あの日の君へ

私たちは、海と山に囲まれた小さな田舎町で育った。

娯楽なんてほとんどない町だったけれど、あの頃の私たちには、それで充分だった。

私と慶ちゃんが出会ったのは、幼稚園の頃。

慶ちゃんのお母さん、梓さんは町で一番大きな病院の看護師をしていて、シングルマザーとして慶ちゃんを育てていた。

昔、この町で映画のロケがあったことがある。

舞台になったのは、梓さんの働く病院だった。

その時、梓さんは慶ちゃんのお父さん——青嶋丈一郎と出会った。

当時の私は、そんな大人たちの事情なんて何も知らなかった。


「ねぇ、一緒に遊ぼう?」


病院の近くの小さな公園。

砂場で一人遊んでいた男の子に、私は声をかけた。

「お母さん待ってるの」

そう言って、慶ちゃんは黙々と砂の山を作っていた。

入院していたおばあちゃんのお見舞いに来ていた私は、暇を持て余していた。

それが、慶ちゃんとの最初の出会いだった。


それから私たちは、いつも一緒だった。

小学生の頃は、毎日みたいに遊んだ。

近所の公園。

山の中に作った秘密基地。

夏祭りでは一緒に金魚すくいをした。


慶ちゃんは昔から目立つ男の子だった。

足も速いし、顔も良いし、バレンタインには毎年女子が騒いでいた。

でも本人はそんなこと全然気にしてなくて、いつも私の隣でくだらないことで笑っていた。


中学生になると、少しずつ周りの空気が変わった。

「鈴原と成瀬って付き合ってんの?」

そんなふうに言われるようになって、一緒に帰るだけでも少し恥ずかしくなった。

それでも結局、毎日一緒に帰った。

慶ちゃんの自転車の後ろに乗って、いろんな場所へ行った。

夕焼けの田んぼ道。

夏の川。

風の匂い。

ただ一緒にいるだけで、楽しかった。


初めて「好き」と言い合った日。

嬉しいのに恥ずかしくて、二人してずっと笑っていた。


中学校の修学旅行。

実行委員になった私は、修学旅行のしおりを作った。

行き先、集合時間、地図、注意事項。

みんなが見やすいように、分かりやすいように、何度も作り直した。

「すげー!めっちゃ見やすい!」

完成したしおりを見て、慶ちゃんは誰より嬉しそうに笑っていた。

その笑顔を見るのが好きだった。


——修学旅行二日目。

原宿自由行動の日の夜。 


「なぁ、聞いた!?」

お風呂上がりの男子たちが、やたら騒がしい。

「原宿で成瀬、スカウトされたらしい!」

「え!?すご!」

女子たちまで一気に盛り上がる。

「芸能事務所!?」

「やばくない!?」

「俺今のうちにサイン貰っておこうかな!」


騒がしい声が飛び交う中、私は少し離れた場所から慶ちゃんを見た。

慶ちゃんは困ったように笑っていた。

「いや、なんか名刺渡されただけだし」

「いやいや絶対すごいって!」

「東京行ったら芸能人じゃん!」

みんながはしゃぐ。


私は——どんな顔をしていたんだっけ。

嬉しかった?

誇らしかった?

それとも。


あの日から、少しずつ何かが変わり始めていたのかもしれない。


「……東京の高校、行くことになった」

「事務所の人が、学費も寮費も全部出すからって。レッスン費用も。」

将来の進路でみんながそわそわしだした頃。

2人で帰っていた時。

そう言った慶ちゃんの視線は揺れていた。

胸の奥が、少しだけ冷たくなる。

なのに私は笑って、

「……すごいじゃん」

としか言えなかった。


中学校の卒業式の日。

クラス会を抜け出して、2人でカラオケに行った。

東京の高校も、住む場所も、もう決まっていた。

慶ちゃんと地元で過ごす、最後の時間だった。

「安田の歌、ズレてたのわかった?」

「うん。女子のパート歌ってたよね」

「沢田先生泣いてたな」

「あれ、もらい泣きしそうになったね」

いつものようなたわいもない話題。

クラスメイトの話。

先生の話。

「……東京行っても、毎日電話する」

「うん」

「ちょくちょく帰ってくる」

「……うん」



あの日、慶ちゃんが歌っていた歌は、今でも街で流れると足を止めてしまう。