた。
朝、校門をくぐると、いつもの学校が少しだけ華やかになっていた。
昇降口には、生徒会が飾った小さなクリスマスツリー。
廊下の窓には、白い雪の結晶をかたどった紙飾りが貼られている。
冬休みまで、あと少し。
そして――クリスマスまでも、あと一週間。
「陽菜乃、おはよ!」
「美緒ちゃん、おはよう」
教室へ入ると、美緒がすぐに手を振ってきた。
陽菜乃はマフラーを外しながら、自分の席へ向かう。
「今日も寒いね」
「朝、布団から出るのに十分かかった」
「私は十五分」
「負けた」
「これ勝ちなの?」
二人で笑う。
その時。
「陽菜乃」
聞き慣れた低い声がして、陽菜乃は振り返った。
「柊真くん」
教室の後ろから、柊真が歩いてくる。
先日風邪で休んでいたとは思えないほど、顔色はすっかり戻っていた。
「もう風邪、本当に大丈夫?」
「何日前の話してんの」
「だって心配だったから」
「もう治ったって」
「ならいいけど」
陽菜乃はほっとして笑った。
柊真が学校を休んだあの日。
一日中、空いた席ばかり見ていた。
放課後には、先生に頼まれたプリントを届けるという理由があったとはいえ、わざわざ飲み物やゼリーまで買って柊真の家へ行った。
そして次の日。
柊真が教室にいるだけで、すごく嬉しかった。
あの時の気持ちは、今も陽菜乃の胸に残っている。
「そうだ」
柊真が思い出したように鞄を開けた。
「これ」
「え?」
机の上に置かれたのは、小さな袋だった。
「なに?」
「この前のお守りのお礼……じゃなくて」
「お守り?」
「間違えた」
柊真が少し眉を寄せる。
「風邪の時の差し入れのお礼」
「ああ……」
陽菜乃は袋の中をのぞいた。
入っていたのは、小さないちごミルク。
「……いちごミルク!」
「好きだろ」
「うん」
陽菜乃の顔がぱっと明るくなる。
「覚えててくれたの?」
「いつも飲んでるじゃん」
「でも嬉しい」
「一本でそんな喜ぶ?」
「好きなもの覚えててもらえるのって嬉しいよ」
陽菜乃が素直に言うと、柊真は一瞬だけ黙った。
「……そういうこと平気で言うよな」
「え?」
「なんでもねえ」
「また?」
最近、柊真はよくそう言う。
何か言いかけて、途中でやめる。
そのたびに少しだけ気になる。
でも。
無理に聞くのも違うような気がして、陽菜乃はそれ以上追いかけなかった。
「ありがとう」
「うん」
いちごミルクを両手で持つ。
冷たいはずなのに。
なんだか手の中が温かく感じた。
昼休み。
「クリスマスどうするー?」
莉子が突然、大きな声を出した。
「クリスマス?」
陽菜乃が顔を上げる。
美緒、莉子、陽菜乃。
それから今日は柊真も近くでパンを食べている。
「二十四日!」
莉子がスマホを見せてきた。
画面には駅前のイルミネーション。
青と金色の光に包まれた、大きなクリスマスツリーが写っている。
「今年、去年よりすごいんだって」
「きれい……」
陽菜乃は思わず見入った。
駅前には毎日のように行く。
でも。
夜のイルミネーションをゆっくり見たことはなかった。
「美緒は?」
「私は家族でご飯かな。その前なら行けるけど」
「陽菜乃は?」
「私?」
「予定ある?」
聞かれて。
陽菜乃は少しだけ考えた。
真っ先に浮かんだのは。
湊。
小さい頃は、クリスマスになると小宮山家か成瀬家に集まった。
ケーキを食べて。
プレゼントを交換して。
サンタの帽子をかぶって、写真を撮ったこともある。
でも。
高校生になってから。
二人でクリスマスを過ごしたことはない。
それに最近は。
朝も一緒に行かない。
帰りも別々。
学校で顔を合わせても、以前ほど長く話さない。
「……特にないよ」
陽菜乃は答えた。
