触れられない政略結婚〜過保護な御曹司は幼い妻を手放さない〜

四月。

街路樹の桜が淡い花びらを散らし始めた頃、玲奈の大学生活が始まった。

黒川家へ嫁いだあとも大学へ進学することは、結婚前から決まっていた。

父はもちろん、隼人も反対しなかった。

むしろ入学手続きについては、玲奈が驚くほど積極的だった。

『結婚したからといって、進学を諦める必要はない』

そう言った隼人の言葉を、玲奈は今でも覚えている。

だから大学だけは、黒川隼人の妻ではなく、一条玲奈としていられる場所になるのだと思っていた。

少なくとも、入学初日の朝までは。

「……え?」

黒川邸の玄関前。

玲奈は、目の前に立つ青年を見上げた。

長身。

黒いスーツ。

短く整えた黒髪に、少し鋭く見える目元。

けれど、真正面から見ると不思議と怖さはない。

年齢は隼人より少し若いくらいだろうか。

青年は玲奈へ深く頭を下げた。

「本日より玲奈様の警護を担当いたします。神谷亮です」

「……警護?」

玲奈は聞き返した。

亮が答えるより先に、背後から聞き慣れた声がした。

「大学へ通う間は神谷をつける」

振り返る。

隼人だった。

今日は会社へ直行するらしく、濃紺のスーツを着ている。

片手には革のビジネスバッグ。

朝日を背に玄関へ歩いてくる姿は、相変わらず隙がない。

玲奈は思わず顔をしかめた。

「聞いていません」

「今、言った」

「そういう意味ではありません」

隼人は玲奈の前で立ち止まった。

「何が不満だ」

「大学へ行くだけですよ?」

「ああ」

「護衛なんて必要ありません」

「必要だ」

迷いのない即答。

玲奈は唇を結んだ。

「普通の学生として通いたいんです」

「普通?」

「そうです。友達と講義を受けて、お昼を食べたり、帰りにお店へ寄ったり……」

「好きにすればいい」

「護衛の方が後ろにいたら、好きになんてできません」

「神谷は邪魔をしない」

「いるだけで目立ちます」

玲奈は思わず亮を見た。

身長は百八十センチを超えているだろう。

黒いスーツ姿で、見るからに一般学生ではない。

大学の構内を歩けば、間違いなく目立つ。

亮は少し困ったような顔をした。

隼人はまったく気にしていない。

「慣れろ」

「隼人さん」

「玲奈」

低い声で名前を呼ばれる。

それだけで、強く言い返そうとしていた玲奈の勢いが少し削がれる。

隼人は玲奈を見下ろした。

「今のお前は一条家の娘であるだけじゃない。黒川家の人間でもある」

「分かっています」

「なら、自分の立場を理解しろ」

「理解しています。でも……」

「なら神谷を連れていけ」

また決められた。

玲奈の胸に小さな苛立ちが広がる。

何を着るか。

何時に帰るか。

どこへ行くか。

大学へ行く時ですら。

いつも隼人が先に決める。

玲奈のためなのだろう。

それも分かっている。

けれど。

「……私の意見は聞いてくださらないんですね」

玲奈が小さく言うと、隼人の眉がわずかに動いた。

「危険に関することは別だ」

「そうですか」

「玲奈」

「遅刻しますから、行きます」

玲奈は隼人を見ずに玄関を出た。

春の風が頬を撫でる。

本当なら、大学へ向かう初めての朝をもっと楽しみにしていた。

新しい教室。

新しい友人。

高校とは違う生活。

その期待が、少しだけしぼんでしまった。

「玲奈様」

後ろから亮がついてくる。

玲奈は振り返らなかった。

「……すみません」

「何がでしょう」

「神谷さんは何も悪くないのに」

八つ当たりをしているようで申し訳なくなった。

すると亮が少し間を置いて答えた。

「慣れております」

玲奈が足を止める。

「いつも怒られてるんですか?」

「いいえ」

「では何に?」

「警護対象の方から、最初は邪魔だと思われることにです」

思わず亮を見る。

真面目な顔だった。

冗談なのか本気なのか分からない。

玲奈は少しだけ笑った。

「やっぱり邪魔だと言われるんですね」

「よくあります」

「傷つきません?」

「仕事ですから」

淡々としている。

けれど、さっきより話しやすい。

玲奈は車の前まで歩きながら尋ねた。

