ギィ、と古い木製の引き戸を開けて、大部屋に戻る。
「アスカちゃん、水筒あったよー……」
言いかけた私の言葉は、目の前の光景にすぽんと掻き消された。
「――せーのっ、未明ちゃん、ようこそ一高女へ!」
部屋の明かりが薄暗く落とされた畳の上で、アスカちゃんをはじめ、みんながパッと笑顔を咲かせて私を囲んだ。
「しーっ! 声が大きいよ、先生に怒られちゃう!」
誰かが慌てて口元に指を当てて囁き、みんなで顔を見合わせて「くすくす」と忍び笑いを漏らす。
部屋の真ん中にある手回しの小さな机の上には、『歓迎 鈴木未明さん』と書かれた色紙のようなものと、小さいけど蒸したてのさつまいもがカゴに入れられて置かれていた。
花瓶には綺麗な花が飾られている。
「本当はこーんな大きなケーキとお赤飯とソーダ水も用意したかったんだけどー」
アスカちゃんの隣に座っていたリンちゃんが手を大きく広げる。
「今はお芋しかないものねー」
「ねー」
みんなの楽しそうなやり取りを見ていると、胸の奥がツンと熱くなっていくのが分かった。
「はい、これは安里八幡宮のお守り」
そう言ってお裁縫が得意なサエちゃんがくれたのは、白百合の刺繍がされた巾着だった。
巾着の中には木の葉が入っている。
「え……お守り、の中に木の葉?」
私が不思議そうに巾着を覗き込むと、サエちゃんは誇らしげに、でも少し照れくさそうに微笑んだ。
「そうよ。この葉っぱはね、八幡宮の境内にある由緒正しい木からいただいたの。どんな困難からも身を守ってくれるの」
「みんなで未明ちゃんが寂しくないようにって、内緒で用意してたんだよ」
「だから、さっきは部屋から追い出すような真似しちゃってごめんね」
みんながが申し訳なさそうに手を合わせる。
彼女達の温かさが、私の胸にじわじわと染み渡っていく。
手の中にある手作りの巾着は、ほんのりと温かい。
物資が不足しているこの時代に、転校してきたばかりの私のために、みんなが知恵を絞り、大切な時間を割いてこれを用意してくれたのだ。
「ううん、全然怒ってないよ。……ありがとう。本当に、ありがとう」
涙が溢れそうになるのを必死に堪えながら、私はお守りをぎゅっと握りしめた。
「さあさあ、お芋が冷めないうちに食べよう!先生に見つかったら大変だからね」
リンちゃんに促され、私たちは小さな机を囲んで、ほかほかと湯気を立てるさつまいもを分け合った。
一口かじると、素朴で優しい甘さが口いっぱいに広がる。
「美味しい……」
「でしょ?配給の中で、一番大きくて甘そうなやつを選んだんだから!」
暗い部屋の中、小さな灯りを囲んで交わされる、少女達のささやかな笑い声。
現代の私から見れば、それはあまりにも質素な歓迎会だったけれど、これほど胸に響く贈り物はなかった。
「未明ちゃん、どうしたの? 涙目になってるよ。やっぱりお芋、喉に詰まらせちゃった?」
アスカちゃんが顔を覗き込んできて、私は慌てて首を振った。
「ううん、違うの。本当に美味しくて、みんなが優しくて……」
「なんだ、びっくりさせないでよ」
リンちゃんがホッとしたように笑い、自分の分のお芋を小さくちぎって口に運ぶ。
その時、廊下の奥からドタドタと慌ただしい足音が近づいてきた。
「大変!見回りの先生がこっちに来るよ!」
見張りをしていた子が勢いよく扉を開けて飛び込んできた。
「しまって、早く!」
みんなで大慌てでお芋の入ったカゴを隠し、小さな机を部屋の隅へ片付ける。布団を広げて、あたかも最初から寝ていたかのように滑り込んだ瞬間、ギィと扉が開いた。
「まだ起きているの? 明日も朝から作業があるんだから、早く休みなさい」
