死病の花嫁は薬商伯爵に溺愛される~大正政略結婚、不遇令嬢の幸福論~

 ◇◇◇

「琴乃! どこにいるんだ?」
 
 夜になり、そろそろ篤志さんが帰宅するという時間。
 母屋のほうから薄っすらと私を呼ぶ声が聞こえてきた。部屋にいないから不思議に思っているのだろう。

「俺の妻をどこへやった?」
「わ、若奥様は離れへお移りになられて……一日中ずっとそちらに……」
「は? どうしてそんなことに……。母上の仕業か」

 彼が女中に事情を聞いている声が聞こえた。今ので事情は察してくれたはず。
 だがその直後、激しく板間を揺らす力強い足音がこちらへ近づいてきた。普段の彼なら絶対に立てないような、焦燥に駆られた荒々しい足音だ。
 それがこちらへ近づいてきて、私がいる部屋の前でピタリと止まった途端、「琴乃!」という呼びかけと共に勢いよく障子が開け放たれた。
 
「旦那様、離れに来てはいけません」

 私は両手を前に突き出して、必死に彼を遮ろうとした。
 お義母様から、私がそばにいたら篤志さんの身が危ないと強く釘を刺されたばかりだ。それなのに、彼が離れに来てしまったら意味がない。
 しかし、篤志さんはそんな私の抵抗など微塵も気に留めず、迷いなく部屋の中へと入ってきた。

「母屋に戻るぞ」
「え?」
「ここは俺たちの部屋じゃないだろう」

 そう言って、彼はまだ離れの廊下でオロオロしていた女中に視線を向けた。