月影の彼方〜千年の約束〜

「なぁ、リッカ」

「なんだ」


親睦会の翌日。

夜、部屋で宿題をしながら、窓辺で開け放した窓に背中を預けるリッカに声をかけた。

「……昨日の、鎌鼬って、妖なのか?他にもまだいるの?」

リッカは、少し考えるように黙り込む。

「……昔は、この辺りにも妖がたくさんいた」

ぽつり、とリッカが呟いた。

「川には河童がいたし、山には天狗殿がいた」

月を見上げるその横顔は、どこか遠い。

「だがみな、消えてしまった」

「……リッカも、妖なの?」

今まで聞きたくて聞けなかったその疑問。

リッカは、ふ、と笑うと、
「……さあな」
そう言って言葉を濁した。



晃は1週間の入院の後、松葉杖をついて施設に帰ってきた。

「いやぁ、不便不便。用を足すのも一苦労」

開口一番のその言葉に、力が抜けた。

「あ、晴人!何笑ってんだよー」

晃は俺の肩を小突くと、リッカを見てニカっと笑った。

「リッカ、その節はありがとな!」

リッカは視線を逸らすと、何も言わずに口元を緩めた。

「ところでさ」

晃は少し声のトーンを落とすと、近くに寄れと言わんばかりに手招きをする。


「河童橋?」

「そう。昔俺が住んでた家の近くの川に、そういう名前の橋があるんだ」

「……ほぅ」

晃の言葉に、リッカが目を細める。

「そこに、河童の銅像があるんだけど」

晴人は、チラッとリッカを見る。

リッカは、興味があるのか、目がキラリと光った。

「明日行ってみねぇ?」

「明日?」

「そ!この前鎌鼬見ただろ?俺妖怪とか興味あるんだよな!リッカもいるし、なんか面白いこと起こりそうだろ?」

「でもお前、その足でか?」

「おう!こんなもんリッカに担いで貰えば楽勝だ!」

「……俺が担ぐのか?」


翌日。

施設がある街から小一時間ほど離れた、初めてくる土地。

その場所は、古い家が並ぶ、昔ながらの街並みだった。

しばらく歩くと、小さな川が見えてきた。

その川にかかる赤い橋。

そこに、河童橋と書かれた看板と、緑色の河童の銅像が立っていた。

「ほう!ほうほう!」

リッカが嬉しそうにその河童の銅像に触った。

「リッカ、この河童知ってるのか?」

「はは!昔はよく競争をした!」

「河童と?」

「ああ。戦利品はほぼ胡瓜だったから俺はやる気が出なくてな。戦利品がカエルだった時だけは俺が勝ったものだ」

「……へぇ」

テンションの上がるリッカを、晴人と晃は珍しそうに見ていた。

「そうか……銅像になったんだな、田吾作。河童は尻子玉を抜くと恐れられて忌み嫌われていたからな。良かったなぁ」

「田吾作?」

「こいつの名前だ」

昔の田舎の百姓のような名前に、晃と2人、顔を見合わせた。


河童橋を後にした帰り道。

「晴人」

リッカが珍しく、少し言い淀む。

「なんだ?」

「もう一箇所、付き合ってくれるか?」

「珍しいな。リッカが行きたい場所なんて」

「……昔の知り合いがいる」


山の奥。

長い石段を登った先に、小さな参道があった。

「ここ?」

「ああ」

リッカが静かに鳥居を見上げる。
そこには、風雨で掠れた文字。

『天狗堂』

「昔、この山には天狗がいたんだ」

風が吹く。
木々がざわめいた。

リッカの金色の瞳が、どこか遠くを見る。

「櫂燕は気位の高いやつだった」

リッカが、古びたお堂を見上げながら小さく笑う。

「よく田吾作と喧嘩をしていた」

「河童と天狗が?」

「ああ。よく三人で相撲を取ったものだ」

「……何その絵面」

「毎回田吾作が最初に潰されていた」

「だろうな」

晃の言葉に、ふっ、とリッカが笑う。
だけどその笑顔は、どこか寂しそうだった。

「……寂しいのか?」

晴人がぽつりと聞く。
リッカは少し驚いたように目を瞬かせた。

「何がだ」

「田吾作さんとか、櫂燕さんとか」

しばらく沈黙が続く。

「……そうだな」 

リッカは小さく笑った。

「少しな」

その笑顔は、どこか消え入りそうで、でもとても美しかった。

「あやつらと最後に会ったのは、先の大戦の前だった。あの大戦で、山は燃え、川には人の死体が浮き、妖たちもどこかへ行ってしまった」

「田吾作は、戦など人間の勝手だと怒っていた」

リッカが静かに目を伏せる。

「櫂燕殿は、山を守ろうとしていた」

「だが、山そのものが焼かれてしまえば、どうしようもない」

リッカはそこで言葉を切った。

「死んだのか?」

晃の言葉に、リッカは首を振る。

「わからん。だがもう人の世にはいない。それだけは確かだ」


しばらくの沈黙のあと。

「なぁ、リッカって何歳?」

晃の問いに、リッカは考えるように目を閉じた。

「……わからん!」

そして諦めたようにそう言った。

「少なくともな」

晃が顎に手を当てる。

「月島の守り憑きの逸話は平安時代からある」

「……平安時代?」

晴人は思わず聞き返した。

リッカは何も答えない。

ただ遠くを見るように空を見上げていた。

「そうだ」

晃が何か思い出したように声を上げる。

「俺んちなら、何かわかるかもしれねぇ」