先生の持つ手提げ灯の光が、暗い部屋をさっと照らす。
「「「はーい、おやすみなさい」」」
みんなで声を揃えて布団に潜り込み、息を潜める。先生の足音が遠ざかっていくと、誰からともなく「ぷっ」と吹き出し、部屋の中は再び小さな忍び笑いに包まれた。
隣の布団から、アスカちゃんが寝返りを打って私の方を向いた。
「驚かせちゃってごめんね。でも、未明ちゃんが喜んでくれて本当によかった」
暗がりの中でも、彼女の目が優しく細められているのが分かった。
「ううん、本当に嬉しかった。ありがとう、アスカちゃん」
私は胸元でみんなから貰ったお守りをぎゅっと握りしめた。
彼女達は、この先に待っている運命を何も知らない。ただひたすらに、自分達の未来とお国の勝利ために、笑顔を絶やさず日々を生きている。
(六月下旬。それまでに、私はどうしたらいいんだろう……)
八雲さんの言ったタイムリミットが、重く心にのしかかる。
彼が『絶対に死なない』と保証したとしても、私の目の前にいるアスカちゃんやリンちゃん、サエちゃんはどうなるのだろう。歴史の教科書に書かれていた結末を思い出すたび、全身の血が凍りつくような恐怖が這い上がってくる。
「未明ちゃん?」
「あ、ううん、なんでもないよ。ちょっと考え事しちゃって」
「ふふ、疲れが出たのよ。明日も朝から作業があるから、もう寝ようね。おやすみ」
「うん、おやすみなさい」
アスカちゃんが静かに目を閉じ、規則正しい寝息を立て始める。
部屋のあちこちからも、小さく寝息が聞こえてきた。
私は一人、天井の木目をじっと見つめていた。
窓の外からは、昼間よりも少し大きく、ザザーン、ザザーンと波の音が響いている。それが、まるで少しずつ近づいてくる不穏な足音のように聞こえて、私はお守りをさらに強く握りしめた。
大丈夫、きっと大丈夫。
「アスカちゃん、水筒あったよー……」
言いかけた私の言葉は、目の前の光景にすぽんと掻き消された。
「――せーのっ、未明ちゃん、ようこそ一高女へ!」
部屋の明かりが薄暗く落とされた畳の上で、アスカちゃんをはじめ、みんながパッと笑顔を咲かせて私を囲んだ。
「しーっ! 声が大きいよ、先生に怒られちゃう!」
誰かが慌てて口元に指を当てて囁き、みんなで顔を見合わせて「くすくす」と忍び笑いを漏らす。
部屋の真ん中にある手回しの小さな机の上には、『歓迎 鈴木未明さん』と書かれた色紙のようなものと、小さいけど蒸したてのさつまいもがカゴに入れられて置かれていた。
花瓶には綺麗な花が飾られている。
「本当はこーんな大きなケーキとお赤飯とソーダ水も用意したかったんだけどー」
アスカちゃんの隣に座っていたリンちゃんが手を大きく広げる。
「今はお芋しかないものねー」
「ねー」
みんなの楽しそうなやり取りを見ていると、胸の奥がツンと熱くなっていくのが分かった。
「はい、これは安里八幡宮のお守り」
そう言ってお裁縫が得意なサエちゃんがくれたのは、白百合の刺繍がされた巾着だった。
巾着の中には木の葉が入っている。
「え……お守り、の中に木の葉?」
私が不思議そうに巾着を覗き込むと、サエちゃんは誇らしげに、でも少し照れくさそうに微笑んだ。
「そうよ。この葉っぱはね、八幡宮の境内にある由緒正しい木からいただいたの。どんな困難からも身を守ってくれるの」
「みんなで未明ちゃんが寂しくないようにって、内緒で用意してたんだよ」
「だから、さっきは部屋から追い出すような真似しちゃってごめんね」
みんながが申し訳なさそうに手を合わせる。
彼女達の温かさが、私の胸にじわじわと染み渡っていく。
手の中にある手作りの巾着は、ほんのりと温かい。
