「そういえば私、おばあちゃんのおはぎの話、まだちゃんと聞いてないんですけど」
鈴がそう言ったのは、秋の彼岸が近付いてきた頃だった。
「……ああ、ちゃんと話してなかったか」
昼営業が終わり、夜営業の準備をしていた時。
料理の下拵えをしながら、柊が気の抜けた声を出す。
「そうですよー! 前に、この店のおはぎは琥太郎さんのおばあちゃんのおはぎだって言ってたじゃないですか」
鈴が頬を膨らませる。
「あの時、すぐ絵茉さんの話になって、聞きそびれたままなんです」
「俺な」
柊が、ふっと笑みをこぼす。
「ばあちゃんの作ってくるおはぎ、本当に好きだったんだ」
懐かしそうな目。
「いつも楽しみにしてた」
そして。
「……今の俺の原点、みたいなもんかな」
そう言って、ちらりと時計を見る。
「今日、夜に琥太郎来るから。直接聞いてみな」
——
「おはぎの話?」
「そう! 柊ちゃん濁して、ちゃんと教えてくれないんです」
「照れてるんだと思うよ」
琥太郎が、ふっと笑う。
「照れてる?」
「あいつ、ほんとばあちゃんに懐いてたからな」
———
あの頃の柊は、同い年の中でもどこか大人びていた。
施設の子供たちの面倒を見て、年下には優しくて。
でも、ばあちゃんの話になると、途端に顔をゆるめた。
ばあちゃんが来ない日が二、三日続くだけで、
「ばあちゃん、今度いつ来る?」
と、よく俺に聞いてきた。
帰ろうとするばあちゃんを引き止めるみたいに、
「おはぎってどうやって作るの?」
と、興味津々に聞いていたこともある。
柊は、昔から甘いものが大好きだった。
ばあちゃんも、柊がたくさん食べてくれるのが嬉しくて、いつも重箱いっぱいにおはぎ作ってきてさ。
俺なんか、そんなに食わねぇのに。
柊はいつも、「うまい!」って全部食べてた。
ばあちゃんも、嬉しそうだった。
俺が施設に入ったばかりの頃は、ばあちゃんは毎日のように来ていた。
そのうち、体力のこともあったんだろう。
誰かの誕生日や、イベントの日だけになって。
そして、その頻度も少しずつ減っていった。
俺が中二の冬だった。
ばあちゃんが死んだ。
葬式の日。
俺以上に柊と祐介が泣いていた。
柊なんかもう号泣で。
でも。
あいつらがあんまり泣くから、逆に俺は笑えたんだ。
笑って、「ありがとう」って。
ちゃんと見送ってやれた。
俺のばあちゃんなのに。
いつの間にか、みんなのばあちゃんになってたんだ。
——
話を聞き終えた頃には、鈴はぽろぽろ涙をこぼしていた。
「最初、なんでカフェにおはぎ?って思ってたけど……」
涙を拭いながら笑う。
「琥太郎さんのおばあちゃんの思い出だったんですね」
「ああ。俺も最初笑った」
琥太郎が肩を竦める。
「カフェにおはぎとか、絶対合わねぇだろって」
ふふっ、と鈴が吹き出した。
柊は、少し照れたように黙って皿を拭いている。
「鈴ちゃんはさ」
琥太郎が、コーヒーカップを揺らしながら言う。
「柊のこと、好きなのかなって思ってた」
その瞬間。
柊が飲んでいた水を吹き出した。
鈴はきょとんとして。
それから、けらけら笑った。
「好きですよ!」
即答。
「柊ちゃん、ズボラで情けない店長ですけど、優しいし」
「……ズボラで悪かったな」
柊がぼそっと返す。
「美月先生のことも好き」
「ヤブ医者のことも好きだし」
「琥太郎さんのことも好きです」
琥太郎が少し目を丸くする。
鈴は照れもせず続けた。
「なんか、いいなーって思うんですよね」
「みんな、信頼し合ってる感じがして」
そして。
「……羨ましいなって」
最後だけ、少し声が小さくなる。
琥太郎は静かに鈴を見た。
「鈴ちゃんには、そういう奴いないの?」
「んー……いないこともないですけど」
「彼氏とか?」
「嫌!」
鈴が全力で顔をしかめる。
「あいつは——」
その時。
カランカラン
ドアベルが鳴った。
「鈴!」
後ろから声が飛ぶ。
振り返ると、制服姿の男子が立っていた。
「げ、颯汰」
「お前、家帰りたくねぇなら俺んち来いって言っただろ」
