小さな頃からおままごとが大好きだった。
いろんな立場のひとが暮らすいろんな部屋、家、街をその頃から妄想していた。でも理系はさっぱりだったから、建築士とか設計技術者とかにはなれない。だから就職活動ではいえづくりの会社の営業や事務を中心に探し、運良く第一志望のアルテミスに入社することができたのだ。
最初の配属は、営業部。
ようしと張り切った。めちゃくちゃ張り切った。でも、向いてなかった。
ちがうんです。喋れます。そういう系統じゃなくて。お客さまと話すのも、お話を聞くのも大好きすぎて、めいっぱい頭のなかでお客さまの暮らしを作って、全力で提案して。
全力すぎて、ウザがられた。そういうのが三回くらい続いて、浮いた。
薄暗い廊下の隅、用具入れの前でエナジードリンクの空き缶を並べて膝を抱えていたわたしの前に立ったのが、工藤副部長だった。
営業部から話を聞いたらしい。俺のところに来い、君には企画が向いている、と、低く静かな声で落とされた言葉にわたしは涙を浮かべて彼の顔を見上げたのだ。
ひぃと声を漏らした。怖かった。めちゃくちゃ。
細められた切れ長の目は少しもわらっておらず、少しだけ持ち上げられた口角はわたしをどう料理してくれようかと思案しているように思われたのだ。
あとで聞いたところ、あれは最上の愛想笑いだったらしい。
こうしてわたしは、鬼の工藤、氷の工藤と異名を取る彼の下で働くことになったのだ。
仕事はほんとうに厳しくて、でも楽しくて。夢中で過ごして、気がつけばもう三年目。後輩もできて、仕事を少しだけ余裕を持って回せるようになり、ほんの、ほんのちょっとだけ……慌ただしい毎日のなかでも退屈を感じるようになってきていた。
ずっとこうやって生きてくのかな、って。
それが、最近のわたしだった。
ぼうっとこれまでのことを考えているうち、いつのまにか車窓の風景には緑が多く混じるようになってきていた。
大戸島を出てからもう三十分ほど走っただろうか。住宅もまばらになり、丘と山の中間といったような起伏のある場所をわたしたちの車は進んでいる。
すでに葉を落とした樹々がさらに密になる。森のなかを走っているみたいだ。そうして、少し過ぎた頃。ふいにその樹々の帷が途切れた。
「わあ……!」
視界ぜんぶを埋める光。
秋の終わりの青空から降る陽光を受けて、穏やかな海が宝石を浮かべたようにきらきらと輝いていた。どこまでも透明な空気、遠くにちいさくかかる雲。海鳥が二羽、車に追随するように飛んでいる。
「……素敵……」
わたしは車窓におでこをつけるように風景に見惚れていた。昨夜からの、なんだか魔界に呑まれたような訳のわからない展開にもにょもにょとしていた心が洗われていく。別の表現をすれば、残っていた二日酔いがあんまり気にならなくなる程度に紛れてゆく。
と、後頭部に笑いを含んだ声が飛んでくる。
「ふ。まるで遠足に出た子どもだな」
振り向いて、下唇をちょっと突き出して見せる。
「ぶう。海が無い県そだちなもので。こういう風景、ちょっと特別なんですよ」
「……そうか」
それだけ言って言葉を切り、そのまま運転している。どこか嬉しそうな表情。なんだか悔しくなって、わたしはどすんと背もたれに背を預けた。
「そういう副部長はどちらなんですか、お生まれ。さぞや海が豊富だったんでしょうね」
「海が豊富というのはどういう状況だ。まあ……だが、そうだ。海が見渡せる山間の集落がふるさとでな。田舎だよ」
「え、ほんとにそうなんですか……意外。都心のお生まれかと思ってました。ご親戚も名家ぞろいっておっしゃったし、きっとよいとこの……」
そこまで言って、副部長の薄く含んだ笑みが消えていることに気がついた。しまった。調子に乗っちゃった。くっと言葉を飲んで、頭を下げる。
「……ごめんなさい」
「ん? なぜ謝る。ちょっと昔のことを思い出していただけだ。そうだ、俺はいまから向かうところの生まれだ。静かだが、海と緑しかない場所だな」
「あっ、じゃあ……もしかして今日は、ご両親も……?」
「いや、父も母も、俺が中学生のときに死んだ」
ひゅっと息を吸って運転席に顔を向ける。副部長は少し片眉をあげ、口を曲げてみせた。
「……すみません」
「佐倉。君は昨日と今日でなんど謝ることができるかの記録樹立を狙っているのか」
からかうような口調だったけれど、軽率に聞いてしまった自分がひたすらに恥ずかしくて顔を上げられない。そんなわたしをしばらく横目に見ていたらしい彼は、やがて前を向いたまま、軽い調子で口を開いた。
「いまから行くのは、神原の郷《さと》。地元のひとたちにそう呼ばれている」
「……かんばら……の、さと」
「実際の地名には神原というのはないんだけどな。なにせ古い土地だ。ずっと昔から住んでいる一族の名前が土地の呼び方に成り替わったんだろう。そのあたりに住んでいるのは神原姓ばかりだよ」
「あ、じゃあ……これからお邪魔するご親戚も、神原さん、とおっしゃるんですね」
「ああ、そうだ」
神原。かんばら。
どこかで聞いたことがある響きだ。連想したのは、超大手のグループ企業、神原グループ。
ずうっと昔、戦国時代よりもまだ前から秘伝の製鉄業を営んできた神原家が、近代化と戦後の復興であらゆる産業を傘下に従えるようになったという、国内最大の企業グループだ。特に祖業である鉄鋼関連では世界最大手って言われているらしい。
かんばらぁ、かんばらぁ、かんばらぐるーぷぅ、というテレビコマーシャルは小さな子どもでも歌うことができるはずだ。
「……神原さんって苗字、お金持ちの方が多いんですね。なんだかコマーシャルを思い出しちゃいました。あの、かんばらぐるーぷ、っていう歌。ふふ、副部長のご親戚が神原グループの社長さんとかだったりしたらどうしよう」
空気を変えようと冗談めかして遠慮気味に笑ったわたしに、彼はエアコンの温度調整をしながらこともなげに言葉を返したのだ。
「ああ、そうだ。よくわかったな」
「……へ?」