「成瀬くんは?」
莉子が聞く。
「分かんない」
「幼馴染なのに?」
「最近、あんまり聞かないから」
自分で言って。
胸が少しだけ痛んだ。
でも。
以前ほどではない。
そのことに陽菜乃自身が少し驚く。
「じゃあみんなでイルミネーション行こうよ!」
「いいね」
美緒が笑う。
「柊真くんも来る?」
莉子が急に柊真へ振る。
「俺?」
「暇でしょ?」
「決めつけんな」
「予定あるの?」
「別にないけど」
「じゃあ決まり!」
「勝手だな」
柊真はあきれたように言う。
でも。
断らなかった。
陽菜乃はなぜか、それを少し嬉しいと思った。
午後の授業が終わったあと。
陽菜乃はダンス部へ向かうため、教科書を鞄へしまっていた。
その時。
スマホが震えた。
「……?」
SNSの通知。
何気なく画面を開く。
そこに表示された名前を見て。
陽菜乃の指が止まった。
一ノ瀬美羽。
投稿されたばかりの写真。
駅前のクリスマスツリーだった。
まだ夕方なので、空は完全には暗くない。
それでも木々には光が灯っていて、とてもきれいだった。
写真の下には。
『今年のクリスマス、楽しみ♡
大好きな人と一緒に見られたらいいな』
「……」
胸の奥が、ちくっとした。
大好きな人。
名前は書かれていない。
でも。
陽菜乃には、一人しか思い浮かばなかった。
(……湊だよね)
さらに。
二枚目の写真。
サッカー部の練習後らしい集合写真。
何人もいる中で。
美羽は、湊のすぐ隣に立っている。
肩が触れそうなくらい。
コメントには。
『大好きな人って成瀬くん?』
『やっぱり二人お似合い!』
『クリスマス一緒に過ごすの?』
美羽は。
まだ何も返していなかった。
否定も。
肯定も。
していない。
「……まただ」
陽菜乃は小さくつぶやいた。
試合。
文化祭。
部活帰り。
何度も見てきた、美羽の投稿。
名前を出してはいない。
付き合っているとも書いていない。
でも。
見るたびに。
まるで二人が特別な関係であるように感じてしまう。
「陽菜乃」
「……!」
突然声をかけられて、陽菜乃は慌てて画面を閉じた。
「柊真くん」
「何見てた?」
「SNS」
「また成瀬のマネージャー?」
どうして分かるのだろう。
「……うん」
陽菜乃は苦笑した。
「顔で分かる?」
「分かる」
「そんなに?」
「前よりはマシだけど」
「え?」
柊真が陽菜乃を見る。
「前はそういうの見たら、一日中へこんでただろ」
「……」
確かに。
以前なら。
この投稿を見ただけで、部活にも集中できなかったかもしれない。
でも今は。
胸は痛い。
寂しいとも思う。
それでも。
目の前にいる柊真を見ると。
その痛みが少しだけ薄くなる。
「……ほんとだ」
「何?」
「前ほど苦しくないかも」
口に出して。
自分でも気づく。
「なんでだろう」
陽菜乃は首をかしげた。
柊真は何か言いたそうにした。
でも。
「さあ」
それだけだった。
◇
その頃。
五組の教室では。
「クリスマスイブ、サッカー部みんなで駅前行こうぜ」
悠人が机に腰をかけながら言った。
「午前練で終わるんだろ?」
「そうらしい」
湊は教科書を鞄へ入れる。
「湊も来るよな?」
「……分かんない」
「なんで?」
「予定決まってないから」
「予定?」
悠人が少し笑う。
「陽菜乃ちゃん?」
湊の手が止まった。
「声でかい」
「図星?」
「……」
湊は何も答えない。
クリスマス。
ずっと考えていた。
陽菜乃を誘えないか。
二人でイルミネーションへ行けないか。
少し前なら。
普通に言えた。
『行こう』
それだけで。
でも今は。
何を言っても。
断られる気がする。
朝も一緒ではなくなった。