「神谷さんはおいくつですか?」

「二十二です」

「若い」

「玲奈様に言われると複雑ですね」

「どうしてですか?」

「十八歳でしょう」

その瞬間、玲奈の笑顔が少し曇った。

また年齢。

最近、その数字を聞くたびに自分が幼いと言われているような気がする。

亮はすぐに玲奈の変化へ気づいたらしい。

「あまり言われたくないですか?」

玲奈は驚いた。

「……分かります?」

「顔に出ています」

隼人にも同じことを言われたことがあった。

けれど亮の言い方は、からかうようでも、子供を諭すようでもない。

ただ玲奈の気持ちを確認しているだけだった。

「最近、よく言われるんです」

「十八歳だから?」

「はい」

玲奈は車へ乗り込む前に、小さく息を吐いた。

「十八歳って、そんなに子供でしょうか」

亮はすぐには答えなかった。

運転手が後部座席の扉を開けて待っている。

少し考えてから、亮は言った。

「人によると思います」

「人?」

「年齢だけで大人か子供かを決められるとは思いません」

玲奈は目を瞬いた。

亮はそれ以上何も言わず、助手席側へ回った。

たったそれだけの言葉なのに。

玲奈の胸に、小さく温かなものが残った。


大学は想像していた以上に賑やかだった。

広いキャンパス。

レンガ造りの講堂。

新入生を勧誘する上級生たち。

サークルの看板を持った学生があちこちで声を上げている。

高校まで女子校だった玲奈にとって、男子学生が普通に隣を歩いている光景だけでも新鮮だった。

「玲奈!」

正門をくぐったところで、聞き慣れた声がした。

「美緒!」

高校時代からの親友、白石美緒が駆け寄ってくる。

肩までの髪を揺らし、玲奈の腕へ飛びついた。

「久しぶり!」

「一週間ぶりでしょう?」

「一週間でも久しぶりなの。結婚してから気軽に遊びに誘えなくなったし」

「そんなことないよ」

「本当に?」

「もちろん」

二人で笑う。

その瞬間。

美緒の視線が玲奈の後ろへ向いた。

「……玲奈」

「何?」

「あの人、誰?」

振り返る。

数メートル離れたところに亮が立っていた。

近すぎず。

遠すぎず。

周囲を確認しながら、玲奈たちを見守っている。

「……護衛」

「護衛?」

美緒の声が裏返った。

近くにいた学生まで振り返る。

「声が大きい」

「だって護衛って何? 映画?」

「私も必要ないって言ったんだけど」

「黒川さん?」

玲奈は頷いた。

美緒は亮を見てから玲奈を見る。

「すごいね。結婚すると本当に世界変わるんだ」

その言葉に玲奈は苦笑した。

「私は変わりたくなかったんだけどね」

美緒は何かを感じ取ったのか、それ以上は言わなかった。

「行こう。最初の講義、同じでしょう?」

「うん」

玲奈は友人と並んで歩き始めた。

亮は後ろからついてくる。

けれど宣言通り、話しかけてくることも、必要以上に近づくこともなかった。

教室へ入る前には姿を消し、講義が終わる頃には廊下の端で待っている。

昼休みも、玲奈たちとは別の席。

確かに邪魔ではない。

「神谷さん、意外と気にならないね」

美緒がサンドイッチを食べながら言う。

「朝はすごく嫌だったんだけど」

「格好いいし」

「そこ?」

「大事でしょう」

美緒が楽しそうに笑う。

「二十二歳なんでしょう?」

「うん」

「若いじゃん」

「そうだけど」

「黒川さんより話しやすそう」

玲奈の手が止まった。

「……隼人さんだって話しにくくないよ」

思わず庇うように言った。

美緒がじっと玲奈を見る。

「何?」

「別に」

「その顔、何?」

「玲奈、ちゃんと黒川さんのこと好きになってきてるんだなと思って」

「……え?」

玲奈の頬が熱くなる。

「違う」

「何が?」

「そういうんじゃないから」

「はいはい」

「本当に!」

美緒は完全に信じていない。

玲奈はストローでアイスティーを混ぜた。

氷が小さく音を立てる。

好き。

その言葉だけが頭に残った。

昨夜も考えていた。

隼人のことをもっと知りたい。

帰宅を待ってしまう。

少し優しくされるだけで嬉しい。

