その笑顔が、ずるい。

夜もすっかり遅くなっていた。

彼の家のリビングで話していたはずなのに、いつの間にか会話は途切れていた。

彼がこちらを見る。

「……今日、楽しかった?」

「うん。」

「俺も。」

その笑顔は、さっきまでの無邪気な笑顔とは少し違った。

柔らかくて、静かで。

その目に見つめられると、今までとは違う緊張が胸の奥に広がっていく。

隣に座っているだけなのに、妙に近く感じる。

「……眠い?」

そう聞かれて、小さく頷く。

「うん……ちょっとだけ。」

彼は少し笑った。

いつもの、あのぽやっとした無邪気な笑顔。

なのに、今日はなぜか目を逸らせなかった。

「じゃあ、もう寝ようか。」

そう言って立ち上がった彼に手を差し出される。

その手を取ると、彼はゆっくりと私を立たせた。

そして、ほんの少しだけこちらへ近づく。

「……どうしたの?」

そう尋ねても、彼は答えない。

ただ、私の顔をじっと見つめていた。

いつものお茶目な雰囲気とは違う、静かな目。

思わず息を止める。

彼の手が頬に触れる。

そして――

まるで割れ物に触れるかのようにそっと私を包み込む。

「……!?」

名前を呼ぼうとすると、腕の力がほんの少しだけ強くなった。

胸元に顔を寄せると、心臓の音が聞こえる気がした。

自分の鼓動なのか、彼のものなのか分からない。

「……もう少し、このままでいていい?」

小さな声。

「……うん。」

やがて彼が少しだけ身体を離す。

目が合う。

近い。

息が触れそうな距離。

そのまま彼は一度だけ私の目を見て――

ゆっくりと顔を寄せた。

唇が触れる。

ほんの一瞬。

離れたと思ったら、もう一度。

今度は少しだけ長く。

胸の奥が熱くなって、何も言えなくなる。

彼はそんな私を見て、少し照れたように笑った。

その笑顔は、やっぱりいつもの彼だった。

でも私はもう、その笑顔を前と同じようには見られなかった。

「……行こうか。」

そう言って、今度は私の手を握った。

二人で寝室へ向かう。

ベッドの端に腰を下ろすと、彼がこちらを見る。

その表情があまりにも優しくて、また胸が高鳴った。

彼はそっと私を抱き寄せる。

そしてそのまま、ベッドへゆっくりと身体を預けた。

すぐ隣に彼の気配がある。

手を握ったまま、もう一度だけ目が合う。

言葉はなかった。

ただ、その距離だけが少しずつ近づいていった。