入学式からあっという間に一週間が経った。
大型バス特有の、低く重いエンジン音が足元から力強く伝わってくる。
新生活の慌ただしさにまだ目が回る中、私たちは一泊二日のオリエンテーション合宿へと向かっていた。
車内には、ほのかに甘いチョコレートやスナック菓子の匂いと、新緑の季節特有の生暖かい空気が入り混じっている。
行き先は山のキャンプ場。
大自然の中でバーベキューや登山をして、新しいクラスメイトとの親睦を深めるらしい。
バスの座席は、名簿順に前から六人ずつで区切られた班ごとに割り振られていた。
私の班は、男子が四人に、女子が二人。
「めぐ、これいる?」
「いるいる! それ好き! 葵もこれいる?」
「いる〜」
色付きの窓ガラスから差し込む春の陽光を浴びながら、隣に座る葵と、膝の上に広げたお菓子の交換会を楽しんでいた。
金森 葵。
中学から同じ吹奏楽部に所属していて、仲のいい友達だ。
すらりとした長身に切りそろえられたショートボブがよく似合う、クールでお姉さん気質の女の子。
今年初めて同じクラスになれて、手を取り合い飛び跳ねて喜んだばかり。
しかも今回の合宿では、班まで同じだ。
葵からもらったクッキーをかじりながらも、私の視線は前の座席へと向かってしまう。
背もたれ越しに見えるのは、同じ班になった男子四人のうちの一人――なっちゃんの背中だ。
さっきから、ほとんど話し声が聞こえてこない。
なっちゃんは、昔から車に弱いのだ。
小学生の頃、遠足のバスで顔を真っ青にしてダウンしていたのを覚えている。
最近はどうなのか分からないけれど、いつもなら男子同士で軽口を叩き合っているのに、今日は妙に静かだ。
(……大丈夫かな?)
カーブを曲がるたびに揺れる車体に、私の胸もソワソワと落ち着かなかった。
◇
プシューッ、とエアブレーキの大きな音を立て、サービスエリアの駐車場に停車した。
「十五分後に出発するからな〜」という先生の声に合わせ、車内の空気がどっと動く。
「めぐ、トイレ行く?」
「うん!」
葵と連れ立ってバスを降りた。
外の空気は少しひんやりとしていて、アスファルトの匂いに混ざって山の澄んだ空気が肺を満たす。
寄り道せずに早足で戻ってくると、車内はまだ大半の生徒が戻っておらず、ガランとしていた。
人が減ったせいか、頭上から吹き下ろすエアコンの風がやけに涼しく感じる。
元の席に座ろうとしたとき、バスに一人残っていたなっちゃんに気づいた。
窓枠に頭をもたれかけ、ぼんやりと外を眺めている。
ガラスに映る横顔が見えたが、血の気が引いて、少し青白くなっているようだった。
(やっぱり、酔ってるのかも……)
私は座席から立ち上がって身を乗り出し、なっちゃんと、隣にいる葵くらいにしか聞こえないくらいの小声で、その背中に話しかけた。
「……なっちゃん、大丈夫?」
ピクッと肩を揺らした彼が、ゆっくりとこちらを振り返る。
「……ん? あー、大丈夫。ちょっと酔っただけ」
落ち着いた低い声だったけれど、少し無理しているのがわかる。
慌てて自分のリュックを引き寄せ、ガサガサと中身を漁った。
「これ! よかったら使って!」
ナイロンの布擦れの音をさせて取り出したのは、家にたまたま残っていた酔い止め薬と、今朝コンビニで買ったばかりのレモン味のドロップ飴だ。
なっちゃんは目を少し見開いたあと、ふっと息を吐いてそれを受け取った。
「……おー、ありがと。忘れて困ってたから助かるわ」
そう言うと、ペットボトルの水で薬を飲み込み、黄色い飴玉をぽいっと口に放り込んだ。
爽やかなレモンの香りが、ほのかに漂う。
(これで少しでも楽になるといいな)
私はホッと安堵の息をついて、背もたれに深く寄りかかった。
その様子を隣で見ていた葵が、クスクスと肩を揺らす。
「おー、すごい。なんかしっかりしてて、めぐじゃないみたい。いつもおっちょこちょいばっかりしてるから」
「えー?」
私がむくれると、少しだけ生気を取り戻したなっちゃんの声が、前から飛んできた。
「……これ、買ったの?」
薬が入っていたシートを軽く振りながら、尋ねられる。
「ううん。家にあった、昔お兄ちゃんが使ったやつの残り」
事も無げに答えると、なっちゃんは「『昔』……」と呟きながらピタッと動きを止め、振り返った。
「……期限とか大丈夫そ?」
「……えっ」
慌てて再びリュックの中を漁り、薬の入っていた箱の裏面を凝視した。
「ええっと……」
目を細め、西暦と月が書かれている箇所を探す。
いつのまにか発車したバスの揺れもあり、擦れて薄くなっている印字がぼやける。
「……あっ、大丈夫だった! ギリギリあと二か月後! ふー、焦ったあ……」
大げさに胸をなでおろすと、正面でなっちゃんが呆れたように吹き出した。
隣の葵も、口元を押さえて笑っている。
「えー? なんで二人して笑ってるの?」
不思議に思って首を傾げると、なっちゃんと葵はさらに堪えきれないように笑い声を漏らした。
大型バス特有の、低く重いエンジン音が足元から力強く伝わってくる。
新生活の慌ただしさにまだ目が回る中、私たちは一泊二日のオリエンテーション合宿へと向かっていた。
車内には、ほのかに甘いチョコレートやスナック菓子の匂いと、新緑の季節特有の生暖かい空気が入り混じっている。
行き先は山のキャンプ場。
大自然の中でバーベキューや登山をして、新しいクラスメイトとの親睦を深めるらしい。
バスの座席は、名簿順に前から六人ずつで区切られた班ごとに割り振られていた。
私の班は、男子が四人に、女子が二人。
「めぐ、これいる?」
「いるいる! それ好き! 葵もこれいる?」
「いる〜」
色付きの窓ガラスから差し込む春の陽光を浴びながら、隣に座る葵と、膝の上に広げたお菓子の交換会を楽しんでいた。
金森 葵。
中学から同じ吹奏楽部に所属していて、仲のいい友達だ。
すらりとした長身に切りそろえられたショートボブがよく似合う、クールでお姉さん気質の女の子。
今年初めて同じクラスになれて、手を取り合い飛び跳ねて喜んだばかり。
しかも今回の合宿では、班まで同じだ。
葵からもらったクッキーをかじりながらも、私の視線は前の座席へと向かってしまう。
背もたれ越しに見えるのは、同じ班になった男子四人のうちの一人――なっちゃんの背中だ。
さっきから、ほとんど話し声が聞こえてこない。
なっちゃんは、昔から車に弱いのだ。
小学生の頃、遠足のバスで顔を真っ青にしてダウンしていたのを覚えている。
最近はどうなのか分からないけれど、いつもなら男子同士で軽口を叩き合っているのに、今日は妙に静かだ。
(……大丈夫かな?)
カーブを曲がるたびに揺れる車体に、私の胸もソワソワと落ち着かなかった。
◇
プシューッ、とエアブレーキの大きな音を立て、サービスエリアの駐車場に停車した。
「十五分後に出発するからな〜」という先生の声に合わせ、車内の空気がどっと動く。
「めぐ、トイレ行く?」
「うん!」
葵と連れ立ってバスを降りた。
外の空気は少しひんやりとしていて、アスファルトの匂いに混ざって山の澄んだ空気が肺を満たす。
寄り道せずに早足で戻ってくると、車内はまだ大半の生徒が戻っておらず、ガランとしていた。
人が減ったせいか、頭上から吹き下ろすエアコンの風がやけに涼しく感じる。
元の席に座ろうとしたとき、バスに一人残っていたなっちゃんに気づいた。
窓枠に頭をもたれかけ、ぼんやりと外を眺めている。
ガラスに映る横顔が見えたが、血の気が引いて、少し青白くなっているようだった。
(やっぱり、酔ってるのかも……)
私は座席から立ち上がって身を乗り出し、なっちゃんと、隣にいる葵くらいにしか聞こえないくらいの小声で、その背中に話しかけた。
「……なっちゃん、大丈夫?」
ピクッと肩を揺らした彼が、ゆっくりとこちらを振り返る。
「……ん? あー、大丈夫。ちょっと酔っただけ」
落ち着いた低い声だったけれど、少し無理しているのがわかる。
慌てて自分のリュックを引き寄せ、ガサガサと中身を漁った。
「これ! よかったら使って!」
ナイロンの布擦れの音をさせて取り出したのは、家にたまたま残っていた酔い止め薬と、今朝コンビニで買ったばかりのレモン味のドロップ飴だ。
なっちゃんは目を少し見開いたあと、ふっと息を吐いてそれを受け取った。
「……おー、ありがと。忘れて困ってたから助かるわ」
そう言うと、ペットボトルの水で薬を飲み込み、黄色い飴玉をぽいっと口に放り込んだ。
爽やかなレモンの香りが、ほのかに漂う。
(これで少しでも楽になるといいな)
私はホッと安堵の息をついて、背もたれに深く寄りかかった。
その様子を隣で見ていた葵が、クスクスと肩を揺らす。
「おー、すごい。なんかしっかりしてて、めぐじゃないみたい。いつもおっちょこちょいばっかりしてるから」
「えー?」
私がむくれると、少しだけ生気を取り戻したなっちゃんの声が、前から飛んできた。
「……これ、買ったの?」
薬が入っていたシートを軽く振りながら、尋ねられる。
「ううん。家にあった、昔お兄ちゃんが使ったやつの残り」
事も無げに答えると、なっちゃんは「『昔』……」と呟きながらピタッと動きを止め、振り返った。
「……期限とか大丈夫そ?」
「……えっ」
慌てて再びリュックの中を漁り、薬の入っていた箱の裏面を凝視した。
「ええっと……」
目を細め、西暦と月が書かれている箇所を探す。
いつのまにか発車したバスの揺れもあり、擦れて薄くなっている印字がぼやける。
「……あっ、大丈夫だった! ギリギリあと二か月後! ふー、焦ったあ……」
大げさに胸をなでおろすと、正面でなっちゃんが呆れたように吹き出した。
隣の葵も、口元を押さえて笑っている。
「えー? なんで二人して笑ってるの?」
不思議に思って首を傾げると、なっちゃんと葵はさらに堪えきれないように笑い声を漏らした。



