ランチタイムは、もはや一種のスポーツだ。
最初の頃はヘトヘトになっていたけれど、何日かこなすうちに、少しずつコツが見えてきた。
注文を聞いて、レジへ向かうその一瞬。
自然と、最短距離の動きが頭に浮かぶようになる。
(あ、今のルートが一番早い)
そんなふうに、考えるより先に体が動く。
(どうやったら一番無駄なく動けるか)
それを考えるのが、けっこう好きだと気づいた。
まるで、ゲームのステージを攻略していくみたいな感覚。
気づけば、この忙しささえ、少し楽しくなっていた。
詩音くんは、夏の総体もベスト8で終わり、次は強化合宿が控えていた。
(……隠れ蓑の先輩も、引退しちゃったな)
春先輩のファンに紛れて、こっそり詩音くんを見に行く――
そんなことも、もうできなくなる。
少しだけ、不便で。
少しだけ、寂しい。
「これから詩音は合宿でしばらくいないから、さすがにバイトも回らなくてね」
店長のそんな一言で、夏休みの間だけ、新しくバイトを募集することになった。
そして――
夕方の時間帯に、一人の女の子が入ることになった。
詩音くんと同じ、一年生の女子高生。
そう思った瞬間、胸の奥がざわりとした。
今日はその子の初日。
詩音くんが、仕事を教えることになっている。
(詩音くんに教えてもらうなんて、いいな……)
胸の奥に、羨ましさがじわりと広がる。
そのすぐあとに、遅れてやってきたのは――
ほんの少しの、嫉妬。
(どうか、詩音くんのかっこよさに気づきませんように……)
胸の奥で、小さく願う。
チリン、チリーン……
来客を告げるドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませー」
笑顔で顔を上げると、扉を背に一人の女の子が立っていた。
「あの、今日からここでバイトなんですけど……」
その声は、いかにも“現役JK”といった、柔らかくて可愛らしい響き。
着ている制服は、この辺りで一番可愛いと言われている学校のものだ。
ふんわりと巻かれたツインテールが、やけに似合っていた。
(か、可愛い……)
私と一つしか違わないはずなのに、なんだかもう、
全部がぴちぴちで、きらきらして見える。
(……若いって、すごい)
出てきた感想は、ほとんどおじさんだった。
圧倒的な可愛さの前に、言葉を失っていると
「あっ、白田(しろた)さん。今日からよろしくね」
店長が声をかけた。
「はーい、お願いします」
さっきより少し砕けた返事。
声も明るくて、いかにも“今どきの子”という感じだ。
「こちらは去年から働いてもらってる風香ちゃん。白田さんの一つ上の学年だよ」
そう言って、店長が私を紹介する。
「三波風香です。よろしくね」
「あ、白田瑠奈(るな)です。バイト初めてなんで、いろいろ教えてください〜」
ぺこっと軽く頭を下げると、
ツインテールがふわっと揺れる。
(……やっぱり、可愛い)
きらきらしていて、ちょっと距離が近そうで。
同じ“女子高生”のはずなのに、どこか“違う世界の子”みたいに見えた。
「それじゃあ、着替えてきてくれるかな? 黒ズボンは持ってる?」
「あっ、すみません、忘れちゃいました。今日、部活が長引いちゃって……」
悪びれる様子はあるけれど、どこか軽やかで、深刻さはあまりない。
「そっか。それじゃあ今日はエプロンだけつけてきて。風香ちゃん、休憩室を教えてあげてくれるかな?」
「はい」
私は白田さんを休憩室へ案内する。
隣を歩くと、ふわっと甘い香りがした。
シャンプーなのか、香水なのかはわからないけど――
(……なんか、キラキラしてる)
一つ下のはずなのに、妙に大人っぽくて、
少しだけ距離を感じる。
「その汗だとフロアに出られないから、着替えておいで……って、今、白田さんが使ってるのか」
「大丈夫、タオル持ってる」
そう言うと、頭からタオルをかぶって、わしわしと拭き始めた。
「ふふっ」
(可愛い)
無造作に拭くその仕草が、いかにも“男の子”って感じで。
思わず、笑ってしまった。
詩音くんが、ちらりとこちらを見る。
――あ。
気づかれた。
次の瞬間、眼鏡を外すと、
顔を隠すようにタオルをぐっと押し当てた。
(……外した顔、ちゃんと見たかったのに)
「着替えました〜」
くすぐったい気持ちの中に、急に割り込んできた可愛い声に、はっとする。
「詩音、こちらが今日からバイトに入ってくれる白田さんだ。色々教えてあげて」
店長がそう紹介すると、詩音くんは顔に巻いていたタオルを外し、
「楢崎詩音です。よろしくお願いします」
と、軽く頭を下げた。
白田さんは、くりくりの目をさらに大きくして、じっと詩音くんを見つめている。
「あ、あの……るな。白田瑠奈です。詩音くん、よろしくお願いします」
――ガーンッ
(恐るべし、キラキラJK……)
(最初から“詩音くん”呼びですか?)