帰りも。
昼休みも。
そして。
陽菜乃の隣には、柊真がいる時間が増えた。
「誘えばいいじゃん」
悠人が言う。
「簡単に言うなよ」
「幼馴染なんだろ?」
「……だから困ってんだよ」
湊自身。
最近は分かってきていた。
幼馴染だから。
それだけでは足りない。
陽菜乃は。
自分が何も言わない間に。
少しずつ離れている。
「早くしないと」
悠人が何気なく言う。
「本当に水野に取られるぞ」
「……」
その言葉が。
以前よりずっと重く響いた。
「湊くん!」
放課後。
グラウンドへ向かう途中で、美羽が追いかけてきた。
「何?」
「クリスマスイブのこと聞いた?」
「部活のみんなで駅前行くやつ?」
「うん!」
美羽が嬉しそうに笑う。
「湊くんも行こうよ」
「まだ分かんない」
「予定あるの?」
「……あるかもしれない」
美羽の笑顔が、ほんの少しだけ止まった。
「誰かと?」
「まだ何も決まってない」
「そっか」
美羽はそれ以上聞かなかった。
でも。
誰を誘おうとしているのか。
なんとなく分かってしまった。
小宮山陽菜乃。
美羽は唇を少しだけ結んだ。
夕方。
ダンス部の練習が終わった陽菜乃は、体育館の外へ出た。
「さむっ……」
外はすっかり暗くなっている。
吐く息が白い。
陽菜乃はコートの前を閉じてから、スマホを見る。
美緒からメッセージ。
『ごめん! 二十四日、親戚来ることになってイルミネーション無理かも!』
「えっ」
さらに莉子。
『私も家族で出かけることになったー! ごめん!』
「……」
陽菜乃は立ち止まった。
さっきまで。
みんなで行くつもりだった。
でも。
これでは。
「なくなっちゃった……」
少し残念。
あのイルミネーション。
見てみたかった。
それに。
柊真も来ると思っていたから。
(……柊真くんも)
自分がそう考えたことに気づき。
陽菜乃は少しだけ戸惑った。
イルミネーションが見たかった。
それだけ?
それとも。
柊真と一緒に行きたかった?
「陽菜乃」
声。
顔を上げる。
「柊真くん」
昇降口の壁に、柊真が寄りかかっていた。
「終わった?」
「うん」
「帰る?」
「うん」
二人で学校を出る。
少し歩いてから。
「そういえば」
柊真が言った。
「クリスマス」
「……うん」
「美緒たち、行けなくなったんだろ」
「なんで知ってるの?」
「クラスのグループで言ってた」
「ああ」
陽菜乃は少し笑った。
「仕方ないよね」
「行きたかった?」
「……ちょっと」
「イルミネーション?」
「うん」
少しだけ。
期待してしまう。
でも。
何を期待しているのか。
自分でも分からない。
柊真はしばらく何も言わなかった。
そして。
「じゃあ行く?」
陽菜乃は足を止めた。
「え?」
「二十四日」
「……」
「俺と」
胸が。
大きく鳴った。
「二人で?」
「嫌?」
クリスマス。
イルミネーション。
男の子と二人。
どう考えても。
友達だけの約束とは、少し違うような気がする。
「……」
陽菜乃は返事を迷った。
頭に。
湊の顔が浮かぶ。
そして。
美羽のSNSも。
『大好きな人と一緒に見られたらいいな』
胸が少し痛む。
でも。
そのあと。
目の前の柊真を見る。
冷たい風の中。
返事を待っている。
無理に笑わない。
急かさない。
陽菜乃の答えを。
ただ待ってくれている。
「……行きたい」
自然に。
言葉が出た。
柊真が少しだけ目を見開く。
「ほんと?」
「うん」
陽菜乃は笑った。
「柊真くんと一緒に、イルミネーション見たい」
言ってから。
急に恥ずかしくなる。
「あ……」
「何?」
「今の、ちょっと……」
「取り消す?」
「……」
本当に取り消したい?
