卒業式から一か月。
桜が満開だった街は、新緑の季節を迎えていた。
学生という肩書きを卒業した陽斗と美緒は、それぞれ社会人として新しい一歩を踏み出していた。
陽斗は東京のIT企業へ就職し、美緒は念願だったデザイン会社へ入社した。
卒業したら、また毎日会える。
二人はどこかでそう信じていた。
しかし、その願いは現実の前では叶わなかった。
美緒の配属先は、大阪支社だった。
◇
「本当に決まっちゃったんだね。」
東京駅のホーム。
スーツ姿の美緒は、小さく笑いながら言った。
その笑顔はいつもと変わらないようで、どこか寂しさを隠しているようにも見えた。
陽斗は美緒のキャリーケースを静かに足元へ置く。
「最後まで同じ街になると思ってた。」
「私も。」
二人とも、配属が決まるその日まで期待を捨てていなかった。
東京と大阪。
新幹線で二時間半ほどの距離。
遠距離恋愛としては近い方なのかもしれない。
それでも、学生時代のように「今日会おう」ができる距離ではない。
「不安?」
陽斗が尋ねる。
美緒は少し考えてから頷いた。
「少しだけ。」
「でも、それ以上に信じてる。」
「俺を?」
「うん。」
真っ直ぐな瞳だった。
「陽斗なら、この距離くらい乗り越えられるって。」
その言葉に、陽斗は力強く頷いた。
「俺も、美緒を信じてる。」
発車ベルが鳴り始める。
別れの時間が近づいていた。
「約束しよう。」
美緒が小指を差し出す。
「今度はどんな約束?」
「忙しくても、お互いの夢を応援し続けること。」
「もちろん。」
「そして、会えた日は思い切り笑うこと。」
「約束。」
二人の小指が静かに重なった。
◇
社会人一年目。
想像以上に厳しい毎日だった。
陽斗は毎朝七時には家を出て、帰宅する頃には夜十時を回る日も少なくなかった。
覚えることは山ほどある。
資料作り、会議、取引先への同行。
失敗するたびに落ち込み、それでも前を向いて仕事を覚えていく。
「神崎。」
ある日、上司が資料を閉じながら言った。
「最初の頃に比べて、ずいぶん成長したな。」
「ありがとうございます。」
「この調子なら、次のプロジェクトも任せられそうだ。」
その一言だけで、それまでの苦労が報われた気がした。
◇
一方、大阪では美緒も奮闘していた。
「朝比奈さん、この案だけど、もう少し柔らかい雰囲気にできる?」
「分かりました!」
何度も描き直す毎日。
学生時代は自分の描きたいものを描けばよかった。
けれど仕事は違う。
相手が求めるものを形にする。
その難しさに何度も壁を感じていた。
帰宅する頃には、街のネオンだけが静かに輝いている。
「難しいな……。」
そう呟きながらも、美緒は決して筆を止めなかった。
夢だった仕事だからこそ、簡単に諦めたくなかった。
◇
そんな二人には、一つだけ学生時代から変わらない習慣があった。
毎晩、仕事が終わるとビデオ通話をすることだった。
「お疲れさま。」
「今日も疲れたね。」
画面越しに笑い合うだけで、一日の疲れが少しずつ消えていく。
「今日はどうだった?」
「プレゼンが成功した。」
「すごいじゃん!」
「美緒は?」
「修正が八回。」
「また?」
「もう笑うしかないよ。」
二人は画面越しに大笑いした。
距離は離れていても、心はすぐ隣にあった。
◇
しかし、仕事は待ってくれない。
大型プロジェクトが始まり、二人とも帰宅は深夜。
連絡は短いメッセージだけになっていた。
『今日は遅くなる。』
『無理しないでね。』
『ありがとう。おやすみ。』
たった数行のやり取り。
それだけの日が何日も続いた。
陽斗はふと、大学時代に映画の約束を断ってしまった日のことを思い出していた。
「また同じことを繰り返してるのかな……。」
胸の奥が少し痛んだ。
◇
金曜日の夜。
ようやく仕事を終えた陽斗がスマートフォンを見ると、美緒から不在着信が入っていた。
急いで電話をかけ直す。
「もしもし?」
聞き慣れた声。
けれど、少し元気がない。
「ごめん、気づくの遅くなった。」
「ううん。」
「何かあった?」
少し沈黙が流れる。
そして、美緒は小さな声で言った。