(しかも今、“るな”って言いましたよね? 自分の名前、しっかりアピールしましたよね?)
(ていうか、見すぎじゃないですか?)
(……って、え?)
(今、詩音くん、眼鏡……かけてなくない?)
(やだ、もう――最初からイケメンってバレてるじゃん!)
心の中で、盛大に悲鳴を上げた。
「着替えてくる」
ぼそっとそう言うと、詩音くんは休憩室へ向かっていった。
「風香ちゃん、時間だね。今日も助かったよ、ありがとう」
いつもなら嬉しいはずの店長の言葉が、
今日は少しだけ意地悪に聞こえる。
「えっ、でも……詩音くん、白田さんに教えながら接客って大変じゃないですか?
私、まだ疲れてないので、フォローに入れますよ?」
思い切って言ってみる。
でも――
「風香ちゃんに頼ってばかりだからね。詩音も、ここらでちょっと成長しないと」
やんわりと断られる。
(店長、違うんです……)
(気を遣ってくれてるのは、わかってるんですけど……)
(そうじゃなくて――)
(あの二人を、二人きりにさせたくないんです)
(どんな会話してるのか、気になるんですよ……!)
心の中で、思いきり叫んだ。
ワイシャツの袖をまくり、黒のロングエプロンをつけた詩音くんが現れた。
(よかった、眼鏡かけてる……)
ほっとした自分に、すぐに罪悪感が追いかけてくる。
――かっこよく、ならないでほしいなんて。
そんなこと、思っていいはずないのに。
重い足取りで、まるで死刑台に向かうみたいに、休憩室へ向かう。
「あーあ、教育係の詩音くん、見たかったなぁ」
扉が閉まるのと同時に、ぽつりと本音がこぼれた。
ガタン、と音を立てて椅子に座り、そのまま机に突っ伏す。
目を閉じると――
(二人で向かい合って笑ってる)
(白田さんがつまずいたところを、詩音くんが腕を掴んで支える)
(同時にコップに手を伸ばして、指先が触れる)
頭の中に浮かぶのは、そんな光景ばかり。
消そうとしても、消えてくれない。
「はぁー……」
大きなため息をこぼしながら、着替えを終えて店内に戻ると――
「キャハハ!」
一オクターブは高いんじゃないかという笑い声が、店内に響いていた。
少し早いディナーに来たお客さんに、さっそく「可愛い」と褒められているみたいだ。
「それじゃあ、瑠奈ちゃんは何の部活なの?」
(そっか……今日は制服だし、学校の話になるよね)
そう思いながら、気づかれないように後ろを通り過ぎようとした、そのとき。
「バスケ部です〜」
――え。
思わず、足が止まる。
「えっ、そうなの? じゃあ、うちの詩音と同じだ」
(て、て、店長……!)
「えっ? うちの詩音?
あれ? もしかして詩音くんって、マスターの息子くんなんですか?」
(ほらー! そうなりますよね!)
(しかも、同じ学年で、同じバスケ部って――)
(共通点、多すぎませんか……!)
