良薬、恋に苦し

友達の家に向かっている最中、なんだか騒がしくて足を止めた。
市場は年がら年中賑わっているものだが、今のざわめきはそれとは違っていた。
「なんだなんだ?」
「子供がガラの悪い奴に因縁つけられているって」
人だかりの中を覗き込むと、一人の男の子が大人三人に囲まれていた。
年は私と同じくらいだろうか。青みを帯びた黒髪が目を引く。
「お前は……だろ?観念しろ」
「そうだ。…………からの指示でよ」
少し離れていたから、なんて言っているのか聞こえないが、あまり穏やかではなさそうだ。
囲まれている人が心配で、背伸びをして姿を確かめようとする。
一人の男がその男の子に掴みがかろうとした時、ぷつん、と糸が切れた操り人形みたいに地面に倒れ込んでしまった。
四肢を投げ出して、ぴくりとも動かない。
「なっ……すみません!私は薬師(くすし)です。通して下さい!」
ざわめく人々を掻き分け、倒れた男の元へ駆け寄る。
(かさ)を被った男の子が数歩下がって場所を譲り、その拍子に髪が陽光にきらめいた。
手首に触れて脈を取り、呼吸を確かめる。
特に外傷もなかった。ただ、深く眠っているだけのように見える。
(やまい)って訳でもなさそうだし、いっぺんに倒れるってことは眠り薬とか毒針とかかな。
今ここで一番怪しいのは―――
顔を上げ、囲まれていた男の子を見る。
「あの、何があったんですか?」
「さぁ?彼らに金子(きんす)を奪われそうになって困っていたら急に倒れたよ」
「急に……?」
今度はくすりと小さく笑う声が聞こえた。
「天罰、というものは本当にあるのかな。そして、人に害をなそうとした彼らにそれが下ったのだとすれば―――」
男の子はわずかに言葉を切る。
「果たして、君が心配する必要はあるのだろうか」
笑みを含んだ上品な口調。
そこに、動揺や敵意は微塵(みじん)も感じられない。
その声音はあまりにも穏やかで、まるで先ほどの出来事など取るに足らぬ些事だと言わんばかりだった。
「善人も悪人も私には分かりませんが、天罰なら嫌ですね。薬が効くのか分かりませんので」
思わず言い返すと、彼は驚いたかのようにポカンと口を開いた。
それから――ふっ、と肩を揺らして笑った。
「……どうやら君の優しさは誰にでも平等に振り注ぐらしい」
くつくつと喉の奥で笑いながら、彼は片手で口元を隠す。先ほどまでの上品さはそのままに、どこか人間味のある崩れ方だった。
「……」
なんだ、この人。一気に怪しさが増したよ。
「失礼。僕はハル。ハルと呼んでくれると嬉しいな」
ハルと名乗った男の子は少し嬉しそうに言う。
「はぁ……」
(ひとまずハルさんより、今はこの男性を診察したいんだけど……)
気を失っている男達をどう運ぶか悩んでいると、ハルさんの口添えで近くの呉服店の座敷を借りることができた。

座敷に通されると、畳の匂いがふわりと立ちのぼった。
「ここなら人目も少ない。好きに使うといい」
店主の方は言って、すっと障子を閉める。
外の気配が遠のき、静寂が落ちた。
「ありがとうございます!」
私はすぐに頭を下げ、気を失っている男達の側に膝をついた。
(本当に眠っているだけ……?)
外傷もない。熱もない。
蛇や虫など毒性の虫に噛まれたかと思ってみるが、噛み跡もない。
隣の部屋で待ってもらっているハルさんを思い出す。
毒針のようなものだったら衣服の縫い目に隠せてしまえそうだけど。それにしたって、複数人を一瞬にしてにて昏倒させるのは難しいもんね。
桶に汲まれた水に布をくぐらせ、冷えた布を額に置く。
隣の部屋に移動すると、ハルさんは静かに座って本を読んでいた。
「おかえり」
「ハルさん、衣服を脱いで下さい」
「……ん?」
ポカンと本を開けたまま固まっている。
「倒れた原因が分からないので、色んな原因を考えないといけないんです。毒を持つ蛇や虫に噛まれている可能性もあるので、近くにいた貴方の身体も調べた方が良いかと……」
情報を探りたくて提案したのは確かだけど、これはこれで間違いなく本心だ。
「……あ、診察か」
ハルさんはすぐに納得したように、(ふところ)から手ぬぐいや銭を取り出し、床の上に置いた。
「衣も脱いだ方が良いかい?」
襦袢(じゅばん)は脱がなくても大丈夫ですよ」
「それは良かった」
ふわりと両手を広げたハルさんに近づくと、(こう)のにおいが鼻をくすぐる。
「少しだけ失礼します」
手のひらを腰回りや袖、懐に当ててみるが、噛み跡らしき物はなかったし、針も見当たらなかった。
「自分で触れるならともかく、一方的に触れられるのは緊張するね」
「……!やましい気持ちはありませんから!」
「そんな気持ちを持ってもらえるように、君を誘惑するべきかな?」
「からかってますか?緊張しているなんて、嘘ですよね!?」
「……ふふ」
ハルさんは肩を揺らして笑った。
「さて、どうだろうね」
その声音は軽やかで、どこまでが本気なのか掴めない。
「もしかして、意地悪な人だったりします?」
「疑われていることへの、ささやかな意趣返しだと答えておこうかな」
(うっ……)
「疑ってしまったのは申し訳ないと思っています……」
「それは良いことを聞いた。君が抱いているらしい罪悪感にもう少しつけ込んでみようかな」
「ダメです!」
ますます楽しげに目を細めるハルさんは、私より一枚も二枚も上手だった。