「……会いたい。」
その一言だけだった。
「声を聞くだけじゃ、足りなくなっちゃった。」
陽斗は目を閉じる。
自分も同じ気持ちだった。
「俺も会いたい。」
「隣で笑いたい。」
「手をつなぎたい。」
「ただ、それだけなのにね。」
二人は画面越しに笑った。
その笑顔は少しだけ切なかった。
◇
翌朝。
陽斗は始発の新幹線に乗っていた。
行き先は大阪。
美緒には何も伝えていない。
ただ、「会いたい」という一言だけで十分だった。
昼休み。
会社の前で待っていると、美緒が同僚と一緒に建物から出てきた。
そして、陽斗の姿を見つけた瞬間――。
「……陽斗?」
目を大きく見開き、その場で立ち止まる。
「会いに来た。」
その一言を聞いた瞬間、美緒は駆け出していた。
「もう……。」
陽斗の胸に飛び込みながら笑う。
「ずるいよ、こんなの。」
「驚いた?」
「うん。」
「すごく嬉しい。」
人通りの多い街中だった。
それでも、その瞬間だけは周りの景色が消えたように感じた。
◇
その日の夕方。
二人は大阪の川沿いをゆっくり歩いていた。
夕焼けが川面を黄金色に染めている。
「やっぱり。」
美緒が静かに言う。
「会えるって幸せだね。」
「ああ。」
「離れてみて初めて分かった。」
「何が?」
「毎日隣にいてくれたことが、どれだけ幸せだったか。」
陽斗は静かに微笑む。
「俺も同じ。」
そっと手をつなぐ。
その温もりは、学生時代と何も変わっていなかった。
「距離なんかに負けない。」
陽斗が言う。
「うん。」
「俺たちには、たくさんの約束があるから。」
「その約束を、一つずつ叶えていこう。」
二人は小指を絡める。
学生時代から何度も交わしてきた約束。
その約束は、離れていても決して色褪せることはなかった。
新幹線で東京へ戻る帰り道。
窓の外に広がる夕焼けを見つめながら、陽斗は静かに誓う。
(次に会う時も、必ず笑顔で。)
その想いは、美緒も同じだった。
離れている時間さえ、二人の未来へ続く大切な時間になっていく。
──第六章「約束は消えない」へ続く。
桜が満開だった街は、新緑の季節を迎えていた。
学生という肩書きを卒業した陽斗と美緒は、それぞれ社会人として新しい一歩を踏み出していた。
陽斗は東京のIT企業へ就職し、美緒は念願だったデザイン会社へ入社した。
卒業したら、また毎日会える。
二人はどこかでそう信じていた。
しかし、その願いは現実の前では叶わなかった。
美緒の配属先は、大阪支社だった。
◇
「本当に決まっちゃったんだね。」
東京駅のホーム。
スーツ姿の美緒は、小さく笑いながら言った。
その笑顔はいつもと変わらないようで、どこか寂しさを隠しているようにも見えた。
陽斗は美緒のキャリーケースを静かに足元へ置く。
「最後まで同じ街になると思ってた。」
「私も。」
二人とも、配属が決まるその日まで期待を捨てていなかった。
東京と大阪。
新幹線で二時間半ほどの距離。
遠距離恋愛としては近い方なのかもしれない。
それでも、学生時代のように「今日会おう」ができる距離ではない。
「不安?」
陽斗が尋ねる。
美緒は少し考えてから頷いた。
「少しだけ。」
「でも、それ以上に信じてる。」
「俺を?」
「うん。」
真っ直ぐな瞳だった。
「陽斗なら、この距離くらい乗り越えられるって。」
その言葉に、陽斗は力強く頷いた。
「俺も、美緒を信じてる。」
発車ベルが鳴り始める。
別れの時間が近づいていた。
「約束しよう。」
美緒が小指を差し出す。
「今度はどんな約束?」
「忙しくても、お互いの夢を応援し続けること。」
「もちろん。」
「そして、会えた日は思い切り笑うこと。」
「約束。」
二人の小指が静かに重なった。
◇
社会人一年目。
想像以上に厳しい毎日だった。
陽斗は毎朝七時には家を出て、帰宅する頃には夜十時を回る日も少なくなかった。
覚えることは山ほどある。
資料作り、会議、取引先への同行。
失敗するたびに落ち込み、それでも前を向いて仕事を覚えていく。
「神崎。」
ある日、上司が資料を閉じながら言った。
「最初の頃に比べて、ずいぶん成長したな。」