「そうなんだよ。同じ学年で、バスケ部ってことで、よろしくね」
店長は、にこにこと嬉しそうに、
どんどん“いらない情報”を渡していく。
白田さんは詩音くんの方へ顔を向けると、
「詩音くんと共通点、たくさんあるね。仲良くなれそう。よろしくね〜」
キャピッとした声でそう言った。
コクン。
詩音くんは、小さく首を縦に振る。
――それだけ。
それだけなのに。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
「お疲れ様でした」
動揺を悟られないように、できるだけ平静を装って声を出す。
そのまま、振り返らずに店を出た。
外の空気はまだ重くて、まとわりつくように暑い。
それなのに――
胸の中だけが、ひどく冷えていた。
私の、大好きで、優しくて、安心できる居場所が、
少しずつ、取られていくような気がした。
最初の頃はヘトヘトになっていたけれど、何日かこなすうちに、少しずつコツが見えてきた。
注文を聞いて、レジへ向かうその一瞬。
自然と、最短距離の動きが頭に浮かぶようになる。
(あ、今のルートが一番早い)
そんなふうに、考えるより先に体が動く。
(どうやったら一番無駄なく動けるか)
それを考えるのが、けっこう好きだと気づいた。
まるで、ゲームのステージを攻略していくみたいな感覚。
気づけば、この忙しささえ、少し楽しくなっていた。
詩音くんは、夏の総体もベスト8で終わり、次は強化合宿が控えていた。
(……隠れ蓑の先輩も、引退しちゃったな)
春先輩のファンに紛れて、こっそり詩音くんを見に行く――
そんなことも、もうできなくなる。
少しだけ、不便で。
少しだけ、寂しい。
「これから詩音は合宿でしばらくいないから、さすがにバイトも回らなくてね」
店長のそんな一言で、夏休みの間だけ、新しくバイトを募集することになった。
そして――
夕方の時間帯に、一人の女の子が入ることになった。
詩音くんと同じ、一年生の女子高生。
そう思った瞬間、胸の奥がざわりとした。
今日はその子の初日。
詩音くんが、仕事を教えることになっている。
(詩音くんに教えてもらうなんて、いいな……)
胸の奥に、羨ましさがじわりと広がる。
そのすぐあとに、遅れてやってきたのは――
ほんの少しの、嫉妬。
(どうか、詩音くんのかっこよさに気づきませんように……)
胸の奥で、小さく願う。
チリン、チリーン……
来客を告げるドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませー」
笑顔で顔を上げると、扉を背に一人の女の子が立っていた。
「あの、今日からここでバイトなんですけど……」
その声は、いかにも“現役JK”といった、柔らかくて可愛らしい響き。
着ている制服は、この辺りで一番可愛いと言われている学校のものだ。
ふんわりと巻かれたツインテールが、やけに似合っていた。
(か、可愛い……)
私と一つしか違わないはずなのに、なんだかもう、
全部がぴちぴちで、きらきらして見える。
(……若いって、すごい)
出てきた感想は、ほとんどおじさんだった。
圧倒的な可愛さの前に、言葉を失っていると
「あっ、白田(しろた)さん。今日からよろしくね」
店長が声をかけた。
「はーい、お願いします」
さっきより少し砕けた返事。
声も明るくて、いかにも“今どきの子”という感じだ。
「こちらは去年から働いてもらってる風香ちゃん。白田さんの一つ上の学年だよ」
そう言って、店長が私を紹介する。
「三波風香です。よろしくね」
「あ、白田瑠奈(るな)です。バイト初めてなんで、いろいろ教えてください〜」
ぺこっと軽く頭を下げると、
ツインテールがふわっと揺れる。
(……やっぱり、可愛い)
きらきらしていて、ちょっと距離が近そうで。
同じ“女子高生”のはずなのに、どこか“違う世界の子”みたいに見えた。
「それじゃあ、着替えてきてくれるかな? 黒ズボンは持ってる?」
「あっ、すみません、忘れちゃいました。今日、部活が長引いちゃって……」
悪びれる様子はあるけれど、どこか軽やかで、深刻さはあまりない。
「そっか。それじゃあ今日はエプロンだけつけてきて。風香ちゃん、休憩室を教えてあげてくれるかな?」
「はい」
私は白田さんを休憩室へ案内する。
隣を歩くと、ふわっと甘い香りがした。
シャンプーなのか、香水なのかはわからないけど――
(……なんか、キラキラしてる)
一つ下のはずなのに、妙に大人っぽくて、
少しだけ距離を感じる。
「その汗だとフロアに出られないから、着替えておいで……って、今、白田さんが使ってるのか」
「大丈夫、タオル持ってる」
そう言うと、頭からタオルをかぶって、わしわしと拭き始めた。
「ふふっ」
(可愛い)
無造作に拭くその仕草が、いかにも“男の子”って感じで。
思わず、笑ってしまった。
詩音くんが、ちらりとこちらを見る。
――あ。
気づかれた。
次の瞬間、眼鏡を外すと、
顔を隠すようにタオルをぐっと押し当てた。
(……外した顔、ちゃんと見たかったのに)
「着替えました〜」
くすぐったい気持ちの中に、急に割り込んできた可愛い声に、はっとする。
「詩音、こちらが今日からバイトに入ってくれる白田さんだ。色々教えてあげて」
店長がそう紹介すると、詩音くんは顔に巻いていたタオルを外し、
「楢崎詩音です。よろしくお願いします」
と、軽く頭を下げた。
白田さんは、くりくりの目をさらに大きくして、じっと詩音くんを見つめている。
「あ、あの……るな。白田瑠奈です。詩音くん、よろしくお願いします」
――ガーンッ
(恐るべし、キラキラJK……)
(最初から“詩音くん”呼びですか?)