その後。
「ご協力ありがとうございました」
「いえいえ」
私と一緒に店を出たハルさんは、事もなさげに手を振る。
この人を疑う理由もなくなった。
「納得いかないって顔しているね」
「す、すみません」
「ううん、急に初対面の人を信用しろって言われても難しいよね」
悩ましげにハルさんは手を唇に当てる。
「確かに長旅の果てで辿り着いた播磨(はりま)でならず者に絡まれた挙句、身に覚えのない罪で心優しい薬師のお嬢さんに疑われていても、仕方ないよね」
うっ、ものすごい罪悪感が。
「少しも君のせいじゃないから気に病むことはないんだよ、薬師のお嬢さん」
「あの、何かお詫びします……」
罪悪感と何だかいたたまれなくなって、そう申し出ると、「良いの?」と、まるで想定内というような感じで尋ね返してきた。
(あれ?もしかして乗せられた……?)
「だったら、町を案内してほしいな」
「そんなことで良いんですか?」
身構えていた分、少しホッとしてしまう。
「私で良ければお引き受けします!」
「しっかり見張っとくと良いよ。もしかしたらボロを出すかもしれないからね」
一瞬、言葉に詰まる。
「……やっぱり怪しい人なんですか?」
思わずそう言うと、ハルさんは楽しそうに目を細めた。
「疑いが戻るのが早いね」
そのまま歩き出す背中は、やけに落ち着いている。
私はその背中を、ほんの一歩遅れて追いかけた。
(……なんなんだろう、この人)
軽口ばかり叩くくせに、どこか余裕がある。 まるで最初から全部分かっているみたいに。
「ほら、案内してくれるんだろう?」
振り返りもせずに言う。
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
慌てて並ぶと、ハルさんはちらりとこちらを見た。
「まずはどこに行きたいんですか?」
「そうだね……」
少し考えるように視線を空へ向けて、それからゆるく笑う。
「人の多いところがいいな」
「……市場ですか?さっきまでいたような……」
「ならず者に絡まれて、ゆっくり見て回る時間がなくてね」
「あぁ……それは大変でしたね」
思わず同情の言葉が口からこぼれる。
すると、ハルさんはほんの少しだけ目を細めた。
「そう思う?」
「え?」
「僕は、案外退屈しなかったけどね」
さらりと返されて、言葉に詰まる。
「それに」
ハルさんは歩みを緩めずに続ける。
「君とも出会えたし」
「……!」
一瞬、足が止まりかける。
「そ、それは……たまたまですよ」
「そうかな?」
くす、と小さく笑う。
「……まるで、最初から分かっていたみたいな言い方ですね」
半ば探るように言うと、 ハルさんは一瞬だけ沈黙した。
そして――
「さあね」
いつも通りの、掴めない笑み。
「人の縁なんて、そんなものだろう?」
軽く受け流される。
出会って少ししか経っていないけど、なんとなくハルさんのことが少し分かったかもしれない。
けれど、それ以上踏み込めるほどの根拠もない。
しばらく歩くと、通りは次第に賑やかさを増していった。 香の匂い、焼き物の煙、行き交う人の声。
露店の呼び声が重なり合い、色とりどりの布や器が視界を埋める。
「わぁ……やっぱり市場は活気がありますね」
「そうだね」
「ハルさんは播磨に住んでいるんですか?」
「ううん。ここには仕事で来たんだ」
「お仕事って何を?」
「弱きを助ける正義の味方」
「え?」
「なんてね。それは幼い頃の夢だったかな」
くす、と軽く笑う。
(あわよくば素性を……と思って聞いてみたけど、はぐらかされた?)
「今は違うんですか?」
「どうだろう」
ハルさんは、露店に並ぶ(かんざし)を手に取って眺めながら、曖昧に言った。
「今の僕は正義と真反対の場所にいるよ」
「……?」
言葉の意味を考えていると、店主が「それは京でも人気なんですよー。お二人は恋仲ですか?」と声をかけてくる。
ハルさんは適当に相槌を打ちながら、簪を元の場所へ戻した。
買う気はなかったらしい。
「君は何か欲しいものはないの?」
「え?私ですか?」
「案内役なんだから、少しくらい寄り道しても文句は言わないよ」
そう言われても、特に欲しい物も見つからない。
簪とかは仕事の時に長い髪をまとめる時に使えるけれど、もう持っているしなぁ……。
「そうだ、名前を聞いていなかったね。薬師のお嬢さん、教えてくれるかい?」
紫乃(しの)です」
「紫乃、良い名前だね。大切にすると良い」
「……?はい」
頷きながらも、どこか引っかかる。
(名前を大切に、か……)
考え込もうとしたその時。
「気に入った子を逢瀬(おうせ)に誘い出せて、珍しく浮かれているよ」
隣で、ぽつりと呟く声。
「な、何言ってるんですか!?」
思わず声が上ずる。
「だって、店主が恋仲って言っていただろう?男女が二人、はたから見たら恋仲に……」
「違いますからね!あの店主さんが勝手に――」
わざと被せて言葉を遮る。
くす、と笑う気配。
「そんなに慌てなくても良いのに」
「慌ててません!」
即座に言い返すと、ハルさんは肩を揺らして笑った。
笑われて、なんだか悔しくなる。
「……本当に慌ててませんから」
少しだけ拗ねたように言うと、ハルさんは「そういうことにしておこうか」と軽く流した。
(絶対分かっててからかってる……)
そう思いながらも、それ以上言い返す言葉が見つからない。