それは、視界の全てが白で染まるほど、雪が振り積もった冬の日だった。
私は一人で森に入ったは良いものの、激しい雪によってすっかり姿を変えた山は、いつも知っている場所とはまるで違う、不気味なほど見知らぬ土地へと変貌していた。
「……どこだろう、ここ……」
雪をザクザクと踏みしめて歩けば歩くほど、感覚のなくなった裸足の足に鋭い痛みが走り、やがてそれさえも冷たさで麻痺していく。
振り返っても、自分が歩いてきたはずの踏み跡は容赦なく雪に埋もれ、最初から誰もいなかったかのように消されていく。
底知れない恐怖が押し寄せ、私は必死の思いで周囲を見回した。運良く見つけた小さな洞窟の影に、滑り込むようにして身を隠す。ガタガタと震えながら膝を抱えていると、暗がりの奥から、鈴を転がすような優しい声が響いた。
「あら、どうしたの?そんなところで」
雪のように白い髪は、洞窟の薄い光を受けて淡く発光しているように見える。肌もまた驚くほど白く、外の世界の寒さとは別の次元にいるみたいだった。
「……ご両親は?」
女性は私の前にそっと屈み、目線を合わせて尋ねてきた。私は寒さと恐怖で声が出ず、ただフルフルと小さく首を振ることしかできない。
女性はその私の頼りない動きを見つめ、痛むようにわずかに目を伏せた。
「そう……」
彼女の名前は『葛ノ葉』と言うらしかった。普段は京の都で、家族三人で暮らしているのだという。
葛ノ葉さんに凍える手を取られ、導かれるようにして山を下りると、真っ先に案内されたのは彼女の自宅だった。立派な庵の戸を開けた瞬間、中から溢れる薪の爆ぜる音と暖かな空気に、私の身体の緊張が少しだけ解ける。
「母上……!」
パタパタと駆け寄ってきたのは、同い年くらいの小さな男の子だった。まだ少年とも言えない年頃で、息を切らしながら葛葉の前に立つ。
「母上、今日は雪が激しいからあれほど山は危険だって注意したのに……!」
「ごめんねぇ、童子丸」
軽くいなすような緊張感のない声だったが、その響きには、我が子への溢れんばかりの確かな優しさが含まれていた。
童子丸と呼ばれた少年は、そこでようやく、葛ノ葉さんの背後に隠れるようにしていた私の存在に気づいた。
「母上、この子は?」
「山で迷っていたの」
その言葉に、童子丸くんの視線が一気に私へ向いた。
ついさっきまで葛葉さんに向けていた強い口調とは違い、今度は戸惑いと驚きが入り混じった目だった。
「大丈夫?」
「え?」
「おいでよ、早く温めないと痛くなるよ」
きゅっと私の手首を掴むと、童子丸くんは私を引きずるような勢いで部屋の奥へと連れて行った。
小さな身体に似合わず、彼はあっという間にテキパキと動き回り、大きな桶に湯気を立てるお湯を張ってくれた。
言われるがままにそこへ足を突っ込まされる。
「ね、名前なんて言うの?」
「桃花」
「へぇ、良い名前だね」
童子丸くんに名前を褒められていると、厨の方から葛ノ葉さんが握り飯を持って来た。
「お腹空いたでしょ〜。ほら、食べて食べて」
満面の笑みで机に置かれたのは、器からこぼれ落ちんばかりに、文字通り山のように盛られた握り飯だった。
「母上……」
童子丸くんの声は、半ば呆れたようでいて、どこか慣れた響きでもあった。
葛葉さんは、まるでその反応すら楽しんでいるように、軽く手を振る。
「あ、童子丸も食べる?」
「うん」
そんな風に和やかに過ごしていると、突然、バタバタと勢い良く表の戸が開いた。何事かと身を固くすると、そこへ現れたのは、立派な狩衣を身にまとった男性だった。しかしその姿はボロボロで、ヘロヘロと力なく足を引きずっている。
「あら、お父さん!どうしたの、そんな汚れて」
葛ノ葉さんが驚いて声をかけると、男性は情けない声を上げた。
「野良猫に餌あげてたら引っ掻かれてしまったよー……」
その人は縁側へ倒れ込むようにして座り込んだ。どうやら見た目に反して、かなりお茶目で抜けたところがある人のようだ。
すかさず、童子丸くんの鋭いツッコミが飛ぶ。
「父上、部屋には入って来ないでね」
「童子丸〜、冷たい〜」
「せめて泥を払ってから」
童子丸くんの容赦なくも冷静な一言に、大人の男性であるはずのお父さんは、しょんぼりと分かりやすく肩を落とした。その様子がなんだかおかしくて、私の緊張は完全に消え去っていた。
「ほらほら、お父さんも。そんなところでいじけてないで、早く着替えておいで。握り飯がなくなっちゃうわよ」
葛ノ葉さんがクスリと笑いながら、声を掛けると、男性は「葛ノ葉の握り飯……!」と目を輝かせ、子供のように大急ぎで裏手へ泥を洗い流しに向かった。
しばらくして、すっかり綺麗に着替えたお父さんが戻ってきた。葛ノ葉さんの隣に座り、優しく目を細めて語りかけてくる。
「帰る場所がないなら、ここに住むかい?」
「え……でも」
「まぁ、良いじゃない!童子丸も同年代のお友達ができて良かったわね」
「うん」
葛ノ葉さんが嬉しそうに手を合わせ、童子丸くんも少し照れくさそうに「うん」と頷く。
(あれ? 私、知らない間に両親と温かい家が決まりそう……?)
