終電で鬼上司の肩を枕にしてしまいました〜会社生活終了と思ったのに、終わったのは平凡で退屈な日常でした〜


 「え、ぜん、いん……?」

 全員集合。親戚の。それにわたしが行くの? なんで? いやなんでかはわかってるけど……ええええ。
 両方の眉尻を思いっきり下げ、へにゃりとした表情をつくったわたし。だけど工藤副部長は気にするそぶりも見せずに立ち上がった。

 「身支度は済んでいるんだな?」

 わたしの上から下まで、ゆっくりと視線をよこす副部長。こっち見るな、という気持ちを込めて睨みつけ、言い返す。

 「そうは見えないとは思いますが、わたしのなかでは七割の完成度を示しています」
 「上等だ。よし、出るぞ。レンタカー店ももう開いているはずだ」
 「えっ、あ、歯だけ磨かせてください歯だけ」
 「身支度は済んだと言ったろう」
 「七割だと言ったんです」

 こんななりでは誰の前にも出られないけれど、加えてクロワッサンの破片を前歯に貼ったままでは部屋の外にでることすらできぬのだ。ああ、と頷く彼も歯ブラシが二セットあることを発見したようで、仲良く並んでこしこしと磨いた。
 副部長はわたしの二倍の時間をかけて磨いていた。
 
 チェックアウトのとき、昨夜の事情を知らないらしいフロントのひとは副部長とわたしを交互に見て、手元の伝票と見比べていた。シングルって書いてあるだろうからね。わかります。でも、ちがいます。そんなんじゃないです。わたし齧歯類で、あっちにんげんですから。
 宿泊費、はんぶん払わなきゃって思ってたけれど、彼はなんか黒くてきらきらしたカード出してびしっと決済していたので、言い出せなかった。

 ホテルを出て、歩いて数分の場所にあったレンタカー店で車を借りる。手慣れた様子で手続きを進める副部長。
 わたしもいちおう免許はあるけど、人類の平穏のためにハンドルは握らせないほうがいい。副部長はその辺はご承知らしく、ぴかぴかの小型車の運転席に身を滑らせた。立っているわたしに、どうぞ、と左手で助手席を示す。おじゃまします、と小さく声を発しながら腰を下ろし、シートベルトを締めた。

 「あの、どこへ……」
 「親戚のところだ。もう忘れたのか」
 「大丈夫ですそのへんはリスよりちょっとだけ記憶容量おおいですからしっかり覚えてます。そうじゃなくて、地名とかです。これから地理的にどこへ向かうのかという質問です」
 「ああ」

 わたしの抗議を気に留めるそぶりもなく、副部長は気の抜けたような返事を返しながら手慣れた動作でエンジンを始動し、左右を確認してレンタカー店の敷地から発進した。ハンドルを片手で無造作に操作する様子になんとなく男性を感じる。

 「すぐそこだ。海の見えるあたりだな」

 ……海? ここ、大戸島の街からいちばん近い海岸まで、たしか車でも一時間ちかくかかるはずだ。すぐそこという感じではなかったはずだけど……とはいえこのあたりの地理に自信があるわけではなかったので、曖昧に頷いた。そのまま黙って窓の外の風景を目で追ってゆく。

 昨日の夜中、終電の終わった駅で感じたどこかさみしいような印象は、昼間の街道沿いの風景にはあまり感じなかった。郊外型の大型店もあったし、居心地のよさそうなレストランも何軒も見つけた。
 路地の奥に見える住宅に自然と目がゆく。どれもごく新しいモデルに見えた。知っているメーカーのものばかり。外壁パネルに黒やダークグレーが多いのもここ数年の流行だ。

 「……大戸島って、江戸時代の宿場町っていう印象でしたけど、なんだか国道沿いは新しい街っぽいですよね。住宅もみんなここ何年かのモデルみたいだし」

 肘置きに乗せた腕に顎を任せて、ぽやんと風景を見ながら呟く。
 返事がないので運転席のほうに振り向くと、副部長はわたしを横目に見て眉をあげていた。わずかに目が弓形になっている。

 「……佐倉。今日は有休だ。俺が隣にいてはそんな気にもならんのだろうが、わざわざ仕事の話題を振ろうと気を遣う必要はない」
 「い、いえ、そんなわけじゃ……なんとなく、普段から目で追っちゃうんです。やっぱり好きなんだろうと思います、住まいのことを考えるのが」
 「ふ……まあ、俺もひとのことは言えんがな。どこに行ってもいつのまにか、その土地の家の建て方、住まい方を見て取ろうとしてしまう。街を見て、歩くひとを見て、空や山を見て、どんな暮らし方を提案すれば喜んでもらえるかを考えてしまう」
 「あ、それ、わかります!」

 食いつき気味に運転席側に身を乗り出す。

 「わたしも家族連れとすれ違うたんびに思い浮かべてます。男の子ひとりだけど、ご家族増えることも考えて、二階には間仕切りのできる子ども部屋を。お父さんはアウトドア派に見えるから車庫は大きめ、道具をたくさん納めておける秘密の隠れ家にしてあげて。お母さんはきっと本好き、子ども部屋の隣に書斎をつくって、そして……」

 話しているうちに、このあいだショッピングモールで見かけたご家族が浮かんできたのだ。話しながら部屋をぽんぽんと組み合わせていく。家具を置く。太陽を置く。街を置く。まんなかに、ひとを置く。わたしのなかで、わたしが提案した家が、街が、世界が光に溢れる。ふふ、楽しい。
 ……あ。
 副部長を通り過ぎてどっか遠くにいってた目線を、運転中のそのひとの横顔に戻す。まっすぐ前を見ながら、副部長は口の端をちいさく持ち上げていた。わずかに喉が震えているように見えるのは、たぶん笑いを堪えてるんだろう。
 ぴゅんと助手席側に重心を戻し、ちいさくなる。

 「す、すみません、ひとりで喋っちゃって……」
 「いや、それが君のいいところだ。大事にしてほしいし、俺は大事にする」

 ひゅっと息を吸い、見開いた目をこっそりと副部長の横顔に向ける。何食わぬ顔で運転を続ける副部長。悟られないように肩を落とす。うん、知ってた。他意はない。そういうひとだよこのひとは。

 新進気鋭の外資ハウスメーカー、アルテミスホーム。それがわたしたちの会社の名前。
 英国が本社のアルテミスは、わずか十年と少し前に日本に上陸したばかりだけど、型にとらわれない発想と先進的なデザインでひといきに業界の中堅といえるところまで躍り出ていた。
 工藤副部長はその日本法人の設立の頃から在籍しているらしい。

 わたしは三年前、新卒でこの会社に入った。
 そうしてすぐに挫折して、拾ってくれたのが工藤副部長だったのだ。