良薬、恋に苦し

「……芦屋道満、ね」
ハルさんの声が、ほんの僅かに低くなった気がした。
「知ってるんですか?」
何気なく問いかけると、ハルさんはすぐにいつもの穏やかな表情に戻る。
「まぁね。有名人だから」
「有名……なんですか?」
思わず目を丸くする。
「安倍晴明の好敵手として京ではそれなりに名が上がっているよ」
それから二人で見てまわっていると、鳥を売っているお店が目に留まった。
ござの上に竹で編まれた鳥籠の中には色とりどりの小鳥がいた。
「わぁ!」
「いらっしゃい。ここにいる鳥は全部、希少な鳥達だよ」
「本当だ。見たことない鳥ばかりだね」
「可愛いですね〜!」
思わず声が弾む。
「鳥が好きなのかい?」
「好きというか……見てると癒されるんです」
そう答えると、ハルさんは鳥籠をじっと見つめたまま言う。
「閉じ込められているのに?」
「え?」
思わず振り返る。
伏せられた瞳に長いまつげが物憂げな影を落としている。
「いや」
すぐに小さく首を振る。
「気にしないでいいよ。ただの独り言だ」
ハルさんの声に何か言おうと迷ったが、何も言えなかった。
鳥達を眺めていると、怪我をしている鳥が目に留まった。
羽が傷付いているのか、ぐったりとしている。
ピィピィと、弱々しく鳴くその声に、胸がぎゅっと締めつけられる。
「……この子」
思わず鳥籠に手を伸ばしかける。
「触らない方がいいよ」
隣から、静かな声が落ちた。
はっとして手を止める。
「でも、このままじゃ……」
「死ぬかもしれないね」
あまりにもあっさりと言われて、言葉が詰まる。
思わずハルさんを見る。
その横顔は、やっぱり穏やかなままで――けれど、どこか冷静すぎる気がした。
「助けたいのかい?」
「……はい」
迷いはなかった。
「そう」
短く返して、ハルさんは鳥籠の前にしゃがみ込む。
「店主、この鳥はいくら?」
「それかい?そいつは売り物にはならねぇよ。もう長くねぇしな」
「じゃあ、処分する予定だったのかな?」
「売り物にならねぇからな。ったく、高い値で仕入れたのに」
店主はぶつぶつと呟く。
「あのっ!この子を治療することってできますか?」
「バカ言っちゃいけねぇよ、嬢ちゃん。薬は高いんだ。売り物に使う薬はねぇよ」
「でも……」
「あんたが治してくれるっているなら、買い取りな。冷やかしなら帰った帰った」
しっしっと、私達を追い払うように手を向ける。
「……買います」
気付けば、そう口にしていた。
「おいおい、本気かい?」
店主が眉をひそめる。
「はい。私、薬師なので……できるだけのことはしたいんです」
自分でも驚くくらい、声はまっすぐだった。
店主はじろりとこちらを見て、やがて肩をすくめる。
「……好きにしな。どうせ長くはもたねぇがな」
そう言って、適当に値を告げる。
覚悟していたこととはいえ、やっぱり高い。 正直、手持ちでは少し厳しい。
「……っ」
思わず唇を噛んだ、その時。
「その値なら、僕が払おうか」
隣から、穏やかな声が落ちる。
「えっ」
振り返ると、ハルさんはいつも通りの表情で立っていた。
「でも、それは……」
「まぁまぁ、せっかくの逢瀬なんだから僕にも格好つけさせてよ」
懐からドンッと銭を取り出し、店主の前に置いた。それから、綺麗な装飾の腕輪も追加で置く。
腕輪は、素人目で見ても高価なものだと分かる。
店主の目の色が変わっている。 銭だけでも十分な額なのに、その腕輪まで加われば明らかに払い過ぎだ。
「兄さん、こりゃさすがに……」
さっきまでの不機嫌そうな態度はどこへやら、店主は逆に戸惑ったように言う。
「言っとくが、釣りは返せねぇぜ」
ハルさんの腕輪を食い入るように見つめながら店主が呟く。
「ん?良いよ。それくらい」
(それくらいって……!)