「ありがとうございます。」
「この調子なら、次のプロジェクトも任せられそうだ。」
その一言だけで、それまでの苦労が報われた気がした。
◇
一方、大阪では美緒も奮闘していた。
「朝比奈さん、この案だけど、もう少し柔らかい雰囲気にできる?」
「分かりました!」
何度も描き直す毎日。
学生時代は自分の描きたいものを描けばよかった。
けれど仕事は違う。
相手が求めるものを形にする。
その難しさに何度も壁を感じていた。
帰宅する頃には、街のネオンだけが静かに輝いている。
「難しいな……。」
そう呟きながらも、美緒は決して筆を止めなかった。
夢だった仕事だからこそ、簡単に諦めたくなかった。
◇
そんな二人には、一つだけ学生時代から変わらない習慣があった。
毎晩、仕事が終わるとビデオ通話をすることだった。
「お疲れさま。」
「今日も疲れたね。」
画面越しに笑い合うだけで、一日の疲れが少しずつ消えていく。
「今日はどうだった?」
「プレゼンが成功した。」
「すごいじゃん!」
「美緒は?」
「修正が八回。」
「また?」
「もう笑うしかないよ。」
二人は画面越しに大笑いした。
距離は離れていても、心はすぐ隣にあった。
◇
しかし、仕事は待ってくれない。
大型プロジェクトが始まり、二人とも帰宅は深夜。
連絡は短いメッセージだけになっていた。
『今日は遅くなる。』
『無理しないでね。』
『ありがとう。おやすみ。』
たった数行のやり取り。
それだけの日が何日も続いた。
陽斗はふと、大学時代に映画の約束を断ってしまった日のことを思い出していた。
「また同じことを繰り返してるのかな……。」
胸の奥が少し痛んだ。
◇
金曜日の夜。
ようやく仕事を終えた陽斗がスマートフォンを見ると、美緒から不在着信が入っていた。
急いで電話をかけ直す。
「もしもし?」
聞き慣れた声。
けれど、少し元気がない。
「ごめん、気づくの遅くなった。」
「ううん。」
「何かあった?」
少し沈黙が流れる。
そして、美緒は小さな声で言った。
「……会いたい。」
その一言だけだった。
「声を聞くだけじゃ、足りなくなっちゃった。」
陽斗は目を閉じる。
自分も同じ気持ちだった。
「俺も会いたい。」
「隣で笑いたい。」
「手をつなぎたい。」
「ただ、それだけなのにね。」
二人は画面越しに笑った。
その笑顔は少しだけ切なかった。
◇
翌朝。
陽斗は始発の新幹線に乗っていた。
行き先は大阪。
美緒には何も伝えていない。
ただ、「会いたい」という一言だけで十分だった。
昼休み。
会社の前で待っていると、美緒が同僚と一緒に建物から出てきた。
そして、陽斗の姿を見つけた瞬間――。
「……陽斗?」
目を大きく見開き、その場で立ち止まる。
「会いに来た。」
その一言を聞いた瞬間、美緒は駆け出していた。
「もう……。」
陽斗の胸に飛び込みながら笑う。
「ずるいよ、こんなの。」
「驚いた?」
「うん。」
「すごく嬉しい。」
人通りの多い街中だった。
それでも、その瞬間だけは周りの景色が消えたように感じた。
◇
その日の夕方。
二人は大阪の川沿いをゆっくり歩いていた。
夕焼けが川面を黄金色に染めている。
「やっぱり。」
美緒が静かに言う。
「会えるって幸せだね。」
「ああ。」
「離れてみて初めて分かった。」
「何が?」
「毎日隣にいてくれたことが、どれだけ幸せだったか。」
陽斗は静かに微笑む。
「俺も同じ。」
そっと手をつなぐ。
その温もりは、学生時代と何も変わっていなかった。
「距離なんかに負けない。」
陽斗が言う。
「うん。」
「俺たちには、たくさんの約束があるから。」
「その約束を、一つずつ叶えていこう。」
二人は小指を絡める。
学生時代から何度も交わしてきた約束。
その約束は、離れていても決して色褪せることはなかった。
新幹線で東京へ戻る帰り道。
窓の外に広がる夕焼けを見つめながら、陽斗は静かに誓う。
(次に会う時も、必ず笑顔で。)
その想いは、美緒も同じだった。
離れている時間さえ、二人の未来へ続く大切な時間になっていく。
──第六章「約束は消えない」へ続く。