陽菜乃は自分へ問いかける。
答えは。
すぐに出た。
「……取り消さない」
小さな声。
柊真が笑う。
「そっか」
「うん」
陽菜乃も笑った。
胸の奥が。
じんわり温かかった。
次の日。
教室では。
早速その話が広まった。
「えっ! 陽菜乃、水野くんとクリスマス!?」
「ちょっと莉子ちゃん!」
「二人で!?」
「声大きい!」
陽菜乃は真っ赤になって莉子の腕をつかんだ。
「イルミネーション見に行くだけ!」
「それデートじゃない?」
「デートじゃ……」
言いかける。
でも。
前みたいに。
すぐ否定できなかった。
デート。
そう言われたら。
恥ずかしい。
でも。
嫌ではない。
「……分かんない」
「え?」
「デートかどうかは……」
陽菜乃は頬を赤くしたまま。
「でも、楽しみ」
そう言った。
莉子と美緒が顔を見合わせる。
「陽菜乃」
「なに?」
「顔、完全に恋する女子」
「ええっ!?」
「やっとだ」
「何が!?」
クラスが笑い声に包まれる。
柊真は自分の席で、
「うるせえ」
とだけ言った。
でも。
どこか嬉しそうだった。
その時。
二年二組の教室の外。
湊が立っていた。
手には。
スマホ。
画面には、まだ送っていないメッセージ。
『クリスマス、予定ある?』
昨日から。
何度も書いて。
消して。
ようやく送ろうと思って。
陽菜乃の教室まで来た。
でも。
中から聞こえた。
『水野くんとクリスマス』
『二人でイルミネーション』
そして。
陽菜乃の。
『楽しみ』
という声。
「……」
指が。
動かなかった。
送れない。
湊は画面の文字を見つめた。
そして。
一文字ずつ。
消していく。
『クリスマス、予定ある?』
全部。
消えた。
「……遅かった」
誰にも聞こえない声。
体育祭の時も。
花火大会も。
文化祭も。
誕生日も。
いつだって。
陽菜乃は自分のところへ戻ってくると思っていた。
幼馴染だから。
ずっと隣にいたから。
明日も同じだと思っていた。
でも。
陽菜乃は。
もう。
自分のところで待っているだけの女の子ではない。
教室の中。
陽菜乃が笑っている。
その視線の先には。
柊真。
湊は。
初めて。
本当の意味で怖くなった。
このまま何もしなければ。
陽菜乃を。
本当に失うかもしれない。
放課後。
陽菜乃は一人で、駅前のショーウインドーをのぞいていた。
ダンス部で使う小物を買いに来た帰り。
ガラスの向こうには。
冬物のコート。
マフラー。
小さなバッグ。
「……」
白いコートが目に入る。
(クリスマス……何着ていこう)
そう考えた瞬間。
自分で自分に驚いた。
今まで。
誰かと出かけるために。
服をこんなに気にしたことがあっただろうか。
花火大会の浴衣の時は。
湊にかわいいと思ってほしかった。
あの頃は。
湊だけだった。
でも今。
思い浮かべているのは。
「柊真くん……」
小さく名前を口にする。
どんな服なら。
かわいいと思ってくれるかな。
そう考えてしまう。
胸が。
また少し速く鳴る。
陽菜乃はショーウインドーに映る自分を見た。
そして。
困ったように。
でも。
少しだけ嬉しそうに笑った。
クリスマスが。
待ち遠しい。
それはもう。
イルミネーションが見たいからだけではなかった。
水野柊真と。
二人で過ごせることが。
楽しみだった。
その気持ちだけは。
もう。
自分に嘘をつくことができなかった。
朝、校門をくぐると、いつもの学校が少しだけ華やかになっていた。
昇降口には、生徒会が飾った小さなクリスマスツリー。
廊下の窓には、白い雪の結晶をかたどった紙飾りが貼られている。
