あれから、数ヶ月が経った。
季節は少しだけ変わり、会わないまま、時間だけが過ぎていった。
そんなある日だった。
『結衣ちゃん!!』
スマホの向こうから、弾んだ声が聞こえる。
「梓さん?」
『慶がね、東京に遊びに来たらって、新幹線のチケット送ってくれたの!』
嬉しそうな声。
結衣は思わず小さく笑った。
「よかったですね」
『びっくりしちゃった。あの子、忙しいと全然連絡くれないから』
ふふ、と梓が笑う。
『もしかして結衣ちゃん、何か言ってくれた?』
結衣の呼吸が一瞬止まる。
「……いえ。私は何も」
『そう?』
どこか優しい声だった。
『結衣ちゃんにも会いたいけど、仕事忙しい?』
「……少し」
『そっかぁ』
残念そうにしながらも、梓はすぐ明るい声に戻る。
『またこっち帰ってきたら、ご飯でも行きましょう!』
「……はい」
電話を切ったあと。
結衣はしばらく、スマホを見つめたまま動けなかった。
再び梓から連絡が来たのは、その翌日だった。
『慶がね、その日忙しいらしくて』
電話越しに、梓が少し困ったように笑う。
『せっかく東京行くのに、夜まで全然時間取れないんだって』
「そうなんですね」
『だからね、もし時間あったら、昼間結衣ちゃん少し付き合ってくれない?』
結衣が黙る。
『もちろん無理ならいいのよ? 』
梓が慌てたように続ける。
『でも私、東京よく分からないし……結衣ちゃんと会えたら嬉しいなって』
その声が、あまりにも嬉しそうで。
結衣は、ゆっくり目を閉じた。
——大丈夫。
慶ちゃんに会うわけじゃない。
梓さんと少し会って、帰ればいい。
「……はい」
小さく返事をした。
————
当日。
待ち合わせの東京駅。
人混みの向こうで、梓が嬉しそうに手を振った。
「こんにちは」
「会いたかったぁ!」
ぎゅっと腕を取られ、結衣は思わず笑ってしまう。
昼間の東京は、どこか穏やかだった。
カフェに入って。
雑貨屋を見て。
景色のいい場所で写真を撮って。
梓は子供みたいにはしゃいでいた。
「やっぱり東京ってすごいわねぇ」
「ふふ」
その笑顔を見ていると、結衣の胸も少しだけ軽くなる。
——来てよかったかもしれない。
そう思った。
気づけば、空はすっかり夜になっていた。
「じゃあ、私そろそろ帰りますね」
バッグを持ち、結衣が立ち上がる。
その時だった。
「あ、慶が迎え来るって」
結衣の動きが止まる。
「……え?」
「近くまで来てるらしいの」
胸が、嫌なくらい鳴る。
「わ、私は電車で——」
言い終わる前に、店の外で車が止まる音がした。
そして。
聞き慣れた声。
「……母さん」
結衣の呼吸が止まる。
振り返った先。
そこには、数ヶ月ぶりの慶が立っていた。
「久しぶり」
静かな声。
結衣は、うまく言葉が出なかった。
「……うん」
それだけ返すのが、精一杯だった。
梓はそんな二人に気づかないまま、楽しそうに笑った。
「じゃ、帰りましょ!」
————
車の後部座席では、梓が静かな寝息を立てていた。
「……梓さん、寝ちゃったね」
結衣が小さく笑う。
「疲れたんだろ。歳なのにはしゃぐから」
「ふふ」
窓の外を、夜景が流れていく。
しばらく沈黙が続く。
その静けさが、不思議と嫌じゃなかった。
「……嬉しそうだったね」
結衣がぽつりと言う。
慶は少しだけ目を細めた。
「……ありがとな、結衣」
その声があまりにも優しくて、結衣の胸が少し痛くなる。
やがて、駅近くのパーキングに車が入る。
エンジンが止まる。
静寂。
誰も、すぐには口を開かなかった。
何かを言ってしまえば、終われなくなる気がした。
慶が、ゆっくり手を差し出す。
結衣の呼吸が小さく止まる。
「……これで最後」
慶が、寂しそうに笑った。
その手を、結衣はそっと握る。
温かい。
昔と変わらない、大きな手。
しばらく、無言のまま手を繋いでいた。
離したくない。
でも。
今度こそ、ちゃんと終わりにしなきゃいけない。
二人とも、それを分かっていた。
やがて、どちらからともなく、ゆっくりと手を離す。
「……元気でな」
掠れた声。
結衣は、込み上げるものを必死に押し込みながら、小さく笑った。
「……慶ちゃんも」
ドアを開け、車を降りる。
振り返らない。
振り返ったら、きっと終われない。
そのまま駅へ向かって歩き出す。
慶は、結衣の姿が見えなくなるまで、ただ黙って見送っていた。
そして。
完全に姿が見えなくなった瞬間。
慶はハンドルに額を押し付けるようにして、深く息を吐く。
静かな車内。
後部座席からは、梓の寝息だけが聞こえていた。


