幼馴染への三度目の失恋を回避したい 〜激重な片思いを隠さなくなってきた彼に、心臓がもたなくなってきた彼女。〜【完結】

 今日からオリエンテーション合宿だ。

 後ろの席からは、隣の女子とはしゃぐめぐみの明るい声が聞こえてくるけれど。
 正直、今の僕には、それに耳を傾ける余裕すらない。

 絶賛――車酔いと闘っている最中だ。

 小学生の頃は遠足のたびにダウンしていたが、中学に入ってからはだいぶマシになっていたはずだった。
 なのに、どうしてこんなことになっているのか。

 心当たりは二つある。

 一つは、キャンプ場へ向かうこの山道がとにかくうねっていて揺れること。
 そしてもう一つは……昨晩なかなか寝つけなかったため、明らかな寝不足状態だということだ。

 中学の林間学校や修学旅行では、めぐみとはクラスが別だった。
 クラスの男子と楽しそうに喋っていたり、京都の班行動で一緒に回っている姿を遠くから見かけるたび、猛烈な苛立ちに支配されていた。
 それが今回、高校に入って同じクラスになり、あろうことか班まで同じだ。
 恥ずかしい話だが、僕は浮かれていた。
 小学生のように気分が高揚して、無駄に目が冴えてしまったのだ。
 その結果が……この惨状である。

 すっかり酔わなくなったと過信していたため、酔い止めの薬なんて持ってきていなかった。
 ひたすら冷たい窓ガラスに額を押し当て、外の景色を眺めながら耐え凌ぐしかなかった。

 そんな限界寸前の僕に気づいためぐみが、薬と飴をくれた。
 使用期限はギリギリだったけれど、そんなことはどうでもいい。
 あいつ自身は車に弱くないのに、なんでわざわざ酔い止めなんか持ってきたんだろう?
 ただの持ち前のお人好しで、クラスの誰かが酔った時のために準備していたのか?
 それとも……僕が車に弱いことを、覚えていてくれたのか?

(……いや、さすがに自惚れすぎか)

 けれど、めぐみと話して少し笑ったら、体調は少しだけマシになった。
 薬に眠くなる作用があったのか、その後キャンプ場に到着するまでの三十分ほど、揺れる車内で穏やかに仮眠をとることができた。


「朝井、着いたぞ」

 隣の座席の男子に肩を揺すられて目を覚ました。

「……おー。ずっと黙ってて悪い、酔ってたわ」

 短く詫びを入れてから、重い身体を引きずってバスを降りる。

 ドアから一歩外に出ると、見渡す限りの大自然が広がっていた。
 空気はひんやりと澄み切っていて、深呼吸すると、肺の奥まで濃い緑の匂いが入ってくる。
 あちこちの木々から聞こえる様々な鳥のさえずりは、癒しのBGMとして森を彩っている。

 クラスメイトたちが広場に集まっていく中、前方を歩く見慣れた後ろ姿を見つけた。
 高めの位置で揺れるポニーテールに、ゆったりとしたオフホワイトのパーカー、そして動きやすいジーパン。
 やる気たっぷりアウトドアモードのその背中に、そっと近づいた。

「……めぐ」

 声をかけると、すぐにクルッと振り向いた。

「あの薬、めっちゃ効いたわ。ありがとな」

 素直に礼を伝えると、めぐみは太陽みたいな笑顔を見せた。

「よかったあ!」

 無邪気に笑うのを見て、胸の奥がじんわりと温かくなる。

 中学の時は、変な噂を立てられたり陰口を言われたりするのを避けるため、学校ではめぐみと距離を置いていた。
 だが、高校に入ると周囲の様子が少し変わった。
 半数以上が持ち上がりのはずなのに、なぜか男女関係なく気さくに話す連中が増えたのだ。
 その雰囲気に便乗する形で、今みたいに自然とお互いに声をかけやすくなって、めぐみと話せる頻度も増えた。

 ただそれだけのことが、ものすごく嬉しかった。

 ◇

 まずは合宿の定番、飯盒炊爨とカレー作りから始まる。
 男子はかまどの組み立てや火起こしなどの力仕事、女子は野菜のカットなどの料理系と、ざっくり担当を分けて作業を進めていく。

「朝井、そっちの石頼むわ」
「おう」

 かまどの土台にする重い石を両手で運びながら、ふと女子の調理スペースに目をやる。
 すると、めぐみがポロポロと涙をこぼしているのが見えた。
 どうやら、玉ねぎが目に染みたらしい。

