四月中旬。
校庭の桜はすっかり葉桜へと変わり、少しずつ夏の匂いを運ぶ風が吹き始めていた。
青葉高校サッカー部は、県大会開幕まで残り三週間。
グラウンドにはいつも以上に熱気があふれていた。
「あと一本! 最後まで足を止めるな!」
監督・黒川の声が響く。
「はい!」
部員たちは汗だくになりながら走り続ける。
陽翔も息を切らしながら、ゴール前で最後のシュートを放った。
ネットを揺らす乾いた音。
「ナイス!」
蓮が親指を立てる。
「今日は調子いいな。」
「みんなの動きもいい。今ならどこにも負ける気がしない。」
そう笑う陽翔の顔には、自信があった。
三年間積み重ねてきた努力が、ようやく形になろうとしていた。
練習後、更衣室では県大会の話で持ちきりだった。
「初戦は絶対勝てる。」
「決勝まで行けば全国だ!」
「優勝したらみんなで焼肉な!」
「監督のおごりで!」
笑い声が部室いっぱいに響く。
その笑顔を見ながら、美月は練習ノートを閉じた。
この時間が、ずっと続くものだと思っていた。
誰も疑っていなかった。
翌日。
昼休み。
教室のテレビからニュースが流れる。
『新型コロナウイルスの感染者が国内でも急増しています。政府は不要不急の外出自粛を——』
「最近ずっとこのニュースだな。」
クラスメイトがため息をつく。
「でも、うちの県はまだ少ないし。」
「学校は普通にあるもんな。」
陽翔も深く考えてはいなかった。
まさか自分たちの生活にまで影響が及ぶとは思えなかったからだ。
しかし、その日の放課後。
監督の表情は、いつもと違っていた。
「全員、集合。」
部員たちが円になって集まる。
監督はしばらく黙ったまま、手にした紙を見つめていた。
「県大会前まで、練習試合がすべて中止になった。」
一瞬、空気が止まる。
「……え?」
「全部ですか?」
「そうだ。」
ざわめきが広がる。
「まあ、大会があるなら問題ない。」
誰かがそう言った。
監督も頷いた。
「今はそう信じよう。」
その言葉に、全員が少しだけ安心した。
だが、不安は日に日に大きくなっていった。
一週間後。
朝、学校へ向かう途中。
駅前の大型ビジョンには赤い文字が並んでいた。
『緊急事態宣言発令へ』
電車の中は静まり返っている。
乗客の多くがマスクを着け、誰も話をしていない。
教室でも空気が重かった。
昼過ぎ。
突然、校内放送が鳴る。
『全校生徒は体育館へ集合してください。』
嫌な予感がした。
体育館には全校生徒が集められ、校長先生が壇上へ立つ。
「新型コロナウイルス感染拡大防止のため、本校は明日より臨時休校とします。」
どよめきが広がる。
「また、すべての部活動を当面の間、停止します。」
その言葉は、雷のように陽翔の胸へ落ちた。
「部活……停止?」
信じられなかった。
県大会まで、あと二週間だった。
放課後。
誰もいないグラウンド。
部員たちはフェンス越しに芝生を見つめていた。
「入っちゃダメなんだって。」
先生が静かに言う。
その一言で、全員が立ち尽くした。
昨日まで毎日走っていた場所。
笑い、悔しがり、夢を語った場所。
そのグラウンドが、まるで遠い世界のように感じられた。
陽翔はフェンスに手をかけた。
「……もう練習できないのか。」
返事はなかった。
数日後。
家で自主練を続ける毎日。
リフティング。
筋トレ。
ランニング。
仲間とはオンラインで励まし合う。
「早く練習したいな。」
「絶対大会あるよ。」
「信じよう。」
画面越しでは、みんな笑っていた。
けれど、その笑顔の奥には、不安が隠れていた。
そして五月初旬。
県サッカー協会から一本の通知が届く。
監督は部員全員をオンラインで集めた。
画面の向こうで、監督は何度も言葉を選んでいた。
「……落ち着いて聞いてくれ。」
部員たちは息をのむ。
「今年度の県大会は——」
監督は一度目を閉じる。
「中止になった。」
誰も声を出せなかった。
時間が止まったようだった。
画面越しに映る仲間たちも、ただ黙っている。
陽翔は耳を疑った。
「……嘘ですよね?」
震える声で尋ねる。
監督は静かに首を横に振った。
「全国大会も……中止だ。」
その瞬間、誰かのすすり泣く声が聞こえた。
三年間。
朝も夜も、雨の日も雪の日も。
全国を目指して走り続けた日々。
そのすべてが、たった一枚の通知で終わった。
陽翔はパソコンの画面を見つめたまま、何も言えなかった。
拳を握りしめても、行き場のない悔しさが胸を締めつける。
窓の外では、静かな春の風が吹いていた。
だが、その風はもう、希望の匂いを運んではくれなかった。
高校最後の春は、誰にも見送られることなく、静かに終わりを迎えようとしていた。
――第三章「終わった青春」へ続く。