(しかも今、“るな”って言いましたよね? 自分の名前、しっかりアピールしましたよね?)
(ていうか、見すぎじゃないですか?)
(……って、え?)
(今、詩音くん、眼鏡……かけてなくない?)
(やだ、もう――最初からイケメンってバレてるじゃん!)
心の中で、盛大に悲鳴を上げた。
「着替えてくる」
ぼそっとそう言うと、詩音くんは休憩室へ向かっていった。
「風香ちゃん、時間だね。今日も助かったよ、ありがとう」
いつもなら嬉しいはずの店長の言葉が、
今日は少しだけ意地悪に聞こえる。
「えっ、でも……詩音くん、白田さんに教えながら接客って大変じゃないですか?
私、まだ疲れてないので、フォローに入れますよ?」
思い切って言ってみる。
でも――
「風香ちゃんに頼ってばかりだからね。詩音も、ここらでちょっと成長しないと」
やんわりと断られる。
(店長、違うんです……)
(気を遣ってくれてるのは、わかってるんですけど……)
(そうじゃなくて――)
(あの二人を、二人きりにさせたくないんです)
(どんな会話してるのか、気になるんですよ……!)
心の中で、思いきり叫んだ。
ワイシャツの袖をまくり、黒のロングエプロンをつけた詩音くんが現れた。
(よかった、眼鏡かけてる……)
ほっとした自分に、すぐに罪悪感が追いかけてくる。
――かっこよく、ならないでほしいなんて。
そんなこと、思っていいはずないのに。
重い足取りで、まるで死刑台に向かうみたいに、休憩室へ向かう。
「あーあ、教育係の詩音くん、見たかったなぁ」
扉が閉まるのと同時に、ぽつりと本音がこぼれた。
ガタン、と音を立てて椅子に座り、そのまま机に突っ伏す。
目を閉じると――
(二人で向かい合って笑ってる)
(白田さんがつまずいたところを、詩音くんが腕を掴んで支える)
(同時にコップに手を伸ばして、指先が触れる)
頭の中に浮かぶのは、そんな光景ばかり。
消そうとしても、消えてくれない。
「はぁー……」
大きなため息をこぼしながら、着替えを終えて店内に戻ると――
「キャハハ!」
一オクターブは高いんじゃないかという笑い声が、店内に響いていた。
少し早いディナーに来たお客さんに、さっそく「可愛い」と褒められているみたいだ。
「それじゃあ、瑠奈ちゃんは何の部活なの?」
(そっか……今日は制服だし、学校の話になるよね)
そう思いながら、気づかれないように後ろを通り過ぎようとした、そのとき。
「バスケ部です〜」
――え。
思わず、足が止まる。
「えっ、そうなの? じゃあ、うちの詩音と同じだ」
(て、て、店長……!)
「えっ? うちの詩音?
あれ? もしかして詩音くんって、マスターの息子くんなんですか?」
(ほらー! そうなりますよね!)
(しかも、同じ学年で、同じバスケ部って――)
(共通点、多すぎませんか……!)
「そうなんだよ。同じ学年で、バスケ部ってことで、よろしくね」
店長は、にこにこと嬉しそうに、
どんどん“いらない情報”を渡していく。
白田さんは詩音くんの方へ顔を向けると、
「詩音くんと共通点、たくさんあるね。仲良くなれそう。よろしくね〜」
キャピッとした声でそう言った。
コクン。
詩音くんは、小さく首を縦に振る。
――それだけ。
それだけなのに。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
「お疲れ様でした」
動揺を悟られないように、できるだけ平静を装って声を出す。
そのまま、振り返らずに店を出た。
外の空気はまだ重くて、まとわりつくように暑い。
それなのに――
胸の中だけが、ひどく冷えていた。
私の、大好きで、優しくて、安心できる居場所が、
少しずつ、取られていくような気がした。