 それ自体はよくあることかもしれないが、問題は真横にいる男だ。

 同じ班になった高校からの外部生、織田(おりた)
 両手が玉ねぎの汁まみれで涙を拭えないめぐみを見たそいつが――持っていたタオルを、そっと頬に押し当ててやっているではないか。

(おいおいおいおい!! それはダメだろ……)

 僕は両手に重石を抱えたまま、心の中で大声でツッコミを入れた。
 距離が近すぎる。
 いくらタオル越しとはいえ、めぐみには触れてほしくない。
 というか、その係は僕がやる。
 沸々と湧き上がるどす黒い怒りを必死に堪えていると、同じく重石を持った葉山がニヤニヤしながら近づいてきた。

「朝井〜、バスの中で男子で駄弁ってたんだけどさ。井原さん可愛いって言ってるやつ、何人かいたぞ?」

「……は?」

「そろそろ本気でアピールしないと、マジでやばいかもな!?」

 けしかけるように笑う葉山を、横目で鋭く睨みつけた。

(こいつ……俺が焦るのを確実に面白がってやがる)

 葉山をその場に置き去りにして、重石を抱えたままめぐみのいるスペースへと大股で歩いていった。
 ドンッ! と、少しわざとらしい音を立てて土の上に石を置く。

「……玉ねぎ、俺やろっか? めぐ」

 横にいる織田にハッキリ聞こえるよう、あえて名前呼びを強調して話しかけた。
 僕なりの精一杯の牽制だ。

 しかし、彼女は涙目のままパアッと明るい声を上げた。

「ありがと! でももう切り終わったから大丈夫だよ!」

「……あ、そう」

 ……あっさりと断られてしまった。

 その後も、めぐみの近くでできる力仕事ばかりを積極的に巻き取った。
 決して、彼女に近づこうとする男がいないか見張っていたわけではない。

 ◇

「いただきまーす!」

 班ごとに円になって座り、出来上がったカレーを食べ始めた。
 市販のルーを使ったごく普通のカレーだけれど、澄んだ空気の自然の中で食べると、なぜか格別に美味しく感じる。

 何より、めぐみが切った野菜が入っていて、めぐみがよそってくれたものだ。
 不味いわけがない。

「そういえば、中学の修学旅行どこだったー?」

 銀色のスプーンを口に運びながら、めぐみが織田に話を振る。

「俺のとこは京都だったよ」

 織田が答えると、めぐみは目を輝かせた。

「あっ、うちらもだよ! 織くんのところもだったんだ!」

(…………『織くん』!?)

 はあああ!? と、口に含んだカレーを危うく吹き出しそうになった。
 必死に喉の奥に流し込み、咳き込むのを堪える。

 話を聞いていると、織田は中学時代から周囲にそう呼ばれていたらしい。
 そして、このクラスでも既に何人かはそのあだ名を使っているようで、同じ班の女子・金森も自然にそう呼んでいた。

 めぐみが織田に頻繁に話しかけるのは、きっと外部生の彼が班の中で孤独にならないように気遣っているからだ。
 それはめぐみの長所だし、そういう優しさが好きなところでもある。

 けれど……この無自覚な人たらしが。

 心の中で盛大に恨みながら、手に持つ銀色の皿をひっくり返さないように必死だった。

 ◇

 楽しくお喋りしながらカレーを食べているめぐみの頬に、茶色いルーがちょこんと付いているのを見つけた。

「おい、めぐ。付いてる」

 僕は自分の頬の同じ場所をトントンと指差して教えてやる。

「わっ! ありがと」

 めぐみは恥ずかしそうに慌てながら、手の甲で頬を拭った。

 そんな僕らのやり取りや雰囲気をぼんやり見ていた、中学から顔見知りの男子が、ふと口を開いた。

「……そういや、二人って幼馴染なんだっけ? まさか、付き合ってたりすんの?」

 ピタリ、と心臓が止まりかけた。
 どう答えるべきか――脳内がフル回転した、その時。

「えっ? 違うよ!」

 僕が口を開くより先に、何の迷いもないめぐみの明るい声が否定した。

(……即答かよ!)

 あまりのあっけなさに、スプーンを握ったまま固まった。

 ……まあ、たしかに違うけど。
 違うけどさ。
 もう一秒くらい、動揺したり、間を開けてくれたっていいじゃないか。

 春の新緑の中、心地よい陽気とは裏腹に、僕の心には冷たい木枯らしが吹き荒れ、見えないダメージを受けていた。