終電で鬼上司の肩を枕にしてしまいました〜会社生活終了と思ったのに、終わったのは平凡で退屈な日常でした〜


 「……さ、む……」

 ぶるり、と肩を震わせて、息を吐く。
 白い帯が深夜の空、ホームからわずかに覗く都会の星空へ向かって登っていった。

 年末はいったん気温が戻ったんだけど、年明けからまたすんごい寒波がやってきていたのだ。雪こそ降ってないけれど、たぶん零下に近いと思う。
 わたしはぶるっと肩を震わせて、ホームの隅っこにあるベンチのうえで縮こまった。
 大きな駅だから、こんな遅い時間、終電を待っているような時刻でも改札のあたりにはなんかのお店が開いてる。お店に入らなくても、寒風を避けて待つ場所くらいいくらでもある。

 でも、わたしはここで待ちたかったのだ。
 あの夜、終電を待つわたしたちが、並んで座った待合のベンチ。

 プロジェクトにはその後、何社かがさらに名乗りを上げて、神原地所とアルテミスホームを筆頭にしたおおきな仕事になっていった。あの日のお披露目、プレゼンテーションがよかったからだよ、って言ってくれるひともいたけど、さすがにそれは言い過ぎと思う。
 でも、嬉しかった。ほっとした。
 仕事自体はもう、わたしたち企画部の手を離れた。それでもときどきはアドバイスを求められることがあったし、他の企業との打ち合わせに参加することもあった。

 今日は、その大事な節目。
 基本的な計画ができあがって、ここからいよいよ動き出す、っていう日だったのだ。
 わたしは参加しなかったけど、役員と副部長が会合に向かった。宴会のようなものだろうから、遅くなる。でもきっと、いつものように、副部長は終電きっかりで切り上げる。
 切り上げて、ここに来る。きっと。
 だから、待ってる。

 で、も。
 やっぱり……無理が、あったかなあ……。
 ちょっと指先が限界を迎えつつあった頃、階段をこつこつと登ってくる音がした。立ち上がって、紙袋をきゅっと胸に抱く。

 「……佐倉」

 立ち止まって口を薄く開き、呆れたように肩をすくめる副部長。
 走り寄って、ぽんと頭を下げる。

 「会合、お疲れさまでした……うわ、けっこう飲みましたね。お酒くさい」
 「業務だからな。飲む必要がある分量は、飲む」
 「……お酒くさいし、理屈くさい……」
 「君こそ、どうした。もうずいぶん前に退社したはずじゃなかったか」

 わたしは答えずに、すうと息を吸い、止めた。彼の裾に指を伸ばして、引く。戸惑うようについてくる彼をベンチのところまで誘導して先に座り、ぽんぽんとプラスチックの座面を叩いた。

 「……なんだ」
 「こたえ。わたしの、回答。持ってきました。今日にしようって決めてたから」
 「……あ、ああ……」

 副部長は顎に手を当て、眉をあげ、誤魔化すように顔を振る。
 あのあと。お互いに猛烈にばたばたしていて、年末年始もぜんぜん時間がとれなかった。だから、二人で会う機会は、なかったのだ。なかったのである。
 ……なんて。嘘。
 わずかな時間くらい、とれた。わたしも、彼も。
 でも、お互いに、言い出さなかった。言い出せなかった。
 だから、わたしは、今日にした。今日に決めたのだ。
 
 「……ああ。なんだ、その……すまな、かった。あの時は、その場の、空気が、な……」
 「座ってください。ここ。隣」
 「……はい」

 わたしの隣に、彼は大人しく腰を落とした。お酒が入るとなんだか可愛くなるなあ。
 ちょっと微笑を浮かべながら、がさごそと紙袋を開く。

 「……それは?」
 「はい、副部長の分」

 取り出したのは、菓子パン。
 お気に入りのお店で買っておいた、チョコたっぷりのやつ。
 紙に包まれたそれを手渡すと、素直に受け取って、くんくんと匂いを嗅いでいる。

 「……パン、だな」
 「パンです。答え、です。わたしの」
 「……ん?」
 「今日は、これ。明日も、なんか買ってきます。パン。明後日も、明明後日も」
 「……なにを、言って……」
 
 自分の分を手に取り、綺麗な焼け色に目を落としながら声を出す。

 「ずっと、ずうっと。隣で、パン、食べます。もう、ひとりでなんて、食べさせてあげない」

 少しの間をおいて、副部長は、あ、と、音の載った息を吐いた。
 吹雪で閉じ込められたモデルハウスで。中学生のあの日、ひとりで食べたパンのこと、わたしに話したって、覚えてたかな。そしてわたしが覚えてるはずがないって、思っただろうな。
 残念、でした。
 あの時に、もう、決めてたんだもん。

 「……はい! 食べさせてあげます。どうぞ」
 
 ふいに湧きあがってきた照れ臭さを隠すように、ぐい、とパンを差し出す。

 「おい、やめ……」
 「ふふ、いいから。恥ずかしがらないで。誰も見てませんから」
 「いや、そうではな……」

 ぽとり。
 微かな音に、わたしと彼の目が同時にそこに向けられる。
 差し出した時に、むにっと中身が出ちゃったんだろう。
 生地の端からこぼれたたっぷりのチョコは、綺麗に鎮座していたのである。
 湊さんの肩、節目の日にあわせて着てきたのであろう高級スーツの肩口から首元にかけて。
 
 「……あ……」

 ふたり同時に声を出した。目を合わせる。
 終電がホームに滑り込んできたのはちょうどそのときだった。


 <了>