ねえ、はやく降参してよ。 ――同じ苗字になっても、まだ足りない。甘くて焦れったい心理戦を続ける夫婦。


「うう……頭いたい……」

 そんなぼやきを聞きながら。
 壁掛けの姿見の前に立ち、ボタンをひとつずつ留めていく。

 背後に、視線を感じた。
 鏡越しに確認すると、ベッドの上のマナが、ぼんやりとこちらを眺めている。

 昨晩の問いかけが、蘇る。


『ハルって……何人彼女つくってたのおー』


 結局、俺は話していない。
 これから先も、話さないと思う。

 その代わりに、埋めるものがあるとすれば――。


「……薬でも飲んで治しとけよ。夜までに」

 ネクタイを締めて襟を整え、ジャケットに腕を通した。

「え?」

「今日、火曜日だから。六時半には帰る」

 鞄を掴み、寝室を出たけれど。
 引き返して、仕切りの陰から顔だけを覗かせた。


「昨日の借り、返してもらうわ。よろしくな?」


 枕を抱えたままのマナが、目を丸くする。

「ど……どうやって?」

「わかってるくせに」

 静かに告げると、彼女は頬の色を変え、ガーゼケットを頭まで引き上げた。
 布の塊が、もぞもぞと縮こまっている。

 その様子を見届けてから、玄関へと向かった。

 鍵を回す音を、朝の廊下に響かせながら。
 自分の口元が緩んでいるのが、わかった。





―― 終 ――