完璧な人が、ふと崩れる瞬間に弱い。それは悪い癖のようでもあり、私の密かなこだわりでもあった。
猫に振られて肩を落とす藤堂さんを見た瞬間、胸が苦しくなった。そんな顔をする人だなんて、知らなかった。
だからきっと。あの日から、私は終わっていた。
◇
二月の朝は、音が違う。冷え切った廊下に響く自分の足音も、どこか硬く、遠くまで透き通っていく気がする。
更衣室を出た瞬間、廊下の冷気が頬に刺さった。宿泊客のいるロビーとは違い、早朝のバックヤードはどこもひんやりとしている。
マフラーを外しながら、制服の衿を整えた。今日もきっちり六時四十分。我ながら、律儀だと思う。
私が勤めているのは、都内のシティホテル。
フロントスタッフとして四年目になる私──香坂詩織、二十六歳は、搬入口へ続く廊下を抜けるのが朝の習慣だった。遠回りにはなるが、その分だけ頭が醒める。
冷気と、搬入業者が運び込む花や食材のにおいが混ざった、この時間だけの空気が好きだった。
角を曲がったその時、藤堂さんがいた。
フロントマネージャーの藤堂悠、三十二歳は、私より十五分早く出勤する。着任してから、ずっとそうだ。
長身で、短く整えられた黒髪に、細いフレームの眼鏡をかけている。
搬入業者と二言三言交わし、届けられたリネンなどの荷物を確認し、タブレットに何かを入力する。一連の動作に、無駄がない。
「香坂さん、おはようございます」
顔を上げないまま、藤堂さんが言った。私はまだ二メートル以上離れていたのに。足音のテンポだけで、私だと判別したのだろうか。