冬休みまで、あと少し。
そして――クリスマスまでも、あと一週間。
「陽菜乃、おはよ!」
「美緒ちゃん、おはよう」
教室へ入ると、美緒がすぐに手を振ってきた。
陽菜乃はマフラーを外しながら、自分の席へ向かう。
「今日も寒いね」
「朝、布団から出るのに十分かかった」
「私は十五分」
「負けた」
「これ勝ちなの?」
二人で笑う。
その時。
「陽菜乃」
聞き慣れた低い声がして、陽菜乃は振り返った。
「柊真くん」
教室の後ろから、柊真が歩いてくる。
先日風邪で休んでいたとは思えないほど、顔色はすっかり戻っていた。
「もう風邪、本当に大丈夫?」
「何日前の話してんの」
「だって心配だったから」
「もう治ったって」
「ならいいけど」
陽菜乃はほっとして笑った。
柊真が学校を休んだあの日。
一日中、空いた席ばかり見ていた。
放課後には、先生に頼まれたプリントを届けるという理由があったとはいえ、わざわざ飲み物やゼリーまで買って柊真の家へ行った。
そして次の日。
柊真が教室にいるだけで、すごく嬉しかった。
あの時の気持ちは、今も陽菜乃の胸に残っている。
「そうだ」
柊真が思い出したように鞄を開けた。
「これ」
「え?」
机の上に置かれたのは、小さな袋だった。
「なに?」
「この前のお守りのお礼……じゃなくて」
「お守り?」
「間違えた」
柊真が少し眉を寄せる。
「風邪の時の差し入れのお礼」
「ああ……」
陽菜乃は袋の中をのぞいた。
入っていたのは、小さないちごミルク。
「……いちごミルク!」
「好きだろ」
「うん」
陽菜乃の顔がぱっと明るくなる。
「覚えててくれたの?」
「いつも飲んでるじゃん」
「でも嬉しい」
「一本でそんな喜ぶ?」
「好きなもの覚えててもらえるのって嬉しいよ」
陽菜乃が素直に言うと、柊真は一瞬だけ黙った。
「……そういうこと平気で言うよな」
「え?」
「なんでもねえ」
「また?」
最近、柊真はよくそう言う。
何か言いかけて、途中でやめる。
そのたびに少しだけ気になる。
でも。
無理に聞くのも違うような気がして、陽菜乃はそれ以上追いかけなかった。
「ありがとう」
「うん」
いちごミルクを両手で持つ。
冷たいはずなのに。
なんだか手の中が温かく感じた。
昼休み。
「クリスマスどうするー?」
莉子が突然、大きな声を出した。
「クリスマス?」
陽菜乃が顔を上げる。
美緒、莉子、陽菜乃。
それから今日は柊真も近くでパンを食べている。
「二十四日!」
莉子がスマホを見せてきた。
画面には駅前のイルミネーション。
青と金色の光に包まれた、大きなクリスマスツリーが写っている。
「今年、去年よりすごいんだって」
「きれい……」
陽菜乃は思わず見入った。
駅前には毎日のように行く。
でも。
夜のイルミネーションをゆっくり見たことはなかった。
「美緒は?」
「私は家族でご飯かな。その前なら行けるけど」
「陽菜乃は?」
「私?」
「予定ある?」
聞かれて。
陽菜乃は少しだけ考えた。
真っ先に浮かんだのは。
湊。
小さい頃は、クリスマスになると小宮山家か成瀬家に集まった。
ケーキを食べて。
プレゼントを交換して。
サンタの帽子をかぶって、写真を撮ったこともある。
でも。
高校生になってから。
二人でクリスマスを過ごしたことはない。
それに最近は。
朝も一緒に行かない。
帰りも別々。
学校で顔を合わせても、以前ほど長く話さない。
「……特にないよ」
陽菜乃は答えた。
「成瀬くんは?」
莉子が聞く。
「分かんない」
「幼馴染なのに?」
「最近、あんまり聞かないから」
自分で言って。
