『君と見つけた、春色の約束 そして、未来へ』

 五月の風は、春の名残を抱きながら、新しい季節へと街を運んでいた。

 大学の木々は鮮やかな緑に染まり、キャンパスには新入生たちの笑い声が響いている。

 二年生としての生活にも慣れた陽斗と美緒は、それぞれ新たな目標に向かって歩き始めていた。

     ◇

「今年の学内アートフェス、出展してみない?」

 美術棟のアトリエで、美緒は担当教授から一枚の募集要項を受け取った。

「私がですか?」

「君なら十分挑戦できる。去年より、ずっと表現の幅が広がっている。」

 教授の言葉に、美緒は少しだけ戸惑った。

 学内アートフェス。

 毎年、多くの学生が作品を出展する大学最大のイベントだ。

 優秀作品は外部の美術展へ推薦されることもある。

「……私に描けるでしょうか。」

「自信は、描いてからついてくるものだよ。」

 その言葉が、美緒の胸に静かに残った。

     ◇

 その日の夕方。

 二人はいつもの桜並木を歩いていた。

「アートフェス?」

 陽斗は少し驚いた表情を浮かべる。

「うん。先生に勧められたの。」

「すごいじゃん。」

「でも、不安なんだ。」

 美緒は空を見上げた。

「もっと上手な人はいっぱいいるし。」

「失敗したらどうしようって。」

 陽斗は少し考えてから笑った。

「一年前の美緒なら、挑戦すらしなかったかもしれない。」

「……そうかも。」

「でも今は違う。」

 陽斗は立ち止まり、美緒の目を見つめる。

「夢に向かって一歩踏み出そうとしてる。」

「その時点で、もう成長してるよ。」

 美緒は照れくさそうに笑った。

「陽斗って、たまにすごくかっこいいこと言うよね。」

「たまにって何だよ。」

 二人は顔を見合わせ、声を上げて笑った。

     ◇

 一方、陽斗にも悩みがあった。

 ゼミの教授から、研究発表会の代表候補に選ばれたのだ。

「神崎、どうする?」

 教授は資料を差し出しながら言った。

「君なら十分任せられる。」

「……少し考えさせてください。」

 教室を出た陽斗は、大きく息を吐いた。

 代表になれば大きな経験になる。

 しかし、その分準備は忙しくなる。

 美緒との時間も減ってしまうかもしれない。

「また同じことになるのかな……。」

 第二章での出来事が頭をよぎる。

 大切なものを守りながら夢を追うことは、思っていたより難しかった。

     ◇

 数日後。

 美緒は真っ白なキャンバスの前で立ち尽くしていた。

「描けない……。」

 筆を持っても、何も浮かばない。

 焦れば焦るほど、キャンバスは白いままだった。

 そこへ、静かに扉が開く。

「まだ帰ってなかったんだ。」

 陽斗だった。

「うん……。」

「行き詰まった?」

 美緒は小さく頷く。

「描きたいものはあるの。」

「でも、うまく形にならない。」

 陽斗は真っ白なキャンバスを見つめた。

「何を描きたいの?」

「……未来。」

「未来?」

「一年前は、一人で絵を描いてた。」

「でも今は違う。」

 美緒は優しく笑う。

「誰かと歩く未来を描きたい。」

 その言葉に、陽斗は胸が熱くなった。

「だったら。」

 ゆっくりと窓の外を指差す。

 夕焼けに染まるキャンパス。

 笑いながら歩く学生たち。

 風に揺れる木々。

「未来って、特別な場所じゃない。」

「今日の続きなんじゃないかな。」

 美緒はその言葉を何度も心の中で繰り返した。

「今日の……続き。」

 その瞬間だった。

 頭の中に、一枚の景色が浮かぶ。

 春、夏、秋、冬。

 四季を歩く二人の姿。

 桜。

 青空。

 紅葉。

 雪景色。

 どの季節にも、隣には大切な人がいる。

「描ける……。」

 美緒は勢いよくキャンバスへ向かう。

 迷いなく筆が走り始めた。

     ◇

 それから数週間。

 美緒は授業が終わるたびにアトリエへ通い、少しずつ作品を完成させていった。

 陽斗も研究発表の準備に追われながら、お互いを励まし合う日々を送る。

「今日はどうだった?」

「少し進んだ。」

「陽斗は?」

「資料が半分。」

「あと半分だね。」

「美緒もあと少し。」

 二人は忙しくても、一日の終わりには必ず連絡を取り合った。

 何気ない会話。

 それだけで、不思議と頑張る力が湧いてくる。

     ◇

 六月初旬。

 アートフェス当日。

 展示室には、多くの作品が並んでいた。

 その中でも、美緒の作品の前には多くの人が足を止めていた。

 タイトルは――

『未来へ続く季節』

 春夏秋冬を歩く一組の男女。

 表情ははっきり描かれていない。

 それでも、寄り添う姿から伝わる温もりは、誰の目にも明らかだった。

「すごい……。」

 陽斗は思わず言葉を漏らした。

「本当に美緒が描いたのか?」

「ひどい。」

 そう笑いながらも、美緒の目には涙が浮かんでいた。

「描けたよ。」

「うん。」

「陽斗のおかげ。」

「違う。」

 陽斗は静かに首を振る。

「描いたのは美緒だ。」

 その言葉に、美緒は涙をこぼしながら笑った。

     ◇

 夕暮れ。

 展示会を終えた帰り道。

 二人は橋の上で立ち止まる。

 川面には夕日が映り込み、黄金色に輝いていた。

「夢ってさ。」

 陽斗が静かに口を開く。

「一人で叶えるものだと思ってた。」

「うん。」

「でも違うんだな。」

「支えてくれる人がいるから頑張れる。」

 美緒は優しく微笑む。

「私も同じ。」

「陽斗がいたから描けた。」

 二人はそっと手をつないだ。

 夢はまだ始まったばかり。

 叶えたい未来も、歩きたい人生も、その先に待っている。

 夕焼け空の向こうには、新しい季節が静かに近づいていた。

 その未来へ向かって、二人はゆっくりと歩き出す。

──第四章「最後の学生生活」へ続く。