「やだよ。颯汰んち、私んちの隣じゃん。すぐバレるし」
「だからって、こんなおっさん——」
「おっさん?」
琥太郎がぴくっと反応する。
柊が思わず吹き出した。
鈴はうざそうに男の子を指差す。
「あ、こいつ幼馴染の颯汰です」
琥太郎は颯汰を見て、なんとなく察する。
(……ああ。この子か)
「こいつ、昔からよく家出してて」
颯汰が、柊の出した水を一気に飲み干す。
「俺んちで、しょっちゅう晩飯食ってたんすよ」
「でも高校入ってバイト始めてから、全然来なくなって」
「母さんも心配してたぞ」
鈴は少し視線を逸らした。
「……都ちゃんは好きだよ」
小さな声。
「でも、颯汰んち近すぎて落ち着かないんだもん」
「家の電気つくと、ビクってするし」
「たまに、お母さんとあの人が喧嘩してる声とか聞こえるし」
空気が静かになる。
琥太郎は何も言わない。
柊も、ただ静かに聞いていた。
颯汰が気まずそうに咳払いする。
「……都ちゃんっての、俺の母親です」
「ああ、そうなんだ」
鈴が慌てて付け足した。
「心配させたのはごめん!」
「あと、この人は琥太郎さん」
「おっさんだけど、私がお世話になってるのはこっち。柊ちゃん」
柊が、颯汰へ軽く頭を下げる。
(おっさんは否定しないんだな……)
琥太郎は心の中だけで突っ込んだ。
「だからって、お前——」
——大きな声。
身体が強張る。
電気がつくだけで、心臓が跳ねる。
その感覚を。
琥太郎は知っていた。
「……颯汰くん、だったかな」
「……はい」
警戒したまま、颯汰が返事をする。
琥太郎は苦笑した。
「この人、ここの店長ね。俺の友達」
「変なやつじゃないよ」
そして、少し笑う。
「ちゃんと彼女いるし」
柊が、ここぞとばかりに指輪を見せた。
「……はぁ」
颯汰の反応は微妙だった。
「それと」
琥太郎が少しだけ真面目な声になる。
「今は、無理に連れて帰ろうとしないであげてほしいんだ」
「っ、でも!」
「大丈夫」
穏やかな声。
「心配なら、君も毎日ここ来ればいい」
「ちょ、琥太郎さん!」
鈴が焦った声を上げる。
琥太郎は肩を竦めた。
「あと俺、おっさんじゃないから」
「まだ二十七」
「…………」
「…………」
微妙な沈黙。
「あと、一応俺と柊、同い年だから」
「嘘! 見えない!」
「鈴ちゃん?」
——
それから颯汰は、本当に毎日のように店へ来るようになった。
「あんた暇なの?」
鈴が呆れ顔で言う。
「うるせぇ」
「お前もうここでバイトすれば?」
カウンター席でコーヒーを飲みながら、祐介が適当に言った。
「いいんすか、柊さん!」
「俺は助かるけど……」
柊が、ちらりと鈴を見る。
「絶対嫌!」
鈴が即答した。
「ここは私の居場所なの! 入ってこないで!」
その瞬間。
颯汰の目が、傷付いたように揺れる。
「鈴、そんな言い方ないだろ」
柊が嗜める。
でも鈴は頬を膨らませると、バン!とお盆をカウンターへ置き、そのまま店の奥へ引っ込んでしまった。
「ごめんね、颯汰くん」
申し訳なさそうに言う柊に、颯汰は首を振る。
「……いえ。今日は帰ります」
——
「鈴。あんな言い方ないだろ」
休憩室。
柊が、机に突っ伏す鈴の頭を軽くこづく。
「……だって」
鈴は顔を伏せたまま呟く。
「颯汰は現実側なんだもん」
「柊ちゃんがいて。美月ちゃんがいて。琥太郎さんとヤブ医者がいて」
小さな声。
「私の好きなものの中に。
私の居場所に……入ってきてほしくない」
「……」
柊は、優しく鈴の頭を撫でた。
そして、何も言わず部屋を出る。
「……鈴は?」
店へ戻ると、祐介が奥を気にするように視線を向けた。
「拗ねてる」
「……居場所、取られる気がしたんだろ」
祐介がぽつりと呟く。
「……なんとなく、わかるよな」
「……お前」
祐介の声が少し低くなる。
「鈴に、あのことまだ話してねぇのか?」
柊の瞳が、わずかに揺れた。
「……あぁ。」
少しだけ沈黙が落ちる。
そして柊は、小さく息を吐いた。
「今日の夜、ちゃんと話すよ」