陰陽師というのは、こうも羽振りが良いものなのだろうか?生まれて一度も陰陽師を見たことのない私にとって、理解しがたい会話だった。
止めようと口を開きかけたその時。
「その商い、ちと待った」
背後から、聞き覚えのある声が割り込んだ。
「……あ」
思わず振り返る。
そこに立っていたのは、腕を組んでこちらを見下ろしている道満だった。
「ずいぶんと酷いぼったくりじゃねぇか。正規価格とは思えねぇな」
店主の顔がぴくりと引きつる。
「確かにその鳥は珍しい種類だが、近年はよく出回ってるぞ。しかも怪我しているんだ。いくらなんでも酷ぇと思うぞ」
恐る恐る商人の顔を見ると、焦りと怒りで真っ赤になっていた。
店主の無言を良いことに、ニンマリしながら正論をぶつけていく道満。
「……じゃあ、いくらならいいってんだよ!」
「最初に提示した額の三分の一だな」
即答だった。
「なっ――ふざけんな!」
「ふざけてんのはどっちだ?」
道満の目が細くなる。
「それでも十分儲かるはずだ。仕入れ値、誤魔化してなけりゃな」
ぴたり、と空気が止まる。
(……当たってるんだ)
店主の顔色が変わったのを見て、確信する。
「……ちっ」
やがて、店主は舌打ちをした。
「……いいだろう。それで持ってけ」
ぶっきらぼうに吐き捨てる。
「話が早くて助かる」
道満は肩をすくめた。
その様子を横で見ていたハルさんが、くすりと笑う。
「交渉上手だね」
その言葉を無視して、道満が明らかに嫌そうな顔をしてハルさんを指差した。
「なぁ、紫乃。なんでコイツと一緒にいるんだ」
あからさまに不機嫌な声だった。
「え、えっと……」
突然振られて、思わず言葉に詰まる。
「市場を案内してただけで……」
しどろもどろに答えると、道満は眉間にしわを寄せたまま、じろりとハルさんを睨んだ。
「案内、なぁ……」
「何か問題でも?」
ハルさんが、穏やかな声で返す。
その声音は柔らかいのに、どこか引かない強さがあった。
「問題しかねぇだろ」
道満は即答する。
「コイツが誰か知ってんのか?」
「陰陽師の方っていうのは、さっき知ったよ」
そう言うと、ハァーととても大きなため息をつかれた。
「あのなぁ……そいつは天才陰陽師と言われてる安倍晴明だぞ」
「――え?」
頭が、真っ白になる。
「……え、えっと……?」
視線が、ゆっくりとハルさんへ向く。
「……そう、なんですか……?」
恐る恐る問いかけると、当の本人はいつもと変わらない顔で、ふっと微笑んだ。
「あらら、バレちゃったね」
道満のこめかみに、ぴくりと青筋が浮いた。
「最初から名乗れよ、晴明」
「名乗るほどのことでもないと思ってね」
そのやり取りに、私はただ視線を行ったり来たりさせることしかできなかった。
(え、え、え……?)