美月と一緒にいると胸が苦しくなる。

それを恋と呼ぶのなら。

自分はもう……。

「玲奈?」

「何でもない」

「また考え込んでる」

玲奈は笑ってごまかした。

答えを出すのが怖かった。


午後の講義を終えた頃には、朝の不機嫌さもすっかり消えていた。

久しぶりに同年代の友人たちと過ごしたことが楽しかった。

講義について話しながら、美緒と正門へ向かう。

「このあとどうする?」

「帰るよ」

「もう?」

「隼人さんに、終わったら真っ直ぐ帰るように言われてるから」

美緒が露骨に顔をしかめた。

「厳しくない?」

「そうかな」

「大学生でしょう?」

「でも……」

「玲奈」

少し離れた場所から呼ばれた。

亮だった。

「車を正門へ回しております」

「ありがとうございます」

美緒が時計を見る。

「まだ四時じゃん」

そして何かを思いついたように玲奈の腕を掴んだ。

「新しくできたカフェ行こうよ」

「カフェ?」

「駅前。入学したら一緒に行こうって言ったでしょう?」

覚えている。

高校卒業前。

二人で雑誌を見ながら約束した。

玲奈は一瞬迷った。

「でも……」

美緒が亮を見る。

「神谷さん」

「はい」

「玲奈、寄り道したら怒られます?」

あまりにも直接的な質問に、玲奈が慌てた。

「美緒!」

ところが亮は真面目に答えた。

「行き先と帰宅予定時刻を教えていただければ、警護上は問題ありません」

玲奈が亮を見る。

「……いいんですか?」

「俺は玲奈様の行動を決める立場ではありません」

その言葉に玲奈は少し驚いた。

「でも隼人さんは……」

「旦那様からは、安全を確保するよう命じられております」

「真っ直ぐ帰せとは?」

「聞いておりません」

玲奈は黙った。

朝、隼人に『神谷をつける』と言われただけだ。

自分の中で勝手に、寄り道まで禁止されていると思い込んでいたのかもしれない。

それでも。

「行きたいところがあるなら、行かれてはいかがですか」

亮が言う。

「俺も同行します」

美緒が玲奈の腕を引く。

「決まり!」

「ちょっと」

「行こう!」

玲奈は戸惑いながらも、最後には笑った。

「……うん」

たった一時間の寄り道。

それだけなのに。

ひどく自由になった気がした。


カフェは大学生や会社員で混み合っていた。

白を基調とした明るい店内。

大きな窓の向こうには桜並木が見える。

玲奈と美緒は窓際の席へ座った。

亮は少し離れたカウンター席。

時々こちらを確認しているだけだ。

「優秀」

美緒が小声で言う。

「何が?」

「あの護衛さん。全然邪魔しない」

「確かに」

「それにさ」

美緒が声をさらに落とす。

「玲奈のこと、ちゃんと玲奈として扱ってる感じする」

玲奈は瞬きをした。

「どういう意味?」

「黒川夫人だからこうしろ、ああしろじゃなくて、玲奈がどうしたいか聞いてくれるじゃん」

その言葉が胸へ残った。

玲奈は無意識に亮を見る。

ちょうど亮もこちらを確認したところだった。

目が合う。

亮は小さく会釈するだけで、すぐ視線を外した。

「そうかも」

玲奈は小さく言った。

隼人は優しい。

けれど、玲奈に何かを尋ねるより先に答えを決めることが多い。

それに比べて亮は、

『行きたいなら行けばいい』

と言った。

自分の意思を尊重されたことが、思っていた以上に嬉しかった。

「でも」

玲奈はケーキへフォークを入れた。

「隼人さんは、私のことを心配してるだけだと思う」

「好きだから?」

また言われた。

玲奈はむっとして美緒を見る。

「どうしてそうなるの」

「だって新婚だし」

「政略結婚」

「政略結婚でも夫婦でしょう」

「……そうだけど」

玲奈はカップへ口をつけた。

ミルクティーの甘さが舌に広がる。

夫婦。

その言葉が以前より重く感じられる。

「でもね」

玲奈は窓の外を見る。

「隼人さんには……私よりずっと長くそばにいる人がいるの」

「秘書?」

玲奈が驚く。

「知ってるの?」

「有名じゃん。香月美月さん」

やはり。

胸の奥が小さく痛む。

「やっぱり有名なんだ」

「仕事のパートナーとしてでしょう?」