胸が少しだけ痛んだ。
でも。
以前ほどではない。
そのことに陽菜乃自身が少し驚く。
「じゃあみんなでイルミネーション行こうよ!」
「いいね」
美緒が笑う。
「柊真くんも来る?」
莉子が急に柊真へ振る。
「俺?」
「暇でしょ?」
「決めつけんな」
「予定あるの?」
「別にないけど」
「じゃあ決まり!」
「勝手だな」
柊真はあきれたように言う。
でも。
断らなかった。
陽菜乃はなぜか、それを少し嬉しいと思った。
午後の授業が終わったあと。
陽菜乃はダンス部へ向かうため、教科書を鞄へしまっていた。
その時。
スマホが震えた。
「……?」
SNSの通知。
何気なく画面を開く。
そこに表示された名前を見て。
陽菜乃の指が止まった。
一ノ瀬美羽。
投稿されたばかりの写真。
駅前のクリスマスツリーだった。
まだ夕方なので、空は完全には暗くない。
それでも木々には光が灯っていて、とてもきれいだった。
写真の下には。
『今年のクリスマス、楽しみ♡
大好きな人と一緒に見られたらいいな』
「……」
胸の奥が、ちくっとした。
大好きな人。
名前は書かれていない。
でも。
陽菜乃には、一人しか思い浮かばなかった。
(……湊だよね)
さらに。
二枚目の写真。
サッカー部の練習後らしい集合写真。
何人もいる中で。
美羽は、湊のすぐ隣に立っている。
肩が触れそうなくらい。
コメントには。
『大好きな人って成瀬くん?』
『やっぱり二人お似合い!』
『クリスマス一緒に過ごすの?』
美羽は。
まだ何も返していなかった。
否定も。
肯定も。
していない。
「……まただ」
陽菜乃は小さくつぶやいた。
試合。
文化祭。
部活帰り。
何度も見てきた、美羽の投稿。
名前を出してはいない。
付き合っているとも書いていない。
でも。
見るたびに。
まるで二人が特別な関係であるように感じてしまう。
「陽菜乃」
「……!」
突然声をかけられて、陽菜乃は慌てて画面を閉じた。
「柊真くん」
「何見てた?」
「SNS」
「また成瀬のマネージャー?」
どうして分かるのだろう。
「……うん」
陽菜乃は苦笑した。
「顔で分かる?」
「分かる」
「そんなに?」
「前よりはマシだけど」
「え?」
柊真が陽菜乃を見る。
「前はそういうの見たら、一日中へこんでただろ」
「……」
確かに。
以前なら。
この投稿を見ただけで、部活にも集中できなかったかもしれない。
でも今は。
胸は痛い。
寂しいとも思う。
それでも。
目の前にいる柊真を見ると。
その痛みが少しだけ薄くなる。
「……ほんとだ」
「何?」
「前ほど苦しくないかも」
口に出して。
自分でも気づく。
「なんでだろう」
陽菜乃は首をかしげた。
柊真は何か言いたそうにした。
でも。
「さあ」
それだけだった。
◇
その頃。
五組の教室では。
「クリスマスイブ、サッカー部みんなで駅前行こうぜ」
悠人が机に腰をかけながら言った。
「午前練で終わるんだろ?」
「そうらしい」
湊は教科書を鞄へ入れる。
「湊も来るよな?」
「……分かんない」
「なんで?」
「予定決まってないから」
「予定?」
悠人が少し笑う。
「陽菜乃ちゃん?」
湊の手が止まった。
「声でかい」
「図星?」
「……」
湊は何も答えない。
クリスマス。
ずっと考えていた。
陽菜乃を誘えないか。
二人でイルミネーションへ行けないか。
少し前なら。
普通に言えた。
『行こう』
それだけで。
でも今は。
何を言っても。
断られる気がする。
朝も一緒ではなくなった。
帰りも。
昼休みも。
そして。
陽菜乃の隣には、柊真がいる時間が増えた。
