ラストホイッスルが鳴る日

 翌日の夕方。

 梅雨の雲の切れ間から、久しぶりに夕日が顔をのぞかせていた。

 陽翔は制服姿のまま、青葉高校のグラウンドへ向かって歩いていた。

 校門をくぐると、見慣れた仲間たちが次々と集まってくる。

「久しぶり!」

「元気だったか?」

「少し太ったんじゃない?」

 久々の再会に笑い声がこぼれる。

 だが、その笑顔の裏には緊張があった。

 監督は何を話すのだろう。

 期待してはいけない。

 そう思いながらも、胸の鼓動は抑えられなかった。

 やがて監督・黒川が姿を現した。

 以前より少しやつれたように見えたが、その目には力が宿っていた。

「みんな、集まってくれてありがとう。」

 部員たちは静かに並ぶ。

 夕日に照らされたグラウンド。

 最後に全員でここへ立ったのは、あの日以来だった。

 監督は一枚の封筒を手にしていた。

「今日、お前たちを呼んだ理由は一つだ。」

 誰も息をしない。

 監督はゆっくり封筒から紙を取り出した。

「県高体連から正式な通知が届いた。」

 陽翔の心臓が大きく鳴る。

「感染状況が落ち着いてきたことを受け――」

 監督は深く息を吸った。

「三年生のための特別大会が開催されることになった。」

 一瞬、誰も理解できなかった。

 静寂。

 数秒遅れて蓮が口を開く。

「……え?」

 監督はもう一度はっきりと言った。

「最後の大会だ。」

 その瞬間だった。

「本当ですか!?」

「うそだろ!」

「やったぁぁぁ!!」

 歓声がグラウンドいっぱいに響いた。

 何人もの部員が涙を流しながら抱き合う。

 陽翔はその場から動けなかった。

「……夢じゃないよな。」

 蓮が肩を叩く。

「夢じゃない。」

 陽翔は拳を握り締めた。

 しまい込んだはずの夢が、再び目の前に現れたのだ。

 監督は笑顔を浮かべながらも、真剣な表情で続けた。

「ただし、条件がある。」

 歓声が止む。

「無観客試合。」

「毎日の健康チェック。」

「練習時間の短縮。」

「感染者が出れば大会は即中止。」

 部員たちは静かに頷いた。

 以前のようにはいかない。

 それでも構わなかった。

 戦える。

 それだけで十分だった。

「お前たちにもう一度だけチャンスが来た。」

 監督の声が震える。

「この大会は、全国にはつながらない。」

 部員たちは少しだけうつむく。

「だがな。」

 監督は全員を見渡した。

「全国以上に価値のある大会だと、俺は思っている。」

 誰も言葉を発しなかった。

「お前たちは、夢を奪われた世代だ。」

「だからこそ。」

「最後くらい、思い切りサッカーをやれ。」

 その言葉に、陽翔の視界は涙で滲んだ。

「……はい!」

 全員の返事が夕空へ響く。

 その日から、三年生だけの特別練習が始まった。

 久しぶりに履くスパイク。

 紐を結ぶ手が震える。

 グラウンドに立つと、土の匂いが懐かしかった。

 笛が鳴る。

「始めるぞ!」

 ボールを蹴った瞬間、陽翔は思わず笑ってしまった。

「やっぱり……」

 胸が熱くなる。

「サッカーって、こんなに楽しかったんだ。」

 蓮も笑いながらパスを出す。

「体、全然動かねぇ!」

「お前、鈍りすぎ!」

 みんなが笑う。

 笑いながら走る。

 たった数週間前までは、もう二度と味わえないと思っていた時間だった。

 練習後、夕焼けのグラウンドで陽翔は美月と並んで座っていた。

「よかったね。」

 美月が微笑む。

「うん。」

「陽翔、さっきずっと笑ってた。」

「そんなに?」

「うん。久しぶりに見た。」

 陽翔は照れくさそうに頭をかく。

「またみんなとサッカーができる。それだけで幸せなんだ。」

 美月は静かに頷いた。

「今度こそ、みんなで笑って終わろう。」

「ああ。」

 空には大きな夕焼けが広がっていた。

 まるで止まっていた時間を、空までもが祝福しているようだった。

 だが、その喜びの裏で、一つの不安が静かに忍び寄っていた。

 大会開催まで、あと一か月。

 もし再び感染が広がれば、この大会も中止になる。

 誰もそのことを口にはしなかった。

 だからこそ、一回一回の練習を、誰もが全力で駆け抜けた。

 もう二度と後悔しないために。

 そして、夢の続きをつかむために。

――第六章「もう一度、仲間と」へ続く。