物資が不足しているこの時代に、転校してきたばかりの私のために、みんなが知恵を絞り、大切な時間を割いてこれを用意してくれたのだ。
「ううん、全然怒ってないよ。……ありがとう。本当に、ありがとう」
涙が溢れそうになるのを必死に堪えながら、私はお守りをぎゅっと握りしめた。
「さあさあ、お芋が冷めないうちに食べよう!先生に見つかったら大変だからね」
リンちゃんに促され、私たちは小さな机を囲んで、ほかほかと湯気を立てるさつまいもを分け合った。
一口かじると、素朴で優しい甘さが口いっぱいに広がる。
「美味しい……」
「でしょ?配給の中で、一番大きくて甘そうなやつを選んだんだから!」
暗い部屋の中、小さな灯りを囲んで交わされる、少女達のささやかな笑い声。
現代の私から見れば、それはあまりにも質素な歓迎会だったけれど、これほど胸に響く贈り物はなかった。
「未明ちゃん、どうしたの? 涙目になってるよ。やっぱりお芋、喉に詰まらせちゃった?」
アスカちゃんが顔を覗き込んできて、私は慌てて首を振った。
「ううん、違うの。本当に美味しくて、みんなが優しくて……」
「なんだ、びっくりさせないでよ」
リンちゃんがホッとしたように笑い、自分の分のお芋を小さくちぎって口に運ぶ。
その時、廊下の奥からドタドタと慌ただしい足音が近づいてきた。
「大変!見回りの先生がこっちに来るよ!」
見張りをしていた子が勢いよく扉を開けて飛び込んできた。
「しまって、早く!」
みんなで大慌てでお芋の入ったカゴを隠し、小さな机を部屋の隅へ片付ける。布団を広げて、あたかも最初から寝ていたかのように滑り込んだ瞬間、ギィと扉が開いた。
「まだ起きているの? 明日も朝から作業があるんだから、早く休みなさい」
先生の持つ手提げ灯の光が、暗い部屋をさっと照らす。
「「「はーい、おやすみなさい」」」
みんなで声を揃えて布団に潜り込み、息を潜める。先生の足音が遠ざかっていくと、誰からともなく「ぷっ」と吹き出し、部屋の中は再び小さな忍び笑いに包まれた。
隣の布団から、アスカちゃんが寝返りを打って私の方を向いた。
「驚かせちゃってごめんね。でも、未明ちゃんが喜んでくれて本当によかった」
暗がりの中でも、彼女の目が優しく細められているのが分かった。
「ううん、本当に嬉しかった。ありがとう、アスカちゃん」
私は胸元でみんなから貰ったお守りをぎゅっと握りしめた。
彼女達は、この先に待っている運命を何も知らない。ただひたすらに、自分達の未来とお国の勝利ために、笑顔を絶やさず日々を生きている。
(六月下旬。それまでに、私はどうしたらいいんだろう……)
八雲さんの言ったタイムリミットが、重く心にのしかかる。
彼が『絶対に死なない』と保証したとしても、私の目の前にいるアスカちゃんやリンちゃん、サエちゃんはどうなるのだろう。歴史の教科書に書かれていた結末を思い出すたび、全身の血が凍りつくような恐怖が這い上がってくる。
「未明ちゃん?」
「あ、ううん、なんでもないよ。ちょっと考え事しちゃって」
「ふふ、疲れが出たのよ。明日も朝から作業があるから、もう寝ようね。おやすみ」
「うん、おやすみなさい」
アスカちゃんが静かに目を閉じ、規則正しい寝息を立て始める。
部屋のあちこちからも、小さく寝息が聞こえてきた。
私は一人、天井の木目をじっと見つめていた。
窓の外からは、昼間よりも少し大きく、ザザーン、ザザーンと波の音が響いている。それが、まるで少しずつ近づいてくる不穏な足音のように聞こえて、私はお守りをさらに強く握りしめた。
大丈夫、きっと大丈夫。