「誘えばいいじゃん」
悠人が言う。
「簡単に言うなよ」
「幼馴染なんだろ?」
「……だから困ってんだよ」
湊自身。
最近は分かってきていた。
幼馴染だから。
それだけでは足りない。
陽菜乃は。
自分が何も言わない間に。
少しずつ離れている。
「早くしないと」
悠人が何気なく言う。
「本当に水野に取られるぞ」
「……」
その言葉が。
以前よりずっと重く響いた。
「湊くん!」
放課後。
グラウンドへ向かう途中で、美羽が追いかけてきた。
「何?」
「クリスマスイブのこと聞いた?」
「部活のみんなで駅前行くやつ?」
「うん!」
美羽が嬉しそうに笑う。
「湊くんも行こうよ」
「まだ分かんない」
「予定あるの?」
「……あるかもしれない」
美羽の笑顔が、ほんの少しだけ止まった。
「誰かと?」
「まだ何も決まってない」
「そっか」
美羽はそれ以上聞かなかった。
でも。
誰を誘おうとしているのか。
なんとなく分かってしまった。
小宮山陽菜乃。
美羽は唇を少しだけ結んだ。
夕方。
ダンス部の練習が終わった陽菜乃は、体育館の外へ出た。
「さむっ……」
外はすっかり暗くなっている。
吐く息が白い。
陽菜乃はコートの前を閉じてから、スマホを見る。
美緒からメッセージ。
『ごめん! 二十四日、親戚来ることになってイルミネーション無理かも!』
「えっ」
さらに莉子。
『私も家族で出かけることになったー! ごめん!』
「……」
陽菜乃は立ち止まった。
さっきまで。
みんなで行くつもりだった。
でも。
これでは。
「なくなっちゃった……」
少し残念。
あのイルミネーション。
見てみたかった。
それに。
柊真も来ると思っていたから。
(……柊真くんも)
自分がそう考えたことに気づき。
陽菜乃は少しだけ戸惑った。
イルミネーションが見たかった。
それだけ?
それとも。
柊真と一緒に行きたかった?
「陽菜乃」
声。
顔を上げる。
「柊真くん」
昇降口の壁に、柊真が寄りかかっていた。
「終わった?」
「うん」
「帰る?」
「うん」
二人で学校を出る。
少し歩いてから。
「そういえば」
柊真が言った。
「クリスマス」
「……うん」
「美緒たち、行けなくなったんだろ」
「なんで知ってるの?」
「クラスのグループで言ってた」
「ああ」
陽菜乃は少し笑った。
「仕方ないよね」
「行きたかった?」
「……ちょっと」
「イルミネーション?」
「うん」
少しだけ。
期待してしまう。
でも。
何を期待しているのか。
自分でも分からない。
柊真はしばらく何も言わなかった。
そして。
「じゃあ行く?」
陽菜乃は足を止めた。
「え?」
「二十四日」
「……」
「俺と」
胸が。
大きく鳴った。
「二人で?」
「嫌?」
クリスマス。
イルミネーション。
男の子と二人。
どう考えても。
友達だけの約束とは、少し違うような気がする。
「……」
陽菜乃は返事を迷った。
頭に。
湊の顔が浮かぶ。
そして。
美羽のSNSも。
『大好きな人と一緒に見られたらいいな』
胸が少し痛む。
でも。
そのあと。
目の前の柊真を見る。
冷たい風の中。
返事を待っている。
無理に笑わない。
急かさない。
陽菜乃の答えを。
ただ待ってくれている。
「……行きたい」
自然に。
言葉が出た。
柊真が少しだけ目を見開く。
「ほんと?」
「うん」
陽菜乃は笑った。
「柊真くんと一緒に、イルミネーション見たい」
言ってから。
急に恥ずかしくなる。
「あ……」
「何?」
「今の、ちょっと……」
「取り消す?」
「……」
本当に取り消したい?
陽菜乃は自分へ問いかける。
答えは。
すぐに出た。
「……取り消さない」
小さな声。
柊真が笑う。
「そっか」
「うん」
陽菜乃も笑った。
胸の奥が。
じんわり温かかった。
次の日。
教室では。
早速その話が広まった。
「えっ! 陽菜乃、水野くんとクリスマス!?」
「ちょっと莉子ちゃん!」
「二人で!?」
「声大きい!」
陽菜乃は真っ赤になって莉子の腕をつかんだ。
「イルミネーション見に行くだけ!」
「それデートじゃない?」
「デートじゃ……」
言いかける。
でも。
前みたいに。
すぐ否定できなかった。
デート。
そう言われたら。
恥ずかしい。
でも。
嫌ではない。
「……分かんない」
「え?」
「デートかどうかは……」
陽菜乃は頬を赤くしたまま。
「でも、楽しみ」
そう言った。
莉子と美緒が顔を見合わせる。
「陽菜乃」
「なに?」
「顔、完全に恋する女子」
「ええっ!?」
「やっとだ」
「何が!?」
クラスが笑い声に包まれる。
柊真は自分の席で、
「うるせえ」
とだけ言った。
でも。
どこか嬉しそうだった。
その時。
二年二組の教室の外。
湊が立っていた。
手には。
スマホ。
画面には、まだ送っていないメッセージ。
『クリスマス、予定ある?』
昨日から。
何度も書いて。
消して。
ようやく送ろうと思って。
陽菜乃の教室まで来た。
でも。
中から聞こえた。
『水野くんとクリスマス』
『二人でイルミネーション』
そして。
陽菜乃の。
『楽しみ』
という声。
「……」
指が。
動かなかった。
送れない。
湊は画面の文字を見つめた。
そして。
一文字ずつ。
消していく。
『クリスマス、予定ある?』
全部。
消えた。
「……遅かった」
誰にも聞こえない声。
体育祭の時も。
花火大会も。
文化祭も。
誕生日も。
いつだって。
陽菜乃は自分のところへ戻ってくると思っていた。
幼馴染だから。
ずっと隣にいたから。
明日も同じだと思っていた。
でも。
陽菜乃は。
もう。
自分のところで待っているだけの女の子ではない。
教室の中。
陽菜乃が笑っている。
その視線の先には。
柊真。
湊は。
初めて。
本当の意味で怖くなった。
このまま何もしなければ。
陽菜乃を。
本当に失うかもしれない。
放課後。
陽菜乃は一人で、駅前のショーウインドーをのぞいていた。
ダンス部で使う小物を買いに来た帰り。
ガラスの向こうには。
冬物のコート。
マフラー。
小さなバッグ。
「……」
白いコートが目に入る。
(クリスマス……何着ていこう)
そう考えた瞬間。
自分で自分に驚いた。
今まで。
誰かと出かけるために。
服をこんなに気にしたことがあっただろうか。
花火大会の浴衣の時は。
湊にかわいいと思ってほしかった。
あの頃は。
湊だけだった。
でも今。
思い浮かべているのは。
「柊真くん……」
小さく名前を口にする。
どんな服なら。
かわいいと思ってくれるかな。
そう考えてしまう。
胸が。
また少し速く鳴る。
陽菜乃はショーウインドーに映る自分を見た。
そして。
困ったように。
でも。
少しだけ嬉しそうに笑った。
クリスマスが。
待ち遠しい。
それはもう。
イルミネーションが見たいからだけではなかった。
水野柊真と。
二人で過ごせることが。
楽しみだった。
その気持ちだけは。
もう。
自分に嘘をつくことができなかった。

