良薬、恋に苦し

「あれが播磨で一番の茶屋です。裏の雑貨屋は品揃えが良くて、旅人には便利なお店かもしれません」
「へぇ、覚えておかないとね」
隣では何一つ変わらない様子で、ハルさんが露店を眺めている。
「このあたりは染め物が有名なのかな?」
布を手に取り、光に透かす仕草まで、やけに様になっている。
「播磨は染め物以外にも海の幸も有名なんですよ。特産品はなんと言っても塩です!」
胸を張って言うと、ハルさんはくすりと笑った。
「ずいぶん誇らしげだね」
「地元ですから」
少しだけ得意げに返す。
ちょうど視線の先には、白く積まれた塩の山があった。
陽の光を受けて、きらきらと輝いている。
「ほら、あれです。あそこのお店、質も良くて安いんです。よく仕事でお世話になります」
「これも仕事で使うのかい?」
「主に薬草を使いますけど、塩も使いますよ。傷口を洗ったり、保存にも使えますし」
「なるほど」
ハルさんは興味深そうに頷いた。
言葉を返そうとしたところで、ふと見慣れた暖簾(のれん)が目に入った。
「あっ」
思わず声が漏れる。
「どうしたの?」
「ちょっと寄っても良いですか?」
指さした先には、小さな漬物屋。
軒先に木桶が並び、香ばしいような、少し酸っぱい匂いが漂っている。
「構わないよ」
軽く頷くのを確認して、私はそのまま暖簾をくぐった。
「こんにちはー」
声をかけると、奥から顔を出したのは見慣れた店主だった。
「おや、紫乃ちゃんじゃないか。今日は珍しく客連れかい」
「ち、違います!」
慌てて否定すると、店主はにこにこと意味深に笑った。
「はいはい。そういうことにしておこうかね」
「違いますってば……!」
頬が熱くなるのを誤魔化すように、私は店先の桶に視線を落とした。
浅漬けに古漬け、色とりどりの野菜が並んでいる。
「今日はいつのもやつを少しだけ多めに――」
「はいよ。おまけで沢庵(たくあん)も入れとくよ」
「ありがとうございます!」
頭を下げると、店主は手際よく桶から漬物を取り出し、紙に包んでいく。
包みを受け取り、代金を渡す。
そのまま暖簾をくぐって外に出ると、ハルさんは一歩だけ距離を詰めた。
「随分と慣れている店なんだね」
「はい、よくお世話になってて……。この後友達の家に持っていく手土産を買いに来たんです」
「友達……?」
「幼馴染ですね。家が隣近所なんです」
つい先日、京から帰って来たばかりなので、長旅で疲れているだろうと思い、昔から好きだったお漬物を買って行こうと思っていたのだ。
何のお仕事をしているのか分からないが、昔から器用で何でもできていたので、きっと上手くいっているのだろう。
市場の中心へ近づいていくと、ざわめきが濃くなる。
少し休憩を、ということで茶屋で並んで団子を頬張っていると、ハルくんは草むらに向かって団子を一つ放り投げた。
「なっ、何やってるんですか!?」
食べ物を投げるなんて……。
ハルさんは私の声を聞き流し、草むらにしゃがみ込むと何かを掴み上げた。
それは黒うさぎのような動物で、さきほど放り投げたであろう団子を食べている。
団子を両手で抱え込むようにして、黒いうさぎはもぐもぐと口を動かしていた。
小さな耳がぴくりと揺れるたびに、草の陰から光が落ちて、その毛並みが艶のように見える。
「これは(あやかし)。と言っても何の力もないけどね」
「妖……」
妖といえば、最近都で悪さをしていると風の噂で聞いたことがある。そして人に害なす妖を退治して民を守るのが陰陽師と呼ばれる宮仕えの人達なんだと言うことも。
私は団子を投げた瞬間のことを思い出して、眉をひそめる。
「なんで団子を投げたんですか」
「食べるかなと思って」
にこりと笑う笑顔に肩の力が抜けていく。
「妖でも、食べ物は食べるんですね……」
私は黒うさぎを見下ろしながら言った。
もぐもぐと団子を食べる姿は、どう見てもただの小動物だ。
「うん。人を襲う妖は強い奴だ。こういった妖は滅多に人前に出てこないし木の実を食べて生活しているよ」
ハルさんは、しゃがんだままうさぎの頭を指先で軽く撫で、うさぎに耳を近づけて相槌を売っている。
「……へぇ、なるほど。教えてくれてありがとうねぇ」
妖と会話でもしているのだろうか?