「……分からない」

「黒川さんから何か言われた?」

玲奈は首を横に振った。

「何も」

「じゃあ本人に聞けばいいじゃん」

「聞けないよ」

「どうして?」

玲奈はしばらく答えられなかった。

「だって……」

好きだと知られそうだから。

そう言いかけて、やめた。

自分で認めてしまえば、もう逃げられない気がした。


カフェを出た時には、日が少し傾いていた。

美緒と別れ、玲奈は亮と車へ向かう。

春の風に桜の花びらが舞っている。

「今日はありがとうございました」

玲奈が言った。

「何がでしょう」

「カフェ」

「俺は何もしていません」

「でも、行っていいと言ってくれたから」

亮は少しだけ玲奈を見る。

「玲奈様」

「はい」

「俺に許可を取る必要はありません」

玲奈は足を止めた。

亮も止まる。

「警護はします。でも、玲奈様の生活を決めるのは俺ではありません」

「……隼人さんとは違いますね」

口にしてから、まずかったと思った。

夫と護衛を比べるような言い方。

けれど亮は隼人を悪く言わなかった。

「旦那様は、玲奈様を大切にされているんでしょう」

「大切……」

「心配しすぎるくらいには」

玲奈は苦笑した。

「私には、子供だから心配されているようにしか思えません」

亮が玲奈を見る。

玲奈は歩きながら続けた。

「大学へ行くだけで護衛。帰りが遅ければ注意される。お酒は駄目。服が薄ければ上着を着ろって」

思い出すほど、少し腹が立ってくる。

「父親みたいでしょう?」

「それは……」

亮が珍しく言葉に困った。

玲奈は笑った。

「神谷さんまで困らなくても」

「では一つだけ」

「はい?」

「子供だとは思いません」

玲奈が亮を見る。

「え?」

亮の表情は変わらない。

「少なくとも今日一日見ていて、そうは感じませんでした」

「でも十八ですよ」

「それが?」

玲奈は驚いた。

あまりにも当然のように返されたからだ。

亮は続ける。

「自分の家の会社のことを知ろうとして、大学にも通って、自分で考えている。十分だと思います」

玲奈は何も言えなかった。

そんなふうに言われたことがなかった。

十八歳。

若い。

まだ高校を卒業したばかり。

知らないことが多い。

最近の玲奈は、ずっとそんな言葉ばかりを受け取ってきた。

「……ありがとうございます」

自然と笑顔になる。

亮もほんの少しだけ表情を和らげた。

その時だった。

風が強く吹いた。

「きゃっ」

玲奈の髪が大きく揺れる。

まとめきれなかった黒髪が頬へかかり、桜の花びらが一枚、髪に絡んだ。

玲奈が気づかず歩き出そうとすると、

「玲奈様」

「はい?」

亮が手を伸ばしかける。

けれど途中で止めた。

「髪に花びらが」

「あ……どこですか?」

「右です」

玲奈が髪を触る。

「ここ?」

「もう少し上です」

「分からない」

何度触っても取れない。

亮が少し迷ってから、

「失礼します」

と一言断り、玲奈の髪から花びらを取った。

ほんの一瞬。

指先が髪へ触れただけ。

玲奈も何も意識していなかった。

「取れました」

亮の手のひらに、小さな桜の花びら。

「ありがとうございます」

玲奈は笑った。

その瞬間。

「――何をしている」

低い声がした。

玲奈の笑顔が止まる。

数メートル先。

黒い車の横に隼人が立っていた。

「隼人さん?」

どうしてここに。

会社にいる時間のはずだ。

隼人の視線は玲奈ではなく、亮へ向けられていた。

いつもと変わらないように見える。

けれど。

何かが違う。

「旦那様」

亮が頭を下げる。

「玲奈様の髪に花びらがついていましたので」

「そうか」

短い返事。

隼人がこちらへ歩いてくる。

「どうしてここに?」

玲奈が尋ねる。

「近くで会議が終わった」

「そうなんですか」

「帰るぞ」

「はい」

玲奈は車へ向かおうとした。

けれど隼人が亮を見たまま言う。

「神谷」

「はい」

「今後、必要以上に玲奈へ触れるな」

玲奈は驚いて振り返った。

「隼人さん?」

亮は顔色一つ変えない。

「承知しました」