校庭の桜はすっかり葉桜へと変わり、少しずつ夏の匂いを運ぶ風が吹き始めていた。
青葉高校サッカー部は、県大会開幕まで残り三週間。
グラウンドにはいつも以上に熱気があふれていた。
「あと一本! 最後まで足を止めるな!」
監督・黒川の声が響く。
「はい!」
部員たちは汗だくになりながら走り続ける。
陽翔も息を切らしながら、ゴール前で最後のシュートを放った。
ネットを揺らす乾いた音。
「ナイス!」
蓮が親指を立てる。
「今日は調子いいな。」
「みんなの動きもいい。今ならどこにも負ける気がしない。」
そう笑う陽翔の顔には、自信があった。
三年間積み重ねてきた努力が、ようやく形になろうとしていた。
練習後、更衣室では県大会の話で持ちきりだった。
「初戦は絶対勝てる。」
「決勝まで行けば全国だ!」
「優勝したらみんなで焼肉な!」
「監督のおごりで!」
笑い声が部室いっぱいに響く。
その笑顔を見ながら、美月は練習ノートを閉じた。
この時間が、ずっと続くものだと思っていた。
誰も疑っていなかった。
翌日。
昼休み。
教室のテレビからニュースが流れる。
『新型コロナウイルスの感染者が国内でも急増しています。政府は不要不急の外出自粛を——』
「最近ずっとこのニュースだな。」
クラスメイトがため息をつく。
「でも、うちの県はまだ少ないし。」
「学校は普通にあるもんな。」
陽翔も深く考えてはいなかった。
まさか自分たちの生活にまで影響が及ぶとは思えなかったからだ。
しかし、その日の放課後。
監督の表情は、いつもと違っていた。
「全員、集合。」
部員たちが円になって集まる。
監督はしばらく黙ったまま、手にした紙を見つめていた。
「県大会前まで、練習試合がすべて中止になった。」
一瞬、空気が止まる。
「……え?」
「全部ですか?」
「そうだ。」
ざわめきが広がる。
「まあ、大会があるなら問題ない。」
誰かがそう言った。
監督も頷いた。
「今はそう信じよう。」
その言葉に、全員が少しだけ安心した。
だが、不安は日に日に大きくなっていった。
一週間後。
朝、学校へ向かう途中。
駅前の大型ビジョンには赤い文字が並んでいた。
『緊急事態宣言発令へ』
電車の中は静まり返っている。
乗客の多くがマスクを着け、誰も話をしていない。
教室でも空気が重かった。
昼過ぎ。
突然、校内放送が鳴る。
『全校生徒は体育館へ集合してください。』
嫌な予感がした。
体育館には全校生徒が集められ、校長先生が壇上へ立つ。
「新型コロナウイルス感染拡大防止のため、本校は明日より臨時休校とします。」
どよめきが広がる。
「また、すべての部活動を当面の間、停止します。」
その言葉は、雷のように陽翔の胸へ落ちた。
「部活……停止?」
信じられなかった。
県大会まで、あと二週間だった。
放課後。
誰もいないグラウンド。
部員たちはフェンス越しに芝生を見つめていた。
「入っちゃダメなんだって。」
先生が静かに言う。
その一言で、全員が立ち尽くした。
昨日まで毎日走っていた場所。
笑い、悔しがり、夢を語った場所。
そのグラウンドが、まるで遠い世界のように感じられた。
陽翔はフェンスに手をかけた。
「……もう練習できないのか。」
返事はなかった。
数日後。
家で自主練を続ける毎日。
リフティング。
筋トレ。
ランニング。
仲間とはオンラインで励まし合う。
「早く練習したいな。」
「絶対大会あるよ。」
「信じよう。」
画面越しでは、みんな笑っていた。
けれど、その笑顔の奥には、不安が隠れていた。
そして五月初旬。
県サッカー協会から一本の通知が届く。
監督は部員全員をオンラインで集めた。
画面の向こうで、監督は何度も言葉を選んでいた。
「……落ち着いて聞いてくれ。」
部員たちは息をのむ。
「今年度の県大会は——」
監督は一度目を閉じる。
「中止になった。」
誰も声を出せなかった。
時間が止まったようだった。
画面越しに映る仲間たちも、ただ黙っている。
陽翔は耳を疑った。
「……嘘ですよね?」
震える声で尋ねる。
監督は静かに首を横に振った。
「全国大会も……中止だ。」
その瞬間、誰かのすすり泣く声が聞こえた。
三年間。
朝も夜も、雨の日も雪の日も。
全国を目指して走り続けた日々。
そのすべてが、たった一枚の通知で終わった。
陽翔はパソコンの画面を見つめたまま、何も言えなかった。
拳を握りしめても、行き場のない悔しさが胸を締めつける。
窓の外では、静かな春の風が吹いていた。
だが、その風はもう、希望の匂いを運んではくれなかった。
高校最後の春は、誰にも見送られることなく、静かに終わりを迎えようとしていた。
――第三章「終わった青春」へ続く。



