ラストホイッスルが鳴る日

 特別大会当日。

 九月の澄み切った青空が広がる朝だった。

 青葉高校サッカー部の部員たちは、誰もが少し緊張した面持ちで会場へ向かっていた。

 入口では検温と消毒。

 体温は三十七・五度未満。

 健康チェックシートの提出。

 マスクを着けたまま整列し、一人ずつ受付を済ませる。

 スタンドには誰もいない。

 無観客。

 本来なら保護者や仲間たちの声援が響くはずの競技場は、不思議なほど静かだった。

「なんか、変な感じだな。」

 蓮が苦笑する。

「ああ。」

 陽翔もスタンドを見上げた。

 母も父も、美月も応援席にはいない。

 画面越しで試合を見守るしかない。

 それでも、戦える。

 その事実だけで十分だった。

 ロッカールーム。

 監督・黒川が全員を見渡す。

「ここまで来るのは簡単じゃなかった。」

 誰もが静かに耳を傾ける。

「大会がなくなり、一度は夢を失った。」

 監督は少し笑った。

「それでも、お前たちは帰ってきた。」

 そして力強く言った。

「今日は結果を恐れるな。」

「最後まで仲間を信じろ。」

「サッカーを楽しめ。」

 陽翔は深く頷いた。

「はい!」

 全員の声がロッカールームに響く。

 円陣を組む。

 中央に置かれたボール。

 陽翔は仲間たちの顔を見回した。

 泣いた日もあった。

 笑えない日もあった。

 それでも今日、この場所に全員で立っている。

「俺たちは。」

 陽翔が口を開く。

「コロナに青春を奪われた。」

 全員が頷く。

「でも。」

「最後だけは、自分たちの力で青春を取り戻そう。」

 蓮が拳を差し出す。

「優勝!」

「優勝!」

「優勝!」

 全員の拳が重なった。

 第一試合。

 相手は県立西高。

 試合開始直後から青葉高校は積極的に攻め込む。

 前半十五分。

 蓮のスルーパスに陽翔が抜け出す。

 相手DFをかわし、右足を振り抜く。

 ――ドンッ!

 ゴールネットが揺れた。

「よっしゃぁぁ!」

 ベンチが総立ちになる。

 待ち続けたゴール。

 その一瞬で、胸に積もっていた重いものが少しだけ軽くなった。

 試合は二対〇で勝利。

 久しぶりの公式戦勝利だった。

 ロッカールームでは自然と笑顔があふれる。

「キャプテン、ナイスゴール!」

「やっと戻ってきたな!」

 陽翔も笑っていた。

 その笑顔は、数か月前には想像できなかったものだった。

 勢いに乗った青葉高校は二回戦、準々決勝も勝ち抜く。

 そして迎えた準決勝。

 相手は――

 聖南学院。

 三年間、何度も立ちはだかってきた絶対王者だった。

 試合開始。

 立ち上がりから相手は圧倒的だった。

 素早いパス回し。

 強烈なシュート。

 前半二十分。

 コーナーキックから先制点を奪われる。

「切り替えろ!」

 陽翔が叫ぶ。

 しかし前半終了間際。

 さらに追加点。

 〇対二。

 誰もが苦しい表情を浮かべた。

 ハーフタイム。

 ロッカールームには重い空気が流れる。

「まだ終わってない。」

 監督が静かに言う。

「顔を上げろ。」

 しかし誰も言葉を発しない。

 陽翔も壁にもたれたまま俯いていた。

 その時、美月がロッカールームの入口から声を掛けた。

「失礼します。」

 感染対策のため、短時間だけ入室を許可されていた。

 彼女は全員の顔を見て微笑んだ。

「みんな、忘れちゃった?」

 部員たちが顔を上げる。

「サッカーができるだけで幸せだって、言ってたじゃない。」

 静まり返る部屋。

「勝つことも大事。」

「でも、一番大事なのは、この仲間と最後まで戦い抜くことじゃない?」

 その言葉に、陽翔はハッとした。

 そうだ。

 自分たちは勝つためだけにここへ来たんじゃない。

 仲間と笑って終わるために戻ってきたんだ。

 陽翔は立ち上がった。

「みんな。」

 視線が集まる。

「あと四十分。」

「俺たちの青春を終わらせるには短すぎる。」

 蓮が笑う。

「やっとキャプテンらしくなった。」

 陽翔も笑い返す。

「行こう。」

「逆転しよう!」

「おおっ!!」

 後半開始。

 青葉高校はまるで別のチームのようだった。

 走る。

 声を出す。

 体を張る。

 後半十二分。

 蓮のクロス。

 陽翔が頭で合わせる。

 一点差。

「まだいける!」

 残り五分。

 相手ゴール前でフリーキックを獲得する。

 キッカーは蓮。

 深呼吸。

 助走。

 放たれたボールは、美しい弧を描いてゴール右上へ吸い込まれた。

 二対二。

「うおおおおっ!!」

 ベンチが歓喜に包まれる。

 試合は延長戦へ。

 互いに一歩も譲らない攻防が続く。

 残り一分。

 陽翔はセンターサークル付近でボールを受けた。

 一人抜く。

 二人目をかわす。

 三人目の前で蓮へパス。

 蓮はワンタッチでリターン。

 陽翔は迷わず左足を振り抜いた。

 ――ゴォォン!!

 ボールはゴール左隅へ突き刺さった。

 一瞬の静寂。

 次の瞬間、主審の笛が鳴る。

 ゴール。

「決まったぁぁぁ!!」

 仲間たちが陽翔へ飛びつく。

 涙を流しながら叫ぶ者。

 抱き合う者。

 ベンチで膝をつく監督。

 スコアボードには、

青葉高校 3―2 聖南学院

 奇跡の大逆転だった。

 試合終了の笛が鳴る。

 陽翔は空を見上げた。

「俺たち……勝った。」

 誰もが涙を流していた。

 だが、本当の最後はまだ終わっていない。

 あと一つ。

 あと一勝。

 その先には、仲間と追い続けた最後の夢が待っている。

――第八章「決勝戦」へ続く。