頭が追いつかない。
京で名の知れた陰陽師。その中でも“天才”と呼ばれる存在。
――安倍晴明。
さっきまで隣で穏やかに笑っていた人が、その本人だなんて。
悪びれもなく返すその様子に、道満は露骨に顔をしかめた。
「案内終わったら、紫乃に関わんな」
「それは無理かな」
「あ?何でだよ」
ハルさん――いや、晴明さんは、くすりと楽しそうに笑う。
「だって、彼女には僕の助手になってほしいからね」
「――は?」
一番最初に声を上げたのは、芦屋道満だった。
「はぁ!?何言ってんだお前!」
「言葉の通りだけど?」
さらりと返す安倍晴明に、道満の額に青筋が浮かぶ。
「助手だぁ?ふざけんな、紫乃を巻き込む気かよ」
「住居は僕の屋敷でどうだい?」
「断る!」
「それを決めるのは君じゃないよ」
「っ……!」
道満は振り向くと私をじっと見た。さっきまでの勢いはないが、代わりに真剣な目をしている。
「コイツの“助手”なんて、ろくなことにならねぇぞ。やめとけ」
「でも、小鳥の手当てしなきゃだし……」
「…………」

勢いを削がれた商人から晴明さんが小鳥を適正価格で買い取ったあと、私達はその場を離れた。
お金を払ってくれた晴明さんと、最初に手当てがしたいと言い出した私。どちらの元で買うかは話し合って決めた。
適正価格とはいえ、決して高くない値段に気が引けたんだよね。
小鳥はあとで晴明さんの宿に届けられるそうだし、ひとまず良かった。
それはそうと、
「紫乃を妖退治に巻き込む気かよ」
「巻き込むんじゃないよ。お手伝いをお願いしただけだよ」
交差した視線上でバチバチと花火が散っているのが目に見えて、はらはらする。
「……ねぇ、紫乃」
不意に、晴明さんがこちらに視線を向けた。
「君はどうしたい?」
「え」
真っ直ぐに問われて、言葉に詰まる。
「おい、紫乃に振るな」
道満が苛立ったように吐き捨てる。
「こんな危ねぇ話、首突っ込む必要ねぇぞ」
「危ないかどうかは、やってみないと分からないよ」
「分かるわ!」
ぴしゃりと即答だった。
「力もない、ただの人間だ。そんなの、妖にとっては絶好の餌食(えじき)になるだけだ」
「道満。分かっていると思うけど妖が現れるのは京だけじゃないんだよ」
静かな声だった。
けれど、その言葉は妙に重くて。
「妖退治に出すつもりはない。助手という名の保護だよ。陰陽寮で業務を手伝ってもらったり、薬師であることを活かして怪我の治療をしてもらったり」
穏やかな声で、けれど逃げ道を塞ぐように言う。
「危険な場所には出さない。少なくとも――僕の目の届く範囲ではね」
「信用できるかよ、そんなもん」
すぐさま道満が吐き捨てる。
「お前、“届く範囲”とか言っといて平気で境界越えるだろうが」
「心外だなぁ」
くすりと笑う晴明さんに、道満の苛立ちはますます募っていく。
「紫乃には陰陽寮で僕の助手をしながら薬師として腕を奮ってほしい。というのが、僕の意見かな。陰陽寮と関わりを持てば、妖から守ってあげられる」
道満から貰った香り袋を握りしめる。
「……私」
口を開いた瞬間、自分の声が少し震えているのが分かった。
「私、薬師として誰かを助けたいって思ってます」
視線を落とさないように、ぎゅっと拳に力を込める。
「だから――」
一度、言葉を切る。
そして、ゆっくりと息を吸って。
「助手、やります」
ぴたり、と空気が止まった。
一番先に動いたのは、道満だった。
「はぁ!?」
予想通りの反応に、少しだけ苦笑する余裕が生まれる。
「ただし!」
思わず声が強くなる。
二人の視線が、同時にこちらへ向いた。
「条件があります」
「条件?」と、晴明さんが楽しそうに目を細める。
「私、薬師として自分の店を持つのが夢なんです。そうなる為には勉強をもっとしないといけなくて……だから、助手として働く代わりに――」
自分の言葉を確かめるように、ゆっくりと続ける。
「ちゃんと、学ばせてください。薬のことも……それに、陰陽師の知識も」
少しだけ間を置いて、二人をまっすぐ見た。
「ただ守られるだけじゃなくて、自分で誰かを助けられるようになりたいんです」
一瞬の沈黙のあと。
「……はは」
最初に声を漏らしたのは、晴明さんだった。
くすくすと、楽しそうに笑っている。
「いいね、その条件」
「軽く言うなよ……」
横で、道満が呆れたように額を押さえた。
「普通は逆だろ。守ってもらう側が条件出すとか、聞いたことねぇぞ」
「でも、大事なことだよ」
さらりと返す晴明さんの目は、先ほどまでの柔らかさとは少し違っていた。
どこか、試すような――それでいて、気に入ったものを見つけた時のような光。
「約束するよ。君にはちゃんと学ばせる。薬のことも、陰陽道のことも」
「おい」
低い声で割り込んだのは道満だった。
「軽く言ってるけどな、それ全部だぞ」
「うん」
「……は?」
あまりにもあっさり肯定されて、道満の眉が跳ねる。
「紫乃、今ならまだ間に合う。引き返せ」
「ヤダ!」
「頑固かよ!」
「そうだよ!」