状況の急展開に頭が追いつかず、私は握り飯を持ったまま、ぱちぱちと瞬きを繰り返すことしかできなかった。
こうして、私は安倍家の養子になった。
私は一人で森に入ったは良いものの、激しい雪によってすっかり姿を変えた山は、いつも知っている場所とはまるで違う、不気味なほど見知らぬ土地へと変貌していた。
「……どこだろう、ここ……」
雪をザクザクと踏みしめて歩けば歩くほど、感覚のなくなった裸足の足に鋭い痛みが走り、やがてそれさえも冷たさで麻痺していく。
振り返っても、自分が歩いてきたはずの踏み跡は容赦なく雪に埋もれ、最初から誰もいなかったかのように消されていく。
底知れない恐怖が押し寄せ、私は必死の思いで周囲を見回した。運良く見つけた小さな洞窟の影に、滑り込むようにして身を隠す。ガタガタと震えながら膝を抱えていると、暗がりの奥から、鈴を転がすような優しい声が響いた。
「あら、どうしたの?そんなところで」
雪のように白い髪は、洞窟の薄い光を受けて淡く発光しているように見える。肌もまた驚くほど白く、外の世界の寒さとは別の次元にいるみたいだった。
「……ご両親は?」
女性は私の前にそっと屈み、目線を合わせて尋ねてきた。私は寒さと恐怖で声が出ず、ただフルフルと小さく首を振ることしかできない。
女性はその私の頼りない動きを見つめ、痛むようにわずかに目を伏せた。
「そう……」
彼女の名前は『葛ノ葉』と言うらしかった。普段は京の都で、家族三人で暮らしているのだという。
葛ノ葉さんに凍える手を取られ、導かれるようにして山を下りると、真っ先に案内されたのは彼女の自宅だった。立派な庵の戸を開けた瞬間、中から溢れる薪の爆ぜる音と暖かな空気に、私の身体の緊張が少しだけ解ける。
「母上……!」
パタパタと駆け寄ってきたのは、同い年くらいの小さな男の子だった。まだ少年とも言えない年頃で、息を切らしながら葛葉の前に立つ。
「母上、今日は雪が激しいからあれほど山は危険だって注意したのに……!」
「ごめんねぇ、童子丸」
軽くいなすような緊張感のない声だったが、その響きには、我が子への溢れんばかりの確かな優しさが含まれていた。
童子丸と呼ばれた少年は、そこでようやく、葛ノ葉さんの背後に隠れるようにしていた私の存在に気づいた。
「母上、この子は?」
「山で迷っていたの」
その言葉に、童子丸くんの視線が一気に私へ向いた。
ついさっきまで葛葉さんに向けていた強い口調とは違い、今度は戸惑いと驚きが入り混じった目だった。
「大丈夫?」
「え?」
「おいでよ、早く温めないと痛くなるよ」
きゅっと私の手首を掴むと、童子丸くんは私を引きずるような勢いで部屋の奥へと連れて行った。
小さな身体に似合わず、彼はあっという間にテキパキと動き回り、大きな桶に湯気を立てるお湯を張ってくれた。
言われるがままにそこへ足を突っ込まされる。
「ね、名前なんて言うの?」
「桃花」
「へぇ、良い名前だね」
童子丸くんに名前を褒められていると、厨の方から葛ノ葉さんが握り飯を持って来た。
「お腹空いたでしょ〜。ほら、食べて食べて」
満面の笑みで机に置かれたのは、器からこぼれ落ちんばかりに、文字通り山のように盛られた握り飯だった。
「母上……」
童子丸くんの声は、半ば呆れたようでいて、どこか慣れた響きでもあった。
葛葉さんは、まるでその反応すら楽しんでいるように、軽く手を振る。
「あ、童子丸も食べる?」
「うん」
そんな風に和やかに過ごしていると、突然、バタバタと勢い良く表の戸が開いた。何事かと身を固くすると、そこへ現れたのは、立派な狩衣を身にまとった男性だった。しかしその姿はボロボロで、ヘロヘロと力なく足を引きずっている。
「あら、お父さん!どうしたの、そんな汚れて」
葛ノ葉さんが驚いて声をかけると、男性は情けない声を上げた。
「野良猫に餌あげてたら引っ掻かれてしまったよー……」
その人は縁側へ倒れ込むようにして座り込んだ。どうやら見た目に反して、かなりお茶目で抜けたところがある人のようだ。
すかさず、童子丸くんの鋭いツッコミが飛ぶ。
「父上、部屋には入って来ないでね」
「童子丸〜、冷たい〜」
「せめて泥を払ってから」
童子丸くんの容赦なくも冷静な一言に、大人の男性であるはずのお父さんは、しょんぼりと分かりやすく肩を落とした。その様子がなんだかおかしくて、私の緊張は完全に消え去っていた。
「ほらほら、お父さんも。そんなところでいじけてないで、早く着替えておいで。握り飯がなくなっちゃうわよ」
葛ノ葉さんがクスリと笑いながら、声を掛けると、男性は「葛ノ葉の握り飯……!」と目を輝かせ、子供のように大急ぎで裏手へ泥を洗い流しに向かった。
しばらくして、すっかり綺麗に着替えたお父さんが戻ってきた。葛ノ葉さんの隣に座り、優しく目を細めて語りかけてくる。
「帰る場所がないなら、ここに住むかい?」
「え……でも」
「まぁ、良いじゃない!童子丸も同年代のお友達ができて良かったわね」
「うん」
葛ノ葉さんが嬉しそうに手を合わせ、童子丸くんも少し照れくさそうに「うん」と頷く。
(あれ? 私、知らない間に両親と温かい家が決まりそう……?)
状況の急展開に頭が追いつかず、私は握り飯を持ったまま、ぱちぱちと瞬きを繰り返すことしかできなかった。
こうして、私は安倍家の養子になった。