話し終えたのか、ぱっとハルさんは手を離す。
そして次の瞬間。
ウサギは草むらの奥へ身を滑らせるようにして消えていってしまった。
「何の話していたんですか?」
「んー……仕事の話」
「お仕事?」
妖に関係ある仕事ってなんだろうか?真っ先に名が上がるのは陰陽師だろう。しかし、陰陽師の方は多忙を極めるので京に住まう彼らが播磨まで来るのは難しいかもしれない。
「今、僕の職業を当てようとしているね?」
「え、あ、すみません」
「構わないよ。ただの変な人と思われるよりはよっぽど良いからね」
「本当にすみません……」
市場の喧騒が近づき、呼び込みの声や笑い声が混ざり合う。お会計を済ませて人の流れに押されるようにして、私達は茶屋の前の通りへ出た。
「さて問題です。僕の仕事はなんでしょうか」
急な問題に戸惑いながらも、恐る恐る口にする。
「陰陽師……の方ですか?」
「正解」
半ば冗談のつもりで言ってみたが、当たってしまった。
「え、えっと……本当に?」
「疑う?」
軽く首をかしげるその仕草は、いつもの穏やかさのままだ。冗談を言っているようにも見えるのに、さっきの黒うさぎのことを思い返すと、妙に冗談として片づけきれない。
「だって、そんな……もっと、こう……」
「忙しそうで、気難しそうで、都からあまり出ない?」
先回りされて言葉を失う。
ハルさんは小さく笑った。
「ここに来たのは仕事って言ったよね」
「あ、はい」
「もう一つ用事があってね。助手を探していたんだ。こう見えて天才陰陽師は忙しいからね」
「大変ですね」
「うん。すっごく大変。だからね―――僕の助手になってくれないかな?」
「……え?」
思わず言葉を失う。
今まで道案内をしていた人が自分より身分の高い陰陽師の方というのにも驚いているし、何より私を助手にしたい理由が分からない。
冗談を言っているのかと一瞬思ったけれど、ハルさんの顔はいつも通り落ち着いていて、冗談を言っている様子はない。
「なんで……私なんですか?」
ようやくそれだけ絞り出すと、ハルさんはほんの少しだけ目を細めた。
「僕はこれでも君を気に入っているんだ。あとは―――君が薬師だからかな。陰陽師は何かと怪我がつきものだからね」
怪我の治療なら、私以外にも薬師は沢山いるだろう。という言葉は寸のところで飲み込む。
「ああ、言葉足らずだったね。君は裏表もなく優しいから、妖に好かれやすい。そういった人を保護するのも僕達の役目なんだよ」
「で、でも、今まで妖に遭遇したことはないですし……」
「それは、これのお陰だろうね」
ハルさんは私の袂を指差した。その中に入れているのは、幼馴染から貰った桃の香りのする香り袋だ。
「護符が織り込まれているし、桃は古くから魔除けとして重宝されている。これを送った人は陰陽師かな?」
「それはないですよ。あの子は京で一儲けしてくる!って言って家を飛び出して行ったんですから」
昔から農作業の間にどうやったら金儲けができるか考えるのが好きな子だったし、前に帰って来た時もホクホク顔で稼いだお金を見せてくれたので、きっと役人になっているのだろうか思っていたけれど……まさか陰陽師になっているとは思わないだろう。
「幼馴染の名前を聞いても良いかい?」
芦屋(あしや)道満(どうまん)です」
私は幼馴染の名前を口にした。