「ちょっと待ってください」

玲奈は隼人の前へ回った。

「花びらを取ってもらっただけですよ?」

「見ていた」

「なら分かるでしょう?」

「ああ」

「では、どうしてそんな言い方をするんですか?」

隼人は玲奈を見る。

「護衛の仕事に、お前の髪へ触れることは含まれていない」

「そんな……」

あまりにも細かい。

玲奈は呆れてしまった。

「神谷さんは悪くありません」

「別に責めていない」

「責めているように聞こえます」

「注意しただけだ」

「だから、その必要がないと言っているんです」

隼人の眉が寄った。

「玲奈」

「何ですか」

「車に乗れ」

またそれ。

話を終わらせようとする言い方。

玲奈の胸に朝から積もっていたものが戻ってくる。

「……分かりました」

言い返すのも疲れた。

玲奈は亮へ振り返った。

「神谷さん、今日はありがとうございました」

「いえ」

「楽しかったです」

その言葉に、隼人の視線が玲奈へ戻る。

「楽しかった?」

玲奈は気づかない。

「はい。大学も、帰りに寄ったカフェも」

「カフェ?」

今度こそ、玲奈も気づいた。

隼人の声が低くなっている。

「美緒と行きました」

「神谷も?」

「護衛ですから」

「……そうか」

隼人はそれ以上何も言わなかった。

けれど明らかに機嫌が悪い。

玲奈には理由が分からない。

「私、何か悪いことしました?」

「していない」

「では、どうして怒っているんですか?」

「怒っていない」

絶対に怒っている。

玲奈はため息をついた。

「隼人さんって、分かりにくいです」

「お前に言われたくない」

「私は分かりやすいっていつも言うじゃないですか」

隼人が何か言おうとする。

けれどやめた。

「……帰るぞ」

またそれだけ。

玲奈は先に車へ乗り込んだ。


帰りの車内。

隼人は隣に座っていた。

いつもなら別々の車で帰ることが多いため、こうして並ぶのは珍しい。

けれど会話はない。

玲奈は窓の外を眺めていた。

夕方の街。

学生たちが友人と笑いながら歩いている。

ついさっきまで自分も同じだった。

楽しかった。

大学へ行って。

美緒と話して。

カフェへ寄って。

亮とも普通に話せた。

それなのに隼人といると、急に緊張する。

嫌いだからではない。

むしろ逆だから困る。

好きかもしれない人に、自分がどう見られているのか分からない。

「玲奈」

「はい」

「神谷と何を話した」

玲奈は隼人を見る。

「今日ですか?」

「ああ」

「色々です」

「色々とは」

「大学のこととか、護衛のこととか」

「他には?」

妙に細かい。

玲奈は少し考える。

「年齢の話もしました」

隼人の表情がわずかに動いた。

「年齢?」

「神谷さんは、十八歳だからって子供とは思わないって」

車内の空気が変わった気がした。

「……そうか」

短い返事。

「はい」

玲奈は窓へ視線を戻した。

「嬉しかったです」

「何が」

「初めて言われたから」

隼人は黙った。

玲奈は続ける。

「最近、誰に会っても若いとか、高校を卒業したばかりとか言われるでしょう?」

「事実だ」

その言葉に玲奈の胸がまた痛くなる。

「そうですね」

「玲奈」

「でも神谷さんは、年齢だけで決めないと言ってくれました」

隼人から返事はない。

しばらくして。

「神谷を気に入ったのか」

予想もしなかった質問だった。

玲奈は隼人を見る。

「気に入った?」

「話しやすそうだった」

「話しやすいですよ」

素直に答えた。

隼人の口元がわずかに引き締まる。

「そうか」

「隼人さん?」

「何だ」

「やっぱり怒ってます?」

「怒っていない」

「ならいいですけど」

玲奈はそれ以上聞かなかった。

隼人が何を考えているのか、やはり分からない。

けれど。

隼人自身も分かっていなかった。

玲奈が別の男を見て笑うだけで。

自分の知らないところで言葉を交わし、その男を『話しやすい』と言うだけで。

どうしてこんなにも面白くないのか。

そして、その感情に名前があることを。

隼人はまだ認めようとはしていなかった。