ラストホイッスルが鳴る日

 特別大会まで、あと三週間。

 青葉高校サッカー部のグラウンドには、再び仲間たちの声が響いていた。

「ラスト一本!」

「切り替えろ!」

「ナイスカバー!」

 監督の笛が鳴るたび、全員が息を切らしながら走る。

 だが、以前とは違っていた。

 ブランクは想像以上に大きかった。

 わずか数か月練習を離れただけなのに、体は思うように動かない。

 パスはずれ、トラップは浮き、足はすぐに重くなる。

「くそっ!」

 陽翔はシュートを大きく外し、悔しそうに芝生を蹴った。

 以前なら決められていた一本だった。

「焦るな。」

 監督が静かに声を掛ける。

「体より先に、心が焦っている。」

 陽翔は何も言えなかった。

 図星だった。

 もう時間がない。

 三週間後には最後の大会が始まる。

 その焦りが、プレーを空回りさせていた。

 練習後、更衣室。

 誰もが疲れ切っていた。

「全然走れねぇ……。」

「体力落ちすぎだろ。」

「足が棒だ。」

 笑いながら話しているが、表情は決して明るくない。

 陽翔は自分のロッカーの前でスパイクを見つめていた。

 ――本当に優勝できるのか。

 その不安が、心の中で少しずつ大きくなっていた。

 翌日。

 練習試合。

 特別大会前、唯一組まれた試合だった。

 相手は県内ベスト4の強豪・東陵高校。

 試合開始早々、青葉高校は押し込まれた。

「戻れ!」

「マーク!」

 声は出る。

 だが、足がついてこない。

 前半だけで二失点。

 後半も流れを変えられず、結果は0対3。

 完敗だった。

 試合後、誰も口を開かなかった。

 荷物を片づける音だけが静かに響く。

 蓮がぽつりとつぶやいた。

「俺たち……こんなに弱かったっけ。」

 誰も答えられない。

 陽翔は悔しさで拳を握り締めた。

 全国を目指していたチームが、今は一勝もできる気がしない。

 その夜。

 陽翔は近所の公園で一人、ボールを蹴っていた。

 街灯の明かりだけがグラウンドを照らす。

 トラップ。

 ドリブル。

 シュート。

 何度も繰り返す。

 息が切れてもやめなかった。

「まだ終われない……。」

 汗が地面に落ちる。

「最後くらい、胸を張って終わりたい。」

 その時だった。

「キャプテン。」

 振り返ると、美月が立っていた。

 コンビニ袋を手にしている。

「こんな時間まで?」

「ちょっと散歩。」

 彼女はスポーツドリンクを差し出した。

「差し入れ。」

「ありがとう。」

 二人はベンチに腰を下ろす。

 少しだけ沈黙が流れた。

「今日の試合、落ち込んでる?」

 美月が尋ねる。

「……正直、かなり。」

「みんなもそうだったよ。」

「優勝なんて無理なんじゃないかって思ってる。」

 美月は首を横に振った。

「私は違う。」

「え?」

「今日負けたのは、弱いからじゃない。」

「……。」

「まだ、元に戻ってないだけ。」

 陽翔は黙って聞いていた。

「でもね。」

 美月は笑う。

「前より大きくなったものもあると思う。」

「大きく?」

「仲間の大切さ。」

 陽翔はハッとした。

 コロナで離ればなれになって初めて気づいた。

 一緒にボールを蹴れること。

 声を掛け合えること。

 笑い合えること。

 それがどれほど幸せだったのか。

「勝つためだけにサッカーをしてた頃より、今のみんなの方が私は好き。」

 その言葉が胸に響いた。

 翌日の朝。

 陽翔は誰よりも早くグラウンドへ来ていた。

 朝焼けの空の下、一人で走る。

 すると後ろから足音が聞こえた。

「キャプテンだけに走らせるかよ。」

 蓮だった。

「お前……。」

「副キャプテンだからな。」

 さらに一人。

「俺も。」

 また一人。

「俺も来た。」

 気づけば三年生全員が集まっていた。

「何だよ、お前ら。」

 陽翔は笑った。

 蓮も笑う。

「全国はなくなった。」

「でも。」

「最後くらい、全員で笑って終わろうぜ。」

 その言葉に全員が頷く。

「優勝しよう!」

「おう!」

 朝日に向かって、一斉に走り出す。

 誰か一人では届かなかった夢も、この仲間たちとなら届くかもしれない。

 そう思えた。

 その日の練習は、不思議なくらいボールがつながった。

 笑顔が戻った。

 声が戻った。

 そして何より、「勝ちたい」という気持ちが、再びチームを一つにした。

 大会開幕まで、あと一週間。

 青葉高校サッカー部は、ようやく本当の意味でスタートラインに立ったのだった。

 しかし、その初戦の相手は――。

 県大会で何度も立ちはだかり、陽翔たちの夢を打ち砕いてきた最大のライバル、聖南学院。

 誰もが「優勝候補」と認める絶対王者だった。

 最後の大会で待ち受けるには、あまりにも大きすぎる壁。

 だが、もう誰も下を向いてはいなかった。

 この仲間と戦えるのは、あとわずか。

 だからこそ、全力で挑むだけだった。

――第七章「最後の壁